人物志 / 八觀
其言甚懌,而精色不從者,中有違也;其言有違,而精色可信者,辭不敏也
新字:其言甚懌,而精色不従者,中有違也;其言有違,而精色可信者,辞不敏也
書き下し
其の言甚だ懌べども、精色従わざる者は、中に違う有るなり。其の言違う有れども、精色信ずべき者は、辞の敏ならざるなり。
現代語訳
言葉では大いに喜んでいても、表情がそれに伴わない者は、内心に食い違いがあるのである。言葉には食い違いがあっても、表情が信じるに足る者は、言葉が巧みでないだけである。
解説
言葉ではうれしいと言いながら表情がついてこない場合、心の内側に何か食い違いが生じているのだと人物志は見る。反対に、言葉づかいが多少ぎこちなくても表情に嘘がなければ、それは口下手なだけで心はまっすぐだと判断できる。人を見るときも自分の発信を振り返るときも、言葉そのものより言葉と表情・態度の間にずれがあるかどうかに注意を向けると、本心に近づける。巧みな言葉より、言葉と表情が揃っていることの方が信頼の手がかりになる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
言葉表情本心
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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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