玉勝間 / 十四の巻 又
論語の中にも、堯舜禹泰伯文王をばいみしく譽めたれども、湯王武王をほめたる事は一言も無し。意あるにや。終りに、湯王が言をあげたるは、孔丘の意にはあらず。
新字:論語の中にも、堯舜禹泰伯文王をばいみしく誉めたれども、湯王武王をほめたる事は一言も無し。意あるにや。終りに、湯王が言をあげたるは、孔丘の意にはあらず。
書き下し
論語の中にも、堯舜禹泰伯文王をばいみじく誉めたれども、湯王武王をほめたる事は一言も無し。意あるにや。終わりに、湯王が言をあげたるは、孔丘の意にはあらず。
現代語訳
『論語』の中でも、堯・舜・禹・泰伯・文王はたいそう褒めているが、湯王・武王を褒めたことは一言もない。何か意図があるのであろうか。終わりのほうで湯王の言葉を挙げているのは、孔丘の意図ではない。
解説
『論語』の中で、孔子が堯・舜・禹・泰伯・文王をしきりに称えながら、殷の湯王と周の武王を褒めた言葉が一つもないことに目を留めた段である。堯と舜は位を徳のある者に譲り、泰伯は弟に国を譲り、文王は殷に仕え続けた。これに対して湯王は夏の桀王を、武王は殷の紂王を武力で討って天下を取った、いわゆる放伐の王である。宣長は、孔子が二人を褒めないのには意味があるのではないかと示唆する。つまり孔子自身も、臣下が主君を討つことを心から是とはしていなかったのではないか、というのである。主君を討つことを正当化する易姓革命の思想への疑いは、万世一系の皇統を尊ぶ宣長の立場から一貫して出てくるものである。
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