史記 / 孟子荀卿列伝
淳于髡、齊人也。博聞彊記、學無所主。其諫說、慕晏嬰之為人也、然而承意觀色為務。客有見髡於梁惠王、惠王屏左右、獨坐而再見之、終無言也。惠王怪之、以讓客。髡曰、吾前見王、王志在驅逐、後復見王、王志在音聲、吾是以默然。客具以報王、王大駭曰、嗟乎、淳于先生誠聖人也。前先生之來、人有獻善馬者、寡人未及視。後先生之來、人有獻謳者、未及試。寡人雖屏人、然私心在彼、有之。
新字:淳于髡、斉人也。博聞彊記、學無所主。其諫説、慕晏嬰之為人也、然而承意観色為務。客有見髡於梁恵王、恵王屏左右、独坐而再見之、終無言也。恵王怪之、以譲客。髡曰、吾前見王、王志在駆逐、後復見王、王志在音声、吾是以黙然。客具以報王、王大駭曰、嗟乎、淳于先生誠聖人也。前先生之来、人有献善馬者、寡人未及視。後先生之来、人有献謳者、未及試。寡人雖屏人、然私心在彼、有之。
書き下し
淳于髡は、斉人なり。博聞彊記、学に主とする所無し。其の諫説は、晏嬰の人と為りを慕ふなり。然れども意を承け色を観るを務めと為す。客に髡を梁の恵王に見えしむる有り。恵王左右を屏け、独り坐して再び之に見ゆるも、終に言無し。恵王之を怪しみ、以て客を讓む。髡曰く、「吾前に王に見ゆるや、王の志は駆逐に在り、後に復た王に見ゆるや、王の志は音声に在り、吾是を以て黙然たり」と。客具に以て王に報ず。王大いに駭きて曰く、「嗟乎、淳于先生は誠に聖人なり。前に先生の来たるや、人に善馬を献ずる者有り、寡人未だ視るに及ばず。後に先生の来たるや、人に謳を献ずる者有り、未だ試むるに及ばず。寡人人を屏くと雖も、然れども私心彼に在り、之有り」と。
現代語訳
「相手の心が今どこにあるかを見抜き、その状態でない限り語らない」——傾聴と観察に基づく説得の達人・淳于髡の慧眼を描いた一段です。淳于髡が梁の恵王に謁見したとき、王がわざわざ人払いをして二度も向き合ったにもかかわらず、髡は一言も話しませんでした。不審に思った王が理由を問うと、髡はこう答えます。「最初にお会いしたとき、王の心は(狩りや)馬を駆ることに向いていました。次にお会いしたときは、音楽のことで頭がいっぱいでした。だから私は黙っていたのです」。王は驚愕して認めます。実際、一度目の面会の直前には良馬の献上があって心がそちらにあり、二度目の前には歌い手の献上があって気もそぞろだった、と。表向きは真剣に向き合っているようでも、王の心は上の空だった。それを髡は見抜き、「相手が本当に聞く状態にないときに語っても無駄だ」と判断して、あえて沈黙したのです。ここに、コミュニケーションの深い知恵があります。第一に、どんなに重要な話でも、相手の心がそこに向いていなければ、言葉は届かない。相手が上の空だったり、別のことに気を取られていたりするときに無理に話しても、労力の無駄です。第二に、だからこそ、話す前に「相手は今、本当に聞く状態にあるか」を観察する。相手の関心・感情の状態を読み取り、機が熟していなければ、あえて待つ・語らないという選択も、優れた説得者の技術です。韓非が「説難」で説いた「相手の心を知る」を、髡は沈黙という形で実践しました。組織や商談でも、伝えたい内容の準備ばかりに注力し、「相手が今それを受け取れる状態か」への観察を怠っていないか。相手の状態を見極め、タイミングを選ぶ——この傾聴と観察の姿勢が、伝わるコミュニケーションの前提だと教えます。