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講孟余話 / 梁惠王下 第八章

湯武放伐ノ事ハ前賢ノ論具ハレリ、然トモ試ニ見ル所ヲ陳セン、凢漢土ノ流ハ皇天下民ヲ降シテ、是カ君師ナケレハ治ラズ、故ニ必ズ億兆ノ中ニ択テ是ヲ命ス、堯舜湯武ノ如キ其人ナリ、故ニ其人職ニ称ハズ、億兆ヲ治ムルコト能ハサレハ、天亦必ズ是ヲ廃ス、桀紂幽厲ノ如キ其人ナリ、故ニ天ノ命スル所ヲ以テ天ノ廃スル所ヲ討ツ、何ソ放伐ニ疑ハンヤ、本邦ハ則チ然ラズ、天日嗣永ク天壤ト無窮ナル者ニテ、此大八州ハ、天日ノ開キ給ヘル所ニシテ、日嗣ノ永ク守リ給ヘル者ナリ、故ニ億兆ノ宜シク日嗣ト休戚ヲ同シテ、復タ他念アルベカラズ、若シ夫征夷大將軍ノ類ハ、天朝ノ命スル所ニシテ其職ニ称フ者ノミ是ニ居ルコトヲ得、故ニ征夷ヲシテ足利氏ノ曠職ノ如クナラシメハ、直ニ是ヲ廃スルモ可ナリ、是レ漢土君師ノ義ト甚タ相類ス、然レトモ湯武ノ如キハ、義ニ依リ賊ヲ討ス、命ヲ天ニ承クト称ス、本邦ニ在テハ然ラズ、赫々タル天朝、天日ノ嗣宇内ニ照臨マシマスニ、天朝ノ命セスシテ、擅ニ征夷ノ曠職ヲ問ントナラハ、所謂以燕伐燕者ナリ、所謂春秋無義戰、天子ノ命ヲ奉セスシテ敵国相征スルハ何程ノ正義ニ依ルト云トモ義戰ニ非ス、故ニ此章ヲ読ム者、審ニ辨ヲ致サヾレハ、適ニ以テ奸賊ノ心ヲ啓クニ足ルノミ

新字:湯武放伐ノ事ハ前賢ノ論具ハレリ、然トモ試ニ見ル所ヲ陳セン、凢漢土ノ流ハ皇天下民ヲ降シテ、是カ君師ナケレハ治ラズ、故ニ必ズ億兆ノ中ニ択テ是ヲ命ス、堯舜湯武ノ如キ其人ナリ、故ニ其人職ニ称ハズ、億兆ヲ治ムルコト能ハサレハ、天亦必ズ是ヲ廃ス、桀紂幽厲ノ如キ其人ナリ、故ニ天ノ命スル所ヲ以テ天ノ廃スル所ヲ討ツ、何ソ放伐ニ疑ハンヤ、本邦ハ則チ然ラズ、天日嗣永ク天壤ト無窮ナル者ニテ、此大八州ハ、天日ノ開キ給ヘル所ニシテ、日嗣ノ永ク守リ給ヘル者ナリ、故ニ億兆ノ宜シク日嗣ト休戚ヲ同シテ、復タ他念アルベカラズ、若シ夫征夷大将軍ノ類ハ、天朝ノ命スル所ニシテ其職ニ称フ者ノミ是ニ居ルコトヲ得、故ニ征夷ヲシテ足利氏ノ曠職ノ如クナラシメハ、直ニ是ヲ廃スルモ可ナリ、是レ漢土君師ノ義ト甚タ相類ス、然レトモ湯武ノ如キハ、義ニ依リ賊ヲ討ス、命ヲ天ニ承クト称ス、本邦ニ在テハ然ラズ、赫々タル天朝、天日ノ嗣宇内ニ照臨マシマスニ、天朝ノ命セスシテ、擅ニ征夷ノ曠職ヲ問ントナラハ、所謂以燕伐燕者ナリ、所謂春秋無義戦、天子ノ命ヲ奉セスシテ敵国相征スルハ何程ノ正義ニ依ルト云トモ義戦ニ非ス、故ニ此章ヲ読ム者、審ニ弁ヲ致サヾレハ、適ニ以テ奸賊ノ心ヲ啓クニ足ルノミ

