呻吟語 / 内篇・倫理・夷齊は湯武を非とし、孔孟は湯武を是とす
天下不可一日無君,故夷、齊非湯、武,明臣道也。此天下之大妨也!不然,則亂臣賊子接踵矣,而難為君。天下不可一日無民,故孔、孟是湯、武,明君道也。此天下之大懼也!不然,則暴君亂主接踵矣,而難為民。
新字:天下不可一日無君,故夷、斉非湯、武,明臣道也。此天下之大妨也!不然,則乱臣賊子接踵矣,而難為君。天下不可一日無民,故孔、孟是湯、武,明君道也。此天下之大懼也!不然,則暴君乱主接踵矣,而難為民。
書き下し
天下は一日も君無かる可からず、故に夷・齊は湯・武を非として、臣道を明らかにす。此れ天下の大妨なり。然らずんば、則ち亂臣賊子踵を接せん、而して君為ること難からん。天下は一日も民無かる可からず、故に孔・孟は湯・武を是として、君道を明らかにす。此れ天下の大懼なり。然らずんば、則ち暴君亂主踵を接せん、而して民為ること難からん。
現代語訳
天下は一日も君主が無くてはなりません。ですから伯夷と叔斉は湯王と武王を非として、臣下の道を明らかにしました。これは天下の大きな歯止めです。そうでなければ、乱臣賊子が次々に現れて、君主であることが難しくなります。天下は一日も民が無くてはなりません。ですから孔子と孟子は湯王と武王を是として、君主の道を明らかにしました。これは天下の大きな恐れです。そうでなければ、暴君や乱れた主が次々に現れて、民であることが難しくなります。
解説
湯王と武王の放伐をめぐる対立が、どちらも正しいと解かれます。伯夷と叔斉が非としたのは臣下の道を示すため、孔子と孟子が是としたのは君主の道を示すため。立場が違えば示すべき線が違うという整理です。そして両方が必要な理由が示されます。前者が無ければ謀反が絶えず、後者が無ければ暴君が絶えない。歯止めが上下の両方に要るという議論になっています。
この章句が説くこと
湯武夷斉孔孟臣道君道
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