玉勝間 / 二の巻 から国聖人の世の祥瑞と云ふもの
もろこしの國に、古へ聖人と云ひし者の世には、その德にめでて、麒麟鳳凰など云ひて、ことごとしき鳥けだ物いで、又くさぐさめでたきしるしの現れし事を云へれども、さるたぐひのめづらしき物も、唯だ何となくをりをりは出る事なるべきを、たまたま出ぬれば、德にめでて、天のあたへたるごと云ひなして、聖人のしるしとて、世の人に、いみしき事に思はせたるものなり。萬づにかかるぞ、かの國人のしわざなりける。
新字:もろこしの国に、古へ聖人と云ひし者の世には、その徳にめでて、麒麟鳳凰など云ひて、ことごとしき鳥けだ物いで、又くさぐさめでたきしるしの現れし事を云へれども、さるたぐひのめづらしき物も、唯だ何となくをりをりは出る事なるべきを、たまたま出ぬれば、徳にめでて、天のあたへたるごと云ひなして、聖人のしるしとて、世の人に、いみしき事に思はせたるものなり。万づにかかるぞ、かの国人のしわざなりける。
書き下し
もろこしの国に、古聖人と云いし者の世には、その徳にめでて、麒麟鳳凰など云いて、ことごとしき鳥けだ物いで、またくさぐさめでたきしるしの現れし事を云えれども、さるたぐいのめずらしき物も、ただ何となくおりおりは出ずる事なるべきを、たまたま出でぬれば、徳にめでて、天のあたえたるごと云いなして、聖人のしるしとて、世の人に、いみしき事に思わせたるものなり。万ずにかかるぞ、かの国人のしわざなりける。
現代語訳
中国では、昔の聖人といわれた者の世には、その徳に感じて、麒麟や鳳凰などという大げさな鳥や獣が現れ、またいろいろなめでたい兆しが現れたと言っているが、そういう珍しい物も、ただ何となく時々は現れるものであろうに、たまたま現れると、徳に感じて天が与えたかのように言いなして、聖人のしるしだとして、世の人にたいへんなことだと思わせたのである。何事につけてもこうなのが、あの国の人のやり口である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 聖人を尊む事世々のもろこし人おしなべて、かの国の聖人と云う物を尊み信ずる中には、実に尊み信ずる人も有るべく、又心にはいかにぞや思う事有れども、聖人にたがいては世の人のそしりてうけぬ事なるによりて、尊み信ずるかおして、世に従えるもありげに見ゆるなり。又もろもろの聖人どもの中に、孔子は、かの国の王にあらず、もはらその道の人なるが故に、あるが中にこの人をば殊に尊み信ずめるは、これつとめてこれを褒めたてて、その道を張らむとするなり。
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『玉勝間』八の巻 もろこしの国に丙吉と云ひし人の事又もとより陰陽をととのうなど云う事、有るべくも有らず。すべて世の中の事は、時々の天地のあるようも何も、みな神の御しわざにて、時の気のかないかなわぬなど、さらに人の知るべきわざには有らぬを、斯くことごとしげに、云いなすは、すべてかの国人のならいにて、いといとこちたく、うるさきわざなりかし。
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『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
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『玉勝間』二の巻 儒者名をみだる事皇国は、物のありさまは、古とかわりきぬる事も、名は、物のうつり行く、その時時のさまには従わずして、今の世とても万になお古のを守り給うなるは、いともいとも有りがたく、孔丘が心もていわば、名のいと正しきにこそ有りけれ。さるをかえりて正しからずとしも云うは、何につけても、あながちに皇国を云いおとさむとする心のみ進めるからに、そのひがことなる事をも、われながら覚えざるなめり。
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『玉勝間』十四の巻 日食月食もろこしの聖人、日食月食の故をだにえはかり知らで、わざわいとしたるもおかし。
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『直毘霊』乱れたる世には名将多く出づなる。たとえば乱れたる世には、戦に習う故に、おのずから名将多く出で来るが如く、国の風俗悪しくして、治まりがたきを、あながちに治めむとするから、世々にその術をさまざま思い巡らし、為習いたる故に、しか賢き人どもも出で来つるなりけり。然るをこの聖人というものは、神の如く、よに優れて、おのずからに奇しき徳あるものと思うは、僻事なり。
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