玉勝間 / 十四の巻 又
同書に子曰、孰謂微生高直、或乞酸焉、乞諸其鄰而與之とあり。聖人の〓の刻酷なる事かくの如し。是れ等は唯だいささかの事にて、さしも不直と云ふべき程の事にあらず。かほどの事をさへ、不直と云ひてとがむるは、あまりの事なり。又たとひ此事は、實に不直にもせよ、いささかなる此一事によりてその人を不直なりと定むるも、いといとあたらぬ事なり。すべて善き人にもあやまち惡ろき事は有るものなり。惡しき人にも善き事も有るものなるを、唯だ一事の善惡によりて、その人の善し惡しを定むるは、聖人の道の癖にて、ひがことなり。
新字:同書に子曰、孰謂微生高直、或乞酸焉、乞諸其鄰而与之とあり。聖人の〓の刻酷なる事かくの如し。是れ等は唯だいささかの事にて、さしも不直と云ふべき程の事にあらず。かほどの事をさへ、不直と云ひてとがむるは、あまりの事なり。又たとひ此事は、実に不直にもせよ、いささかなる此一事によりてその人を不直なりと定むるも、いといとあたらぬ事なり。すべて善き人にもあやまち悪ろき事は有るものなり。悪しき人にも善き事も有るものなるを、唯だ一事の善悪によりて、その人の善し悪しを定むるは、聖人の道の癖にて、ひがことなり。
書き下し
同じく書に子曰く、孰か微生高を直と謂う、或る人醯を乞う、諸を其の隣に乞いてこれに与うとあり。聖人の教えの刻酷なる事かくの如し。これ等はただいささかの事にて、さしも不直と云うべきほどの事にあらず。かほどの事をさえ、不直と云いてとがむるは、あまりの事なり。又たとい此の事は、実に不直にもせよ、いささかなるこの一事によりてその人を不直なりと定むるも、いといとあたらぬ事なり。すべて善き人にもあやまち悪ろき事は有るものなり。悪しき人にも善き事も有るものなるを、ただ一事の善悪によりて、その人の善し悪しを定むるは、聖人の道の癖にて、ひがことなり。
現代語訳
同じ『論語』に、「先生が言われた。『誰が微生高を正直だと言うのか。ある人が酢を借りに来たところ、微生高はそれを隣の家から借りてきて与えた』」とある。聖人の教えの苛酷なことはこのとおりである。これらはただ些細なことで、それほど不正直と言うべきほどのことではない。この程度のことまで不正直だと言って咎めるのは、あまりのことである。またたとえこのことが本当に不正直であるにせよ、この些細な一事によってその人を不正直だと決めつけるのも、まったく当たらないことである。およそ善い人にも過ちや悪いことはあるものである。悪い人にも善いこともあるものなのに、ただ一つの事の善し悪しによってその人の善し悪しを決めるのは、聖人の道の癖であって、間違ったことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 一言一行によりて人の善き悪しきを定むる事人のただ一言ただ一行によりて、その人のすべての善き悪しきを、定め云うは、から書の常なれども、これいとあたらぬ事なり。すべて善き人といえども、稀れにはことわりにかなわぬしわざも、交じらざるにあらず。悪しき人といえども、善きしわざも交じるものにて、生けるかぎりのしわざ、ことごとに善き悪しき一かたに定まれる人は、おさおさ無きものなるを、いかでかはただ一言一行によりては定むべき。
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論語・公冶長篇子曰く、孰か微生高を直と謂う。或るひと醯を乞う。諸を其の鄰に乞いて之を与う。
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『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
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『長短経』臣行〔議に曰く、夫れ聖人は徳全く、器に順わざる無し。中庸より已降は、才は則ち偏を好む。故に曰く、柴や愚、参や魯、師や辟、由や喭。此に由りて之を観れば、全徳なる者は鮮なし。全徳既に鮮なければ、則ち矯情に資りて善を力むるなり。然れども世は矯偽を悪みて、人は任真を賢とす。其れをして真に貪愚にして亦た之に任ぜしめば、賢と為す可きか。対えて曰く、吁、何ぞ其れ然らんや。夫れ貌を天地に肖せ、陰を負い陽を抱く。清濁賢愚、其の性は則ち異なると雖も、趨走嗜欲の規する所は則ち同じ。故に靡顔膩理は人の悦ぶ所なり。堅に乗り良を駆るは人の愛する所なり。心を苦しめ節を貞しくするは人の難しとする所なり。公に狥い私を滅するは人の苦しむ所なり。礼教を以て之を節せざれば、則ち蕩して制せず。安くんぞ肯えて苦を攻め淡を食い、貞潔公方にして、財に臨みて廉に取与に義ならんや。
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『長短経』是非〔是に曰く〕孔子曰く「訐きて悪を以て直と為すを悪む」と。〔非に曰く〕管子曰く「悪を隠して以て仁と為す者を悪む」と。魏の曹羲曰く「夫れ世人の所謂悪を掩い善を揚ぐるは、君子の大義なり。明を保ち好を同じくするは、朋友の至交なり。斯の言の作るは、蓋し閭閻の白談なり。愛憎の相い謗るを収むる所以にして、篤正の至理、折中の公議に非ざるなり。世士は其の数を料らずして其の言に係る。故に善悪分かれず、乱は実に之に由る。朋友雷同すれば、敗必ず従う。談論は実に当たるを以て情と為し、過難を以て貴しと為さず。相い知るは等分を以て交と為し、雷同を以て固と為さず。是を以て達者は其の義を存して文に察かならず、其の心を識りて言に求めず」と。
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『玉勝間』十四の巻 聖人を尊む事世々のもろこし人おしなべて、かの国の聖人と云う物を尊み信ずる中には、実に尊み信ずる人も有るべく、又心にはいかにぞや思う事有れども、聖人にたがいては世の人のそしりてうけぬ事なるによりて、尊み信ずるかおして、世に従えるもありげに見ゆるなり。又もろもろの聖人どもの中に、孔子は、かの国の王にあらず、もはらその道の人なるが故に、あるが中にこの人をば殊に尊み信ずめるは、これつとめてこれを褒めたてて、その道を張らむとするなり。
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