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玉勝間 / 十四の巻 又

同書に、厩焚子退朝曰、傷人乎、不問馬、これ甚いかがなり。すべて人の家の焚んにも、人はさしも燒かるる物にあらず。馬はよく燒かるるものなり。まして馬屋の燒けんには、人はあやふき事無し。馬こそいとあやふけれ。されば馬をこそ問ふべけれ、これ人情なり。然るにまづ人を問ふすらいかがなるに、馬を問はざるはいと心なき人なり。但し人を問へるはさる事なれば記しもすべきを、馬を問はぬが何の善き事かある。是れ學びの子どもの、孔丘が常人にことなる事を人に知らさむとするあまりに、かへりて孔丘が不情をあらはせり。不問馬の三字を削りてよろし。

新字:同書に、厩焚子退朝曰、傷人乎、不問馬、これ甚いかがなり。すべて人の家の焚んにも、人はさしも焼かるる物にあらず。馬はよく焼かるるものなり。まして馬屋の焼けんには、人はあやふき事無し。馬こそいとあやふけれ。されば馬をこそ問ふべけれ、これ人情なり。然るにまづ人を問ふすらいかがなるに、馬を問はざるはいと心なき人なり。但し人を問へるはさる事なれば記しもすべきを、馬を問はぬが何の善き事かある。是れ学びの子どもの、孔丘が常人にことなる事を人に知らさむとするあまりに、かへりて孔丘が不情をあらはせり。不問馬の三字を削りてよろし。

書き下し

同じく書に、厩焚けたり、子朝より退きて曰く、人を傷えりや、馬を問わず、これ甚だいかがなり。すべて人の家の焚けんにも、人はさしも焼かるる物にあらず。馬はよく焼かるるものなり。まして馬屋の焼けんには、人はあやうき事無し。馬こそいとあやうけれ。されば馬をこそ問うべけれ、これ人情なり。然るにまず人を問うすらいかがなるに、馬を問わざるはいと心なき人なり。但し人を問えるはさる事なれば記しもすべきを、馬を問わぬが何の善き事かある。これ学びの子どもの、孔丘が常人にことなる事を人に知らさむとするあまりに、かえりて孔丘が不情をあらわせり。不問馬の三字を削りてよろし。

現代語訳

同じ『論語』に、「厩が焼けた。先生は朝廷から退出して言われた。『人に怪我はなかったか』。馬のことは問われなかった」とあるが、これはたいへんどうかと思う。およそ人の家が焼けるときでも、人はそれほど焼かれるものではない。馬はよく焼かれるものである。まして馬屋が焼けたなら、人は危ないことはない。馬こそたいへん危ないのである。だから馬のことこそ問うべきであり、これが人情である。それなのに、まず人のことを問うのさえどうかと思うのに、馬のことを問わないのは、たいへん心ない人である。ただし人のことを問うたのはもっともなことなので記してもよいが、馬のことを問わなかったのが何の善いことがあろうか。これは門弟たちが、孔丘が普通の人と違うことを人に知らせようとするあまりに、かえって孔丘の情のなさを表してしまったのである。「不問馬」の三字は削るのがよい。

解説

『論語』郷党篇の有名な一節、厩が焼けたとき孔子が「人を傷えりや」と問い、馬のことは問わなかったという話に異を唱えた段である。宣長は、厩の火事で危ないのは人ではなく馬のほうだから、まず馬を案じるのが自然な人情だと言い、馬を問わなかったのは心ない振る舞いだと批判する。そして、これは弟子たちが孔子の非凡さを示そうとして書き添えた言葉が、かえって孔子の情のなさを表してしまったのだと見て、「不問馬」の三字は削るべきだとまで言う。宣長の読みは、理念よりも目の前の状況に即した人情を重んじるものであり、聖人の言行も鵜呑みにしないという姿勢がよく出ている。

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