導師導古典を学びたいすべての人に

玉勝間 / 三の巻 から国にて孔丘が名をいむ事

もろこしの國に、今の清の代に、その王が、孔子の諱を避とて、丘ノ字の〓を省きて書く事をはじめて、秦漢より明に至るまで、夫子を尊む事を知らざりしと云ひて、いみしげにみづからほこれども、是れいとをこなる事なり。もしまことに孔丘をたふとむとならば、其道をこそよく行ふべき事なれ。その道をば、全くも行はずして、唯だ徒らに、其人のみをたふとまんは、何のいみしき事かあらむ、其道をだによく行ひなば、古へより忌む事無くて有り來つる、其文字は、今さら忌まずとて、なでふ事か有らむ。これただ道をたふとみがほして、世の人にいみしく思はせむ爲のはかりごとなり。すべてかの國人のしわざは、大かた古へより斯くの如くにして、聖賢と云ふ物をたふとむを、いみしき事にすなるは、皆まことに尊むにはあらず、名をむさぼるしわざなり。

新字:もろこしの国に、今の清の代に、その王が、孔子の諱を避とて、丘ノ字の〓を省きて書く事をはじめて、秦漢より明に至るまで、夫子を尊む事を知らざりしと云ひて、いみしげにみづからほこれども、是れいとをこなる事なり。もしまことに孔丘をたふとむとならば、其道をこそよく行ふべき事なれ。その道をば、全くも行はずして、唯だ徒らに、其人のみをたふとまんは、何のいみしき事かあらむ、其道をだによく行ひなば、古へより忌む事無くて有り来つる、其文字は、今さら忌まずとて、なでふ事か有らむ。これただ道をたふとみがほして、世の人にいみしく思はせむ為のはかりごとなり。すべてかの国人のしわざは、大かた古へより斯くの如くにして、聖賢と云ふ物をたふとむを、いみしき事にすなるは、皆まことに尊むにはあらず、名をむさぼるしわざなり。

書き下し

もろこしの国に、今の清の代に、その王が、孔子の諱を避くとて、丘の字の〓を省きて書く事をはじめて、秦漢より明に至るまで、夫子を尊む事を知らざりしと云いて、いみしげにみずからほこれども、是れいとおこなる事なり。もしまことに孔丘をとうとむとならば、其道をこそよく行うべき事なれ。その道をば、全くも行わずして、唯だ徒らに、其人のみをとうとまんは、何のいみしき事かあらむ、其道をだによく行いなば、古えより忌む事無くて有り来つる、其文字は、今さら忌まずとて、なでう事か有らむ。これただ道をとうとみがおして、世の人にいみしく思わせむ為のはかりごとなり。すべてかの国人のしわざは、大かた古えよりかくの如くにして、聖賢と云う物をとうとむを、いみしき事にすなるは、皆まことに尊むにはあらず、名をむさぼるしわざなり。

現代語訳

中国で、今の清の代に、その王が孔子の諱(いみな、実名)を避けるといって、「丘」の字の一部を省いて書くことを始め、秦・漢から明に至るまで孔夫子を尊ぶことを知らなかったと言って、いかにも立派そうに自ら誇っているが、これはたいへん愚かなことである。もし本当に孔丘(孔子)を尊ぶというのなら、その道をこそよく行うべきである。その道を全く行わずに、ただむやみにその人だけを尊ぶのは、何の立派なことがあろうか。その道さえよく行うなら、昔から忌むことなく使ってきたその文字を、今さら忌まないからといって、何の差し支えがあろうか。これはただ道を尊ぶふりをして、世の人に立派だと思わせるための策略である。およそあの国の人のしわざは、たいてい昔からこのようで、聖賢というものを尊ぶことを立派なこととしているのは、みな本当に尊んでいるのではなく、名声をむさぼるしわざである。

解説

清の雍正帝のころから、孔子の実名「丘」を避けて字画を欠いたり「邱」と書き換えたりする避諱が徹底された。宣長はこれを取り上げ、形ばかりの敬意だと切って捨てる。本当に孔子を尊ぶなら、その道を行えばよい。道を行わずに文字だけを忌むのは、道を尊ぶ顔をして世に立派だと思わせる策略にすぎない、と。そして矛先を中国の文化全体に広げ、聖賢を尊ぶこと自体が名声を求める振る舞いになっている、と断じる。これは宣長が一貫して批判した「漢意」、すなわち理屈や体裁で人の真心を覆い隠す態度への批判である。中国文化への評価として偏りがあるのは時代の言葉だが、敬意が形式に置き換わる危うさへの指摘は、組織や儀礼の場で今もそのまま当てはまる。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る