甲陽軍鑑 / 品第六
如此の三樂も無果報〓にや終に一國とはたもたず、彼の三樂信玄公の背語申つることを聞て彌三樂を高上に存する也、古語に曰く、金以火ヲ試ミ人ハ以言ヲ試ム云々、人の善惡を云にて、其の者の行何計の者也としる可、人は人をほむるもそしるも大切ならん、九思一言ことはにけがのなきが實の武士ならん、
新字:如此の三楽も無果報〓にや終に一国とはたもたず、彼の三楽信玄公の背語申つることを聞て弥三楽を高上に存する也、古語に曰く、金以火ヲ試ミ人ハ以言ヲ試ム云々、人の善悪を云にて、其の者の行何計の者也としる可、人は人をほむるもそしるも大切ならん、九思一言ことはにけがのなきが実の武士ならん、
書き下し
如此の三楽も無果報〓にや終に一国とはたもたず、彼の三楽信玄公の背語申つることを聞て弥三楽を高上に存する也、古語に曰く、金以火ヲ試ミ人ハ以言ヲ試ム云々、人の善悪を云にて、其の者の行何計の者也としる可、人は人をほむるもそしるも大切ならん、九思一言ことはにけがのなきが実の武士ならん、
現代語訳
このような三楽も果報がなかったのか、ついに一国とは保たなかった。あの三楽は、信玄公が背後で語られた事を聞いて、いよいよ三楽を高く存ずるのである。古語に言う、金は火をもって試み、人は言をもって試む、と。人の善悪を言うことで、その者の行いが何ほどの者かを知ることができる。人は、人を褒めるのも謗るのも大切であろう。九思一言、言葉に穢れのないのが実の武士であろう。
解説
金の純度は火で分かり、人の値打ちは言葉で分かる。ここでいう言葉とは、その人が他人をどう褒め、どう謗るかである。評する言葉のほうに評した本人が出るという見方で、直前の三楽と信玄が互いをどう言ったかが、そのまま実例になっている。評する言葉のほうに、評した本人が出るという見方である。直前の三楽と信玄が互いをどう言ったかが、そのまま実例になっている。

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言葉人物評試金九思武士品
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