玉勝間 / 十四の巻 御の字
御の字の事、もろこしにては、その國の王の事ならでは云はず。臣下に云へる事無し。此字卽ち王の事をさして云へるが如し。皇國にては、みと云ふに此字をあてたれど、御は天皇に限らず。もとより下下にても尊みて廣く云ふ言なり。大御と云ふぞ、大かた天皇に限りて云へる。神に申すは、すべて神は天皇とひとしく、御妻を后、御行を幸と云ふ類なり。されば大御と云ふは、もろこしの御の字のつかひざまに近し。さて後には大御を音便にオホンと云ひて、天皇にかぎらず廣く云ふ事となり。又その後には、そのオホンのホを省きて、オンと云ひ、後には又ンをも省きて、オとのみ云ふ。今の俗には物に書キては、御の字をオンと云へども、口語にはオとのみ云へり。稀れ稀れにオミ帶、オミ袷、オミ足など云ふ事の有るは、大御てふ古言の、たまたまに殘れるなり。されどこはなめてにはわたらぬ事なり。
新字:御の字の事、もろこしにては、その国の王の事ならでは云はず。臣下に云へる事無し。此字即ち王の事をさして云へるが如し。皇国にては、みと云ふに此字をあてたれど、御は天皇に限らず。もとより下下にても尊みて広く云ふ言なり。大御と云ふぞ、大かた天皇に限りて云へる。神に申すは、すべて神は天皇とひとしく、御妻を后、御行を幸と云ふ類なり。されば大御と云ふは、もろこしの御の字のつかひざまに近し。さて後には大御を音便にオホンと云ひて、天皇にかぎらず広く云ふ事となり。又その後には、そのオホンのホを省きて、オンと云ひ、後には又ンをも省きて、オとのみ云ふ。今の俗には物に書キては、御の字をオンと云へども、口語にはオとのみ云へり。稀れ稀れにオミ帯、オミ袷、オミ足など云ふ事の有るは、大御てふ古言の、たまたまに残れるなり。されどこはなめてにはわたらぬ事なり。
書き下し
御の字の事、もろこしにては、その国の王の事ならでは云わず。臣下に云える事無し。この字即ち王の事をさして云えるが如し。皇国にては、みと云うにこの字をあてたれど、御は天皇に限らず。もとより下々にても尊みて広く云う言なり。大御と云うぞ、大かた天皇に限りて云える。神に申すは、すべて神は天皇とひとしく、御妻を后、御行を幸と云う類なり。されば大御と云うは、もろこしの御の字のつかいざまに近し。さて後には大御を音便にオオンと云いて、天皇にかぎらず広く云う事となり。又その後には、そのオオンのオを省きて、オンと云い、後には又ンをも省きて、オとのみ云う。今の俗には物に書きては、御の字をオンと云えども、口語にはオとのみ云えり。稀れ稀れにオミ帯、オミ袷、オミ足など云う事の有るは、大御てふ古言の、たまたまに残れるなり。されどこはなべてにはわたらぬ事なり。
現代語訳
「御」の字のことは、中国ではその国の王のことでなければ言わない。臣下に言うことはない。この字はつまり王のことを指して言うかのようである。我が国では「み」と言うのにこの字を当てたが、「み」は天皇に限らない。もともと下々の者にも尊んで広く言う言葉である。「大御(おほみ)」と言うのが、おおよそ天皇に限って言うものである。神に申すのは、すべて神は天皇と等しく扱い、天皇の御妻を「后」、お出ましを「幸」と言う類いである。だから「大御」と言うのは、中国の「御」の字の使い方に近い。さて後には「大御」を音便で「おほん」と言って、天皇に限らず広く言うようになった。またその後には、その「おほん」の「ほ」を省いて「おん」と言い、後にはまた「ん」をも省いて「お」とだけ言う。今の世間では、物に書くときは「御」の字を「おん」と言うが、話し言葉では「お」とだけ言っている。まれに「おみ帯」「おみ袷」「おみ足」などと言うことがあるのは、「大御」という古語がたまたま残ったものである。けれどもこれは一般には広がっていないことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』七の巻 天皇御元服の時のことぶきこは中昔より、天皇をも、みかどと申すから、古語を見て、心得誤れるなり。さて宝位と申すこと、中昔よりこなたの、祝詞・宣命には、つねの事なれど、古言にはあらず、漢言なり。こはついでに云うなり。すべて後の世のは、祝詞も、宣命も古言を知らざるから、漢語のみにぞなりもてきにける。
