弁名 / 聖
叚使無孔子。則先王之道亡久矣。故千歲之後。道不屬諸先王。而屬諸孔子。雖邪說異敎之徒。亦莫有謂孔子非聖人者則宰我子貢有若之言。果徵於今日焉耳矣。夫孔子之德至矣。然使無宰我子貢有若子思之言。則吾未敢謂之聖人也。以吾非聖人。而不能知聖人也。夫我以吾所見。定其爲聖人。僭已。僭則吾豈敢。我姑以衆人之言。定其爲聖人。無特操者已。無特操則吾豈敢。雖然。古聖人之道藉孔子以傳焉。使無孔子。則道之亡久矣。千歲之下。道終不屬諸先王。而屬諸孔子。則我亦見其賢於堯舜也已。葢孔子之前。無孔子。孔子之後。無孔子。吾非聖人。何以能定其名乎。故且比諸古作者。以聖人命之耳。
新字:叚使無孔子。則先王之道亡久矣。故千歳之後。道不属諸先王。而属諸孔子。雖邪説異教之徒。亦莫有謂孔子非聖人者則宰我子貢有若之言。果徴於今日焉耳矣。夫孔子之徳至矣。然使無宰我子貢有若子思之言。則吾未敢謂之聖人也。以吾非聖人。而不能知聖人也。夫我以吾所見。定其為聖人。僭已。僭則吾豈敢。我姑以衆人之言。定其為聖人。無特操者已。無特操則吾豈敢。雖然。古聖人之道藉孔子以伝焉。使無孔子。則道之亡久矣。千歳之下。道終不属諸先王。而属諸孔子。則我亦見其賢於堯舜也已。葢孔子之前。無孔子。孔子之後。無孔子。吾非聖人。何以能定其名乎。故且比諸古作者。以聖人命之耳。
書き下し
叚使孔子無からしめば、則ち先王の道亡ぶること久し。故に千歳の後、道は諸を先王に属せずして、諸を孔子に属す。邪説異教の徒と雖も、亦た孔子を聖人に非ずと謂ふ者有る莫し。則ち宰我・子貢・有若の言、果たして今日に徴あるのみ。夫れ孔子の徳は至れり。然れども宰我・子貢・有若・子思の言無からしめば、則ち吾未だ敢へて之を聖人と謂はざるなり。吾聖人に非ずして、聖人を知ること能はざるを以てなり。夫れ我吾が見る所を以て、其の聖人為るを定むるは、僭なり。僭なれば則ち吾豈に敢へてせんや。我姑く衆人の言を以て、其の聖人為るを定むるは、特操無き者なり。特操無ければ則ち吾豈に敢へてせんや。然りと雖も、古聖人の道は孔子に藉りて以て伝はる。孔子無からしめば、則ち道の亡ぶること久し。千歳の下、道終に諸を先王に属せずして、諸を孔子に属す。則ち我も亦た其の堯舜より賢れるを見るのみ。蓋し孔子の前に、孔子無く、孔子の後に、孔子無し。吾聖人に非ず、何を以て能く其の名を定めんや。故に且く諸を古の作者に比して、聖人を以て之に命くるのみ。
現代語訳
もし孔子がいなかったら、先王の道はとうに滅んでいたであろう。だから千年の後、道は先王に属さず、孔子に属することになった。邪説や異教の徒でさえ、孔子を聖人でないと言う者はいない。宰我・子貢・有若の言葉は、果たして今日に証明されたのである。そもそも孔子の徳は極まっている。しかし宰我・子貢・有若・子思の言葉がなかったら、私はあえて孔子を聖人とは言わない。私は聖人ではなく、聖人を知ることはできないからである。自分の見たところで聖人だと定めるのは、分を越えている。分を越えることを、私がどうしてあえてしようか。かりに大勢の言葉に従って聖人だと定めるのは、自分の定見がない者である。定見がないことを、私がどうしてあえてしようか。とはいえ、古の聖人の道は孔子によって伝わった。孔子がいなかったら道はとうに滅んでいた。千年の後、道はついに先王ではなく孔子に属している。とすれば、私もまた孔子が堯・舜より優れていると見るのである。思うに孔子の前に孔子はなく、孔子の後に孔子はない。私は聖人ではないのに、どうしてその名を定められようか。だからひとまず古の作者になぞらえて、聖人と名づけるのである。
解説
この章句が説くこと
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