甲陽軍鑑 / 品第四十
子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ墮罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、惡をば惡とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虛空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有樣にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣藏にをしゆる也、
新字:子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
書き下し
子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
現代語訳
子細は、信玄公が若くおられる時から、諸侍の言葉をよく聞き、分別があるのも、ないのも、強かろうのも、弱かろうのも、その人の物言う儀で積もられたのが、今日に至るまでも、それがしが無間奈落へ堕罪いたそう、少しも相違ございません。さるほどに、よい事をも褒める所を見出し、聞き付けて詮索した取り沙汰をもって、善を善と定め、悪を悪と定め、道理を詰めて褒め謗るのが武士の作法である。そうでなくて、片端を聞いて我が意地の者を空に、よいとばかり批判する事は、女に似た侍であると、信玄公が常々御諚がこれである。このような有様に詮索を遊ばすゆえに、若手によい武士が出てくるのだと阿部加賀守が申して、金丸助六郎・同じく惣蔵に教えるのである。
解説

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