玉勝間 / 十四の巻 また
しかれども唐繪は、鳥獸虫魚草木など、すべて此方の家のととくらぶれば、甚委しくこまかに書く故に、上手の書けるはまことに眞のその物の如く見ゆなるを、此方の家家の繪は、獸の毛のさま、鳥の羽のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらく書ける故に、くらべて見ればからゑに、けおさるる事おほし。こは廣き家の屏風壁などの繪は、やや遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかに委しく書けるは詮なく、中中によろしからざる事として、さらさらと書るを善しとするなるべけれど、猶こまかに委しき唐画の方ぞまさりて見ゆる。大かた此家家の画と、唐繪と、たがひに得たる所、得ぬ所ありて、勝劣を云ひがたき事上件の如し。又近きころは、家の法にもなづまず、唐繪の書きざまにもかたよらず、唯だおのが心もて、いづかたにまれ善しと覺ゆる處をとりて書くたぐひも多き。そのすぢは善きを擇ひ惡ろきを捨てて書ゆゑに、何れもいみしきなんはをさをさ見えざるなり。
新字:しかれども唐絵は、鳥獣虫魚草木など、すべて此方の家のととくらぶれば、甚委しくこまかに書く故に、上手の書けるはまことに真のその物の如く見ゆなるを、此方の家家の絵は、獣の毛のさま、鳥の羽のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらく書ける故に、くらべて見ればからゑに、けおさるる事おほし。こは広き家の屏風壁などの絵は、やや遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかに委しく書けるは詮なく、中中によろしからざる事として、さらさらと書るを善しとするなるべけれど、猶こまかに委しき唐画の方ぞまさりて見ゆる。大かた此家家の画と、唐絵と、たがひに得たる所、得ぬ所ありて、勝劣を云ひがたき事上件の如し。又近きころは、家の法にもなづまず、唐絵の書きざまにもかたよらず、唯だおのが心もて、いづかたにまれ善しと覚ゆる処をとりて書くたぐひも多き。そのすぢは善きを択ひ悪ろきを捨てて書ゆゑに、何れもいみしきなんはをさをさ見えざるなり。
書き下し
しかれども唐絵は、鳥獣虫魚草木など、すべてこの方の家のととくらぶれば、甚だ委しくこまかに書く故に、上手の書けるはまことに真のその物の如く見ゆなるを、この方の家々の絵は、獣の毛のさま、鳥の羽のさま、草木の花のしべ、葉のあやなど、すべてあらく書ける故に、くらべて見ればから絵に、けおさるる事おおし。こは広き家の屏風壁などの絵は、やや遠く見ゆる物なる故に、あまりこまかに委しく書けるは詮なく、なかなかによろしからざる事として、さらさらと書けるを善しとするなるべけれど、なおこまかに委しき唐画の方ぞまさりて見ゆる。大かたこの家々の画と、唐絵と、たがいに得たる所、得ぬ所ありて、勝劣を云いがたき事上の件の如し。又近きころは、家の法にもなずまず、唐絵の書きざまにもかたよらず、ただおのが心もて、いずかたにまれ善しと覚ゆる処をとりて書くたぐいも多き。そのすじは善きを択び悪ろきを捨てて書くゆえに、いずれもいみじき難はおさおさ見えざるなり。
現代語訳
けれども中国の絵は、鳥獣・虫魚・草木など、すべて我が国の家の絵と比べると、たいへん詳しく細かく描くので、上手な人が描いたものはまことに本物そのもののように見えるのに、我が国の家々の絵は、獣の毛の様子、鳥の羽の様子、草木の花のしべ、葉の模様など、すべて粗く描くので、比べて見ると中国の絵に圧倒されることが多い。これは、広い家の屏風や壁などの絵はやや遠くから見るものなので、あまり細かく詳しく描いても甲斐がなく、かえってよくないこととして、さらさらと描いたものをよしとするのであろうが、それでもやはり細かく詳しい中国の絵のほうが優れて見える。おおよそこの家々の絵と中国の絵とは、互いに得意なところと不得意なところがあって、優劣を言いがたいことは、以上に述べたとおりである。また近ごろは、家の法にもこだわらず、中国の絵の描き方にも偏らず、ただ自分の心で、どちらであれよいと思うところを取って描く類いも多い。その流れは、善いものを選び悪いものを捨てて描くので、どれもひどい欠点はほとんど見えないのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十四の巻 またこれら法によらず、ただまことの物のままに書く故の失なり。又鳥虫を書くにこまかに委しくはあれども、飛び動くさまの勢い無きが多し。草木を書くに葉も茎も地との際の筋を書かず。これ悪ろし。これまた際の筋は実は無き物なれば実によれるなれども、絵に書く時にすじ無くてはあざやかにわかれず。すべて万ずの物、その実の物は、何も無き所が地にて、何も無き所は色なき物なるを、絵は白きが地にして、何も無き所が白し。その白き所へ書く事なれば、実の何も無き空の地とは異なれば、きわの筋無き事あたわず。から絵にこの筋の無きはこのわきまえを知らざるなり。人の面を書くにはから絵と云えども、地とのきわの筋を書かざる事を得ず。又から絵は、木の枝ざし、草花のもとだち、葉のあり所など、法無きが如くにて、心にまかせて書く故に、とりしまり無し。家の画はみな法ありとおぼしくて、とりしまりよく拙きこと無し。大かたこれらなべての唐画のつたなき所なり。
