玉勝間 / 十四の巻 また
これら法によらず、唯だまことの物のままに書く故の失なり。又鳥虫を書くにこまかに委しくはあれども、飛動くさまの勢ひ無きが多し。草木を書くに葉も莖も地との際の筋を書かず。これ惡ろし。是れまた際の筋は實は無き物なれば實によれるなれども、繪に書く時にすぢ無くてはあざやかにわかれず。すべて萬づの物、その實の物は、何も無き所が地にて、何も無き所は色なき物なるを、繪は白きが地にして、何も無き所が白し。その白き所へ書く事なれば、實の何も無き空の地とは異なれば、きはの筋無き事あたはず。から繪に此筋の無きは此わきまへを知らざるなり。人の面を書くにはから繪と云へども、地とのきはの筋を書かざる事を得ず。又から繪は、木の枝ざし、草花のもとだち、葉のあり所など、法無きが如くにて、心にまかせて書く故に、とりしまり無し。家の画はみな法ありとおぼしくて、とりしまりよく拙きこと無し。大かた是等なべての唐画のつたなき所なり。
新字:これら法によらず、唯だまことの物のままに書く故の失なり。又鳥虫を書くにこまかに委しくはあれども、飛動くさまの勢ひ無きが多し。草木を書くに葉も茎も地との際の筋を書かず。これ悪ろし。是れまた際の筋は実は無き物なれば実によれるなれども、絵に書く時にすぢ無くてはあざやかにわかれず。すべて万づの物、その実の物は、何も無き所が地にて、何も無き所は色なき物なるを、絵は白きが地にして、何も無き所が白し。その白き所へ書く事なれば、実の何も無き空の地とは異なれば、きはの筋無き事あたはず。から絵に此筋の無きは此わきまへを知らざるなり。人の面を書くにはから絵と云へども、地とのきはの筋を書かざる事を得ず。又から絵は、木の枝ざし、草花のもとだち、葉のあり所など、法無きが如くにて、心にまかせて書く故に、とりしまり無し。家の画はみな法ありとおぼしくて、とりしまりよく拙きこと無し。大かた是等なべての唐画のつたなき所なり。
書き下し
これら法によらず、ただまことの物のままに書く故の失なり。又鳥虫を書くにこまかに委しくはあれども、飛び動くさまの勢い無きが多し。草木を書くに葉も茎も地との際の筋を書かず。これ悪ろし。これまた際の筋は実は無き物なれば実によれるなれども、絵に書く時にすじ無くてはあざやかにわかれず。すべて万ずの物、その実の物は、何も無き所が地にて、何も無き所は色なき物なるを、絵は白きが地にして、何も無き所が白し。その白き所へ書く事なれば、実の何も無き空の地とは異なれば、きわの筋無き事あたわず。から絵にこの筋の無きはこのわきまえを知らざるなり。人の面を書くにはから絵と云えども、地とのきわの筋を書かざる事を得ず。又から絵は、木の枝ざし、草花のもとだち、葉のあり所など、法無きが如くにて、心にまかせて書く故に、とりしまり無し。家の画はみな法ありとおぼしくて、とりしまりよく拙きこと無し。大かたこれらなべての唐画のつたなき所なり。
現代語訳
これらは法によらず、ただ本物のままに描くことによる失敗である。また鳥や虫を描くのに、細かく詳しくはあるが、飛んだり動いたりする様子の勢いがないものが多い。草木を描くのに、葉も茎も地との境の線を描かない。これは悪い。これもまた、境の線は実際にはないものなので、実物に従ったのではあるが、絵に描くときに線がなければはっきりと分かれない。およそすべての物は、実物では何もないところが地であって、何もないところは色のないものであるが、絵は白いのが地であって、何もないところが白い。その白いところへ描くのだから、実物の何もない空の地とは異なるので、境の線がないわけにはいかない。中国の絵にこの線がないのは、このわきまえを知らないのである。人の顔を描くには、中国の絵といっても、地との境の線を描かないわけにはいかない。また中国の絵は、木の枝ぶり、草花の根もとの立ち方、葉のある所などに法がないかのようで、心のままに描くので締まりがない。家の絵はみな法があると思われて、締まりがよく拙いことがない。おおよそこれらが、並の中国の絵の拙いところである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 またしかれども唐絵は、鳥獣虫魚草木など、すべてこの方の家のととくらぶれば、甚だ委しくこまかに書く故に、上手の書けるはまことに真のその物の如く見ゆなるを、この方の家々の絵は、獣の毛のさま、鳥の羽のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらく書ける故に、くらべて見ればから絵に、けおさるる事おおし。こは広き家の屏風壁などの絵は、やや遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかに委しく書けるは詮なく、なかなかによろしからざる事として、さらさらと書けるを善しとするなるべけれど、なおこまかに委しき唐画の方ぞまさりて見ゆる。大かたこの家々の画と、唐絵と、たがいに得たる所、得ぬ所ありて、勝劣を云いがたき事上の件の如し。又近きころは、家の法にもなずまず、唐絵の書きざまにもかたよらず、ただおのが心もて、いずかたにまれ善しと覚ゆる処をとりて書くたぐいも多き。そのすじは善きを択び悪ろきを捨てて書くゆえに、いずれもいみじき難はおさおさ見えざるなり。