書き下し

湯武放伐の事は前賢の論具はれり。然れども試みに見る所を陳べん。凡そ漢土の流は、皇天下民を降して、是れが君師なければ治まらず、故に必ず億兆の中に択びて是れを命ず。堯舜湯武の如き其の人なり。故に其の人職に称はず、億兆を治むること能はざれば、天亦必ず是れを廃す。桀紂幽厲の如き其の人なり。故に天の命ずる所を以て天の廃する所を討つ、何ぞ放伐に疑はんや。本邦は則ち然らず。天日嗣永く天壌と無窮なる者にて、此の大八州は天日の開き給へる所にして、日嗣の永く守り給へる者なり。故に億兆の宜しく日嗣と休戚を同じうして、復た他念あるべからず。若し夫れ征夷大将軍の類は、天朝の命ずる所にして、其の職に称ふ者のみ是れに居ることを得。故に征夷をして足利氏の曠職の如くならしめば、直ちに是れを廃するも可なり。是れ漢土君師の義と甚だ相類す。然れども湯武の如きは、義に依り賊を討ち、命を天に承くと称す。本邦に在りては然らず。赫々たる天朝、天日の嗣宇内に照臨ましますに、天朝の命ぜずして、擅に征夷の曠職を問はんとならば、所謂燕を以て燕を伐つ者なり。所謂春秋に義戦無し、天子の命を奉ぜずして敵国相征するは、何程の正義に依ると云ふとも義戦に非ず。故に此の章を読む者、審らかに弁を致さざれば、適に以て奸賊の心を啓くに足るのみ。

現代語訳

殷の湯王・周の武王が主君を追放し討ったことについては、先人の議論が備わっている。しかし試みに私の見るところを述べよう。およそ中国の考え方では、天が民を生み出し、それを治める君と師がいなければ治まらないので、必ず万民の中から選んで命じる。堯・舜・湯・武がその人である。だから、その人が職にふさわしくなく、万民を治められなければ、天は必ずこれを廃する。桀・紂・幽王・厲王がその人である。だから天が命じた者が、天が廃した者を討つのであり、放伐を疑う必要はない。わが国はそうではない。天照大神の子孫である皇統は天地とともに永遠に続き、この日本の国は天照大神が開き、皇統が永く守ってこられたものである。だから万民は皇統と喜びも憂いも共にすべきで、ほかの考えを持ってはならない。征夷大将軍のようなものは、朝廷が任命するもので、その職にふさわしい者だけがその地位にいられる。だから将軍が足利氏のように職務を果たさないなら、すぐに廃してもよい。これは中国の君師の考えとよく似ている。しかし湯・武は、義によって賊を討ち、天から命を受けたと称した。わが国ではそうはいかない。輝かしい朝廷があり、天照大神の子孫が天下に臨んでおられるのに、朝廷の命もなく、勝手に将軍の職務怠慢を問うなら、それはいわゆる燕をもって燕を伐つ(同じ穴のむじなが討つ)ものである。いわゆる春秋に義戦なしで、天子の命を奉じないで国どうしが攻め合うのは、どれほどの正義によると言っても義戦ではない。だからこの章を読む者は、よく見分けなければ、かえって悪人の心を開くことになるだけである。

解説

斉の宣王が「臣が君を弑してよいのか」と問い、孟子が「一夫紂を誅するを聞く、未だ君を弑するを聞かざるなり」と答えた、易姓革命を是認する有名な章です。松陰は、中国では天が徳ある者を君に命じるので放伐も正当だが、皇統が続く日本では違うと説きます。そのうえで、将軍は朝廷が任じた職にすぎず、職を果たさなければ廃してもよいが、それは朝廷の命によらねばならないと線を引きます。のちの倒幕論につながる考え方が、まだ慎重な形で現れている一節です。読み方を誤れば悪用されるという警告も添えています。

この章句が説くこと

放伐国体将軍義戦名分

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