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『玉勝間』十四の巻 またおのれ、絵の事はさらに知らねば、とかく云うべきにあらざるに似たれども、万ずの事おのが善き悪しきはえ知らで、かたわらよりはよく見ゆる物なり、もろもろの芸などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえ知らで、かえりて他より善き悪しきさまのよく見ゆる事あり。絵もさる心ばえあれば、今おのが思うすじを云うなり。まずやまともろこしの古えより、代々の絵の事は、あまたも見あつめず、委しく知らねば、さしおきて、ただ今の世に常に見およぶ処をもて云わん。そはまず、墨絵、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざま有る中に、墨絵と云うは、ただ墨をべたべたと書きて、筆数すくなく、万ずをことそぎて、かろがろと書きて、その物と見ゆる、こはただ筆の力いきおいを見せたる物なれば、至りて上手の書けるは、げにこうも書くべしと覚えて、見所あるも有れど、おしなべての絵師の書けるは、見どころ無く心づきなき物なり。さるを世の人、ただこの墨絵をことにいみじき事にしてめずるは、世のならいに従う心にて、まことには見どころ無き物なり。近き世に茶の湯と云うわざを好むともがらなど、殊にこの墨絵をのみめでて、さいしき絵はすべてとらず。
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『玉勝間』十四の巻 また然れども、まことの物と絵とはことなる事も有りて、まことのあるままに書きては、かえりてその物に似ずして、悪しき事もある物なり。故にかの家々には法ありて、必ずしもその物のまことのままにはかかわらぬ事あるなり。こは法のいみじくして捨てがたき物なり。まず山水と云う絵、すべてここの家々の絵よろし。もろこしようはいといと悪ろくこちなく見ぐるしき事多し。これその法によらずして心にまかせて書く故なり。あるいは道あるまじき所に道を書き、橋あるまじき所に橋を書き、その外いわお草木など、書きて悪ろき所に書き、多くてよき所には少なく、多くて悪ろき所に多く書くたぐい、すべて物の書き所わろく、草木岩根のたたずまい、さかしき峰のさまなど、拙なく見ぐるしき事、大かたこれらは上手の絵の中にもこの難は有るなり。かの家々のはかかる事もみな法ありて書く故につたなからず。又から絵に舟を書くに、斜めに書くこと多きもいたく悪ろし。大かた船の行くことは斜めに見ゆる事も常にあれども、絵に書きてはわろきなり。斜めに書けるは、水のうえにたいらに浮かべりとは見えず。しり上がりてくつがえらむとするさまに見ゆるなり。
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『玉勝間』十四の巻 またこれから国にさようの松の、一種有るにはあらず。ただ世のつねの松なるを、書きさまの拙きなり。然るをよきことにして、守りて書き伝えたるはいとおかし。大かたもろもろの絵の中に、うるさく心づきなきは、拙く書ける墨絵、このから松、人物の衣の折目の筋ふとき、さてはだるま、布袋、福禄寿など云うもののかた、すべてこれら、一目見るもうるさく、二度と見やらんとも覚えずなん。大かた旧き定めを守るは、いと善き事なれども、そは事により、物にこそよるべけれ。絵などは必ずしも然るべからず。他の善きを見て、うつる事あたわざるはいとかたくななり。されど又、家の法と云う中に、いといとよろしく、まことに、屋上を去りて内を見する事、雲をへだてて遠近をわかつ事、さるべき事にて、その法にはずれては、いと悪しき事も多くして、今時の心にまかせて書き散らす絵どもの、及びがたき事も多かりかし。又今の世に、もろこしのふりとてまねびたるさまざま有り。その大かたは、まず何を書くにも、まことの物のようをよく見てまねび書く、これを生うつしとか云う。こはまことによろしかるべく覚ゆることなり。
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『玉勝間』十四の巻 絵の事人の像を写す事は、つとめてその人の形に似む事を要す。面ようは更にも云わず、そのなりすがた衣服のさまに至るまで、よく似たらむと心すべし。されば人の像は、つとめて委しくこまかに写すべき事なり。然るに今の世には、人の像を写すとても、ただおのが筆のいきおいを見せんとし、絵のさまを雅にせむとするほどに、まことの形にはさらに似ず。又真の形に似むことをば要せず。ただ筆の勢いを見せ、絵のさまを雅にせんとする事をむねとするから、すべてことそぎて委しからず、さらさらと書く故に、面ようなど、その人に似ざるのみならず、甚だいやしき賤やまがつの顔ようにて、さらに君子有徳の人の顔つきにあらず。これいとにくむべき事なり。
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『玉勝間』十四の巻 又世に武者絵と云いて、たけき人の戦いのさまを書く、そのかおよう人とも見えず、目丸く大きに、鼻いかり口おおきにて、すべて鬼の如し。いかに猛きさまを見せむとすればとて、人にもあらず、しか鬼のようには書くべきわざかは。ただ穏やかに人と見えて、然もたけき勢い有るさまにこそ書くべけれ。或るから書に、皇国の絵の事を、云えるに、その人夜叉羅刹の如しと云えり。思うにこの鬼の如く書ける武者絵を見て云えるなるべし。されどかの国人は皇国人のさまをば見知らねば、さ云える書を読みては、日本人の顔はすべて皆、鬼の如くなる物とぞ心得らむ。すべての事、皇国人は、もろこしの事は、から国のもろもろの書を読む故に、よく知れるを、もろこし人は、皇国の書を読む事無ければ、皇国の事は知らず。稀れ稀れには、かの国の書の中に云える事あれば、それを定として心得る事ぞかし。皇国の人物の絵も、異国の人の見ては、それを定とする事なれば、かの位高き人のかおを山がつの如くいやしく書きなし、かおよき女のかおを見にくく書きなせるなどを、異国人の見たらむには、日本人は形いやしく女も皆見にくき事ぞとぞ心得べき。こは異国人のみにもあらず。同じ皇国人にても、知らぬ昔の人のかおは、絵に書けるを一度見れば、おのずからその面影を、その人の顔と思わるる物ぞかし。
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