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『玉勝間』十四の巻 また然れども、まことの物と絵とはことなる事も有りて、まことのあるままに書きては、かえりてその物に似ずして、悪しき事もある物なり。故にかの家々には法ありて、必ずしもその物のまことのままにはかかわらぬ事あるなり。こは法のいみじくして捨てがたき物なり。まず山水と云う絵、すべてここの家々の絵よろし。もろこしようはいといと悪ろくこちなく見ぐるしき事多し。これその法によらずして心にまかせて書く故なり。あるいは道あるまじき所に道を書き、橋あるまじき所に橋を書き、その外いわお草木など、書きて悪ろき所に書き、多くてよき所には少なく、多くて悪ろき所に多く書くたぐい、すべて物の書き所わろく、草木岩根のたたずまい、さかしき峰のさまなど、拙なく見ぐるしき事、大かたこれらは上手の絵の中にもこの難は有るなり。かの家々のはかかる事もみな法ありて書く故につたなからず。又から絵に舟を書くに、斜めに書くこと多きもいたく悪ろし。大かた船の行くことは斜めに見ゆる事も常にあれども、絵に書きてはわろきなり。斜めに書けるは、水のうえにたいらに浮かべりとは見えず。しり上がりてくつがえらむとするさまに見ゆるなり。
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『玉勝間』十四の巻 またこれから国にさようの松の、一種有るにはあらず。ただ世のつねの松なるを、書きさまの拙きなり。然るをよきことにして、守りて書き伝えたるはいとおかし。大かたもろもろの絵の中に、うるさく心づきなきは、拙く書ける墨絵、このから松、人物の衣の折目の筋ふとき、さてはだるま、布袋、福禄寿など云うもののかた、すべてこれら、一目見るもうるさく、二度と見やらんとも覚えずなん。大かた旧き定めを守るは、いと善き事なれども、そは事により、物にこそよるべけれ。絵などは必ずしも然るべからず。他の善きを見て、うつる事あたわざるはいとかたくななり。されど又、家の法と云う中に、いといとよろしく、まことに、屋上を去りて内を見する事、雲をへだてて遠近をわかつ事、さるべき事にて、その法にはずれては、いと悪しき事も多くして、今時の心にまかせて書き散らす絵どもの、及びがたき事も多かりかし。又今の世に、もろこしのふりとてまねびたるさまざま有り。その大かたは、まず何を書くにも、まことの物のようをよく見てまねび書く、これを生うつしとか云う。こはまことによろしかるべく覚ゆることなり。
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『玉勝間』十四の巻 絵の事人の像を写す事は、つとめてその人の形に似む事を要す。面ようは更にも云わず、そのなりすがた衣服のさまに至るまで、よく似たらむと心すべし。されば人の像は、つとめて委しくこまかに写すべき事なり。然るに今の世には、人の像を写すとても、ただおのが筆のいきおいを見せんとし、絵のさまを雅にせむとするほどに、まことの形にはさらに似ず。又真の形に似むことをば要せず。ただ筆の勢いを見せ、絵のさまを雅にせんとする事をむねとするから、すべてことそぎて委しからず、さらさらと書く故に、面ようなど、その人に似ざるのみならず、甚だいやしき賤やまがつの顔ようにて、さらに君子有徳の人の顔つきにあらず。これいとにくむべき事なり。
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『玉勝間』十四の巻 またおのれ、絵の事はさらに知らねば、とかく云うべきにあらざるに似たれども、万ずの事おのが善き悪しきはえ知らで、かたわらよりはよく見ゆる物なり、もろもろの芸などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえ知らで、かえりて他より善き悪しきさまのよく見ゆる事あり。絵もさる心ばえあれば、今おのが思うすじを云うなり。まずやまともろこしの古えより、代々の絵の事は、あまたも見あつめず、委しく知らねば、さしおきて、ただ今の世に常に見およぶ処をもて云わん。そはまず、墨絵、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざま有る中に、墨絵と云うは、ただ墨をべたべたと書きて、筆数すくなく、万ずをことそぎて、かろがろと書きて、その物と見ゆる、こはただ筆の力いきおいを見せたる物なれば、至りて上手の書けるは、げにこうも書くべしと覚えて、見所あるも有れど、おしなべての絵師の書けるは、見どころ無く心づきなき物なり。さるを世の人、ただこの墨絵をことにいみじき事にしてめずるは、世のならいに従う心にて、まことには見どころ無き物なり。近き世に茶の湯と云うわざを好むともがらなど、殊にこの墨絵をのみめでて、さいしき絵はすべてとらず。
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『玉勝間』十四の巻 またこれもその人々、まことに然思いとれるにはあらず。ただその道の祖の定めおきつる心ばえを守りて、然るなり。すべてこの茶の湯にめずる筋は、絵も、書も、さらに見どころ無くおかしからぬ物なるを、かたく守りて尊むは、いといとかたくななる事なり。さてうすざいしきは、懐かしくやわらびておかし。ごくざいしきと云うに至りては、物によりてめでたきも有り。又稀れには余りこちたく見えてうるさき所も有るなり。水を紺青と云う物して書けるたぐい、殊にこちたし。さて絵の流、さまざま有る中に、昔よりこれを業とたてたる家々あり。大かたこの家々の絵は、その家々の伝ありて、法をのみ重く守りて、必ずしもその物のまことのさまをば問わず。この家と云うすじの絵に、善きことあり、悪しき事あり。まずかの位高き人の顔のいやしげに見え、美女の顔ふくらかにて見にくきなど、いといと心づきなし。又人の衣服のきわ、折目などの筋を、いと太く書けるもかたわなり。これら皆、筆の力を見せむとするしわざなり。もろこしの松を書くに、一種から松と云いて、必ずことなる松を書くは、思うに昔かの国人の書ける絵に、さるさまの松ありけむをならい伝えたるならむ。
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