玉勝間 / 十四の巻 はやる
時ありて世に盛にものする事を、俗言にはやると云ふ。疫病のはやる、醫師のはやるなど、萬づの物にも、事にも云へり。この言中昔の書にも見えて、抄出し置きたり。それは今時に云ふとはいささか心ばへ變りて聞ゆ。其人のはやり給ひし時と有り。これは唯だ時にあひて榮え給ひし時と云ふ事なり。今醫師などのはやると云ふは、その產業の盛に用ひらるるを云ふを、かれは唯だその身の榮えを云へるなり。
新字:時ありて世に盛にものする事を、俗言にはやると云ふ。疫病のはやる、医師のはやるなど、万づの物にも、事にも云へり。この言中昔の書にも見えて、抄出し置きたり。それは今時に云ふとはいささか心ばへ変りて聞ゆ。其人のはやり給ひし時と有り。これは唯だ時にあひて栄え給ひし時と云ふ事なり。今医師などのはやると云ふは、その産業の盛に用ひらるるを云ふを、かれは唯だその身の栄えを云へるなり。
書き下し
時ありて世に盛んにものする事を、俗言にはやると云う。疫病のはやる、医師のはやるなど、万ずの物にも、事にも云えり。この言中昔の書にも見えて、抄出し置きたり。それは今時に云うとはいささか心ばえ変わりて聞こゆ。その人のはやり給いし時と有り。これはただ時にあいて栄え給いし時と云う事なり。今医師などのはやると云うは、その産業の盛んに用いらるるを云うを、かれはただその身の栄えを云えるなり。
現代語訳
時を得て世に盛んに行われることを、俗語で「はやる」と言う。疫病がはやる、医者がはやるなど、あらゆる物にも事にも言っている。この言葉は中古(平安時代)の書物にも見えて、抜き書きしておいた。それは今どきに言うのとは少し意味合いが変わって聞こえる。「その人のはやり給ひし時」とある。これはただ時勢に合って栄えていらっしゃった時ということである。今、医者などが「はやる」と言うのは、その生業が盛んに用いられることを言うのに、あれはただその身の栄えを言ったのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』八の巻 はやると云ふ言大鏡に、堀川の摂政のはやり給いし時に、此東三条殿は、御つかさをもとどめられさせ給いて、いとからくおわしましし時に云云、と有り。はやるは、栄ゆる事と聞えたり、今の世に云うとは、やや心ばえことなり。
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『玉勝間』八の巻 しぬるを病死と云ふ事今の世、おおやけざまの文書などには、人の死ぬるを、病死と云うことなり。そもそも人は、病ならで死ぬるは、百千の中に、稀れに一人二人などこそ有べけれ、おしなべては、みな病て死ぬる事なれば、それをとり分けては云わでも有ぬべく覚ゆるを、これは昔みだれ世の頃は、戦いて死ぬるもの多かりし故に、病死は病死と、分けて云えりし時のならいのままなるべし。
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『玉勝間』九の巻 あやかるあやかると云う詞、拾遺集雑恋に、風はやみ峰の葛葉のともすればあやかりやすき人のこころか。
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『玉勝間』九の巻 よもやま今俗言に、よもやまの云云と云う事あり、拾遺集の神楽歌に、よも山の人のたからとする弓を神のみまえにきょうたてまつる、栄花物語花山の巻に、ことしは世の中に、もがさと云う物いできて、よもやまの人、上下病みののしるに云云。
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『玉勝間』八の巻 まにあはぬ又間にあわぬと云う事も、是れに見えたり。近き世の言には有らず。
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『玉勝間』七の巻 ゐなかに古への雅言ののこれる事すべて田舎には、古の言の残れること多し、殊に遠き国人の云う言の中には、面白き事どもぞまじれる。おのれ年頃心をつけて、遠き国人の、とぶらい来たるには、必ずその国の詞を問い聞きもし、その人の云う言をも、心とどめて聞きもするを、なお国々の詞どもを、あまねく聞きあつめなば、いかに面白きこと多からん。近き頃、肥後の国人のきたるが、云うことを聞けば、世に見える聞えるなど云うたぐいを、見ゆる聞こゆるなどぞ云うなる。こは今の世には絶えて聞こえぬ、雅びたることばづかいなるを、その国にてはなべてかく云うにやと問いければ、ひたぶるの賤山がつは皆、見ゆる、きこゆる、さゆる、たゆる、などように云うを、少し言葉をもつくろう程の者は、多くは見える、聞える、とように云うなり、とぞ語りける。そはなかなか今の世の俗き云いざまなるを、なべて国々の人の云うから、そを善き事と心得たるなんめり。
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