導師導古典を学びたいすべての人に

玉勝間 / 十四の巻 また

然れども、まことの物と繪とはことなる事も有りて、まことのあるままに書きては、かへりて其物に似ずして、惡しき事もある物なり。故にかの家家には法ありて、必ずしもその物のまことのままにはかかはらぬ事あるなり。こは法のいみしくして捨てがたき物なり。まづ山水と云ふ繪、すべてここの家家の繪よろし。もろこしやうはいといと惡ろくこちなく見ぐるしき事多し。これその法によらずして心にまかせて書く故なり。あるひは道あるまじき所に道を書き、橋あるまじき所に橋を書き、その外いはほ草木など、書きて惡ろき所に書き、多くてよき所には少く、多くて惡ろき所に多く書くたぐひ、すべて物の書き所わろく、草木岩根のたたずまひ、さかしき峰のさまなど、拙なく見ぐるしき事、大かたこれらは上手の繪の中にも此なんは有るなり。かの家家のは斯かる事もみな法ありて書く故につたなからず。又から繪に舟を書くに、斜に書くこと多きもいたく惡ろし。大かた船の行くことは斜に見ゆる事も常にあれども、繪に書きてはわろきなり。斜に書けるは、水のうへにたひらに浮べりとは見えず。しり上がりてくつがへらむとするさまに見ゆるなり。

新字:然れども、まことの物と絵とはことなる事も有りて、まことのあるままに書きては、かへりて其物に似ずして、悪しき事もある物なり。故にかの家家には法ありて、必ずしもその物のまことのままにはかかはらぬ事あるなり。こは法のいみしくして捨てがたき物なり。まづ山水と云ふ絵、すべてここの家家の絵よろし。もろこしやうはいといと悪ろくこちなく見ぐるしき事多し。これその法によらずして心にまかせて書く故なり。あるひは道あるまじき所に道を書き、橋あるまじき所に橋を書き、その外いはほ草木など、書きて悪ろき所に書き、多くてよき所には少く、多くて悪ろき所に多く書くたぐひ、すべて物の書き所わろく、草木岩根のたたずまひ、さかしき峰のさまなど、拙なく見ぐるしき事、大かたこれらは上手の絵の中にも此なんは有るなり。かの家家のは斯かる事もみな法ありて書く故につたなからず。又から絵に舟を書くに、斜に書くこと多きもいたく悪ろし。大かた船の行くことは斜に見ゆる事も常にあれども、絵に書きてはわろきなり。斜に書けるは、水のうへにたひらに浮べりとは見えず。しり上がりてくつがへらむとするさまに見ゆるなり。

書き下し

然れども、まことの物と絵とはことなる事も有りて、まことのあるままに書きては、かえりてその物に似ずして、悪しき事もある物なり。故にかの家々には法ありて、必ずしもその物のまことのままにはかかわらぬ事あるなり。こは法のいみじくして捨てがたき物なり。まず山水と云う絵、すべてここの家々の絵よろし。もろこしようはいといと悪ろくこちなく見ぐるしき事多し。これその法によらずして心にまかせて書く故なり。あるいは道あるまじき所に道を書き、橋あるまじき所に橋を書き、その外いわお草木など、書きて悪ろき所に書き、多くてよき所には少なく、多くて悪ろき所に多く書くたぐい、すべて物の書き所わろく、草木岩根のたたずまい、さかしき峰のさまなど、拙なく見ぐるしき事、大かたこれらは上手の絵の中にもこの難は有るなり。かの家々のはかかる事もみな法ありて書く故につたなからず。又から絵に舟を書くに、斜めに書くこと多きもいたく悪ろし。大かた船の行くことは斜めに見ゆる事も常にあれども、絵に書きてはわろきなり。斜めに書けるは、水のうえにたいらに浮かべりとは見えず。しり上がりてくつがえらむとするさまに見ゆるなり。

現代語訳

けれども、本物と絵とは異なることもあって、本物のあるがままに描いては、かえってその物に似ずに悪いこともあるものである。だからあの家々には法があって、必ずしもその物の本当の姿のままにはこだわらないことがあるのである。これは法がすばらしくて捨てがたいところである。まず山水という絵は、すべて我が国の家々の絵がよい。中国風はたいへん悪く、無骨で見苦しいことが多い。これは法によらずに心のままに描くからである。あるいは道のあるはずのない所に道を描き、橋のあるはずのない所に橋を描き、そのほか岩や草木なども、描いては悪い所に描き、多くてよい所には少なく、多くて悪い所に多く描くといった類いで、すべて物の描き所が悪く、草木や岩の根のたたずまい、険しい峰の様子など、拙く見苦しいことは、おおよそ上手な人の絵の中にもこの欠点があるのである。あの家々の絵はこうしたこともみな法があって描くので、拙くはない。また中国の絵で舟を描くのに、斜めに描くことが多いのもひどく悪い。おおよそ船の進むのは斜めに見えることもよくあるが、絵に描いては悪いのである。斜めに描いたものは、水の上に平らに浮かんでいるとは見えない。船尾が上がってひっくり返ろうとしている様子に見えるのである。

解説

前段で写生を評価した宣長は、ここで一転して、本物をそのまま写すとかえって本物らしく見えないことがあると指摘する。家々の絵の法は、その問題を解決するために積み重ねられた工夫であって、捨てがたいというのである。例として山水画を挙げ、中国風の絵は法によらず思いのままに描くので、道や橋や岩や草木の置き所がおかしく、名手の絵にもその欠点があるとする。絵は現実の複製ではなく、見る人の目にどう映るかを計算した表現であり、その計算が「法」として伝えられてきたという理解である。前の段で型の惰性を批判しつつ、ここでは型の知恵を擁護しており、宣長は伝統を一律に肯定も否定もせず、理由のある型と理由を失った型とを見分けようとしている。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る