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『玉勝間』四の巻 御と云ふ詞のつかひざまの一つ源氏物語に、仏の御かりょうびんがの声、御ひとつ腹、御まえわたり、宮の御侍従の乳母、仏の御同じ帳台、宮の御二条の北の方、など有るこれらの御ちょう詞、今の世の心にて思えば、仏のかりょうびんがの御こえ、ひとつ御はら、宮の侍従の御乳母、仏の同じ御帳台、宮の二条の御北の方、と云うべきに、置きどころかわりて聞こゆ、心得おくべし。御まえわたりも、御は、わたりへかかりて、前へはかからず。
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『玉勝間』十の巻 鬼と云ふ物鬼と云うものは、即ち今の世に、女わらべなども云う淤邇にて、古き物語、中むかしの書どもに、多く見えたるさまも、もはら同じ事なり。さて書紀の斉明天皇の御巻に、一本に、宮中に鬼を見ると見え、また、朝倉の山の上に鬼有り云々、など見えたるは、今も云う淤邇なるを、また同じ書の中に、邪鬼、鬼神、姦鬼など有るは、おにと訓めるところも有れど、ただ悪神を云えるなれば、さは訓むべきにあらず。鬼をも、神とは云うべけれど、神を、おにとは云うべからず。さてまた和名抄鬼神部に、人神を鬼と曰う、四声字苑に曰く、鬼は人の死せる神魂なり、和名於邇、或る記に云う、於邇は、隠の音の訛なり、鬼物は隠れて形を顕すことを欲せず、故に以て称すと云い、また鬼魅部にも、鬼は和名於爾、或る説に、於爾は隠の字の音の訛なり、鬼物は隠れて形を顕すことを欲せず、故に俗に呼びて隠と曰うと云えるは、皆ひがことなり。まず淤邇に鬼の字を書くは、鬼魅の意をとれるなり。魅とは、怪物を云えばなり。また天神、地祇、人鬼とて、人の死にたる神をも、鬼と云う。されどその人鬼は、淤邇にはあたらず。然るにそのわきまえ無く、人鬼のかたをも、ともに淤邇とせるは、字によりて誤れる物なり。すべて字の同じきによりて、名を混え誤れる、このたぐい昔より、物知り人のつねなり。
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『玉勝間』四の巻 宮と申す称天皇の御胤を宮と申す事、古えは皇子皇女にかぎれり。皇子の御子よりしては、宮と申す事無かりき。然るを中ごろよりして、皇子の御子をも申し、近くは親王の御すじをば、世々すべて宮と申す事となれり。
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『玉勝間』十の巻 鬼と云ふ物また淤邇と云う名を、隠の字の音なりと云えるも、いみじきひがことなり。形をかくすをもて、名とせむには、加久礼などこそは云いもせめ、その隠の字の音をとりて呼ばむ事は、いといと物どおし。さること有るべくもあらず。また陰物なる由にて、陰の字の音なりと云う説も、同じ類いのひがことなり。淤邇と云うは、もとよりの古き名なり。また古えよりして、然か云いし物は、ただ今の世にも云うと、同じ物と心得べし。さかしだちて、文字にかかりて云う説は、なかなかにたがえる事、万づにわたりて、多きぞかし。さてまたおにかみと云うことは、もと漢文の鬼神と云うより出でたることにて、その鬼神は、二字ながら神の事にて、おにには有らざるを、古今集の序などに、おに神と云えるはかの鬼神を、やがて淤爾と神との事にして云えり。また二つを一つにして、淤邇にもあらず、神にもあらで、ただたけく恐ろしき物を、おにかみと云うこと常なり。さてまた俗にキジンと云うは、漢文の鬼神にもあらず、かのオニカミにもあらず。淤邇と云うとも、いささかこころばえかわれり、俗たる諺に、鬼の女房には、きじんがなると云うなどは、まさしく女鬼をキジンとは云えるが如し。世の中の人の言葉は、あやしき物にて、かくさまざまに、とおく移り行くわざなりけり。
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『玉勝間』十三の巻 女御女御と云う班を確かに定められたるは、何れの御世の頃よりのことにか有りけむ。雄略天皇の御世の稚媛を、始めと云うは、ひがことなり。書紀のかの御巻に女御とあるは、ただ撰者の例の漢文にこそあれ、そのかみ実にこの号ありしにはあらず。すべてかの紀は、かかる文字につきて後の人の思いまどう事多きぞかし。そもそも女御と云うは、もと漢国にて、王の御す女をひろく云える目にて、一つ定まれる号にはあらず。皇朝にても、本は然なりしを、後に定まれるしなには成れるなり。かの雄略紀なるも、ただ御す女とし給えるよしなり。
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