人物志 / 八觀
其言甚懌,而精色不從者,中有違也;其言有違,而精色可信者,辭不敏也
新字:其言甚懌,而精色不従者,中有違也;其言有違,而精色可信者,辞不敏也
書き下し
其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
現代語訳
言葉では大いに喜んでいても、表情がそれに伴わない者は、内心に食い違いがあるのである。言葉には食い違いがあっても、表情が信じるに足る者は、言葉が巧みでないだけである。
解説
言葉ではうれしいと言いながら表情がついてこない場合、心の内側に何か食い違いが生じているのだと人物志は見る。反対に、言葉づかいが多少ぎこちなくても表情に嘘がなければ、それは口下手なだけで心はまっすぐだと判断できる。人を見るときも自分の発信を振り返るときも、言葉そのものより言葉と表情・態度の間にずれがあるかどうかに注意を向けると、本心に近づける。巧みな言葉より、言葉と表情が揃っていることの方が信頼の手がかりになる。
この章句が説くこと
言葉表情本心
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