葉隠 / 聞書第一
手跡の行儀正しく、疎略なきより上は有るまじけれども、其の分にては、堅くれ賤しく見ゆるなり。此の上に、格をははなれたる姿有るべし。諸事に此の理有るべし。
書き下し
手跡(しゅせき)の行儀正しく、疎略(そりゃく)なきより上はあるまじけれども、その分にては、堅(かた)くれ賤(いや)しく見ゆるなり。この上に、格(かく)を離(はな)れたる姿あるべし。諸事(しょじ)にこの理(ことわり)あるべし。
現代語訳
筆跡は行儀正しく、いい加減なところがないのが最上ではあるが、そこにとどまっていると、型どおりで堅苦しく、かえって品がなく見える。その上に、型を離れた自在な姿があるはずだ。何事にもこの道理があてはまる。
解説
書の上達を例に、技芸や物事の到達段階を説いた一節です。まず基本の型を崩さず、乱れなく整えることが土台になります。しかしそこで満足すると、規則に縛られて堅苦しく、かえって味気なくなる。型を極めた先に、あえて型を離れた自在の境地がある、と説きます。これは芸道でいう「守破離」の考えに通じ、葉隠が武士の日常の所作や修行にも同じ道理を見ていたことがわかります。現代の仕事でも、まず基本を徹底して身につけ、そのうえで型を超えた自分らしい工夫へ進む段階があるでしょう。基本を飛ばした自由はただの崩れですが、基本を経た自由は品格になります。順序を取り違えないことが肝心です。
この章句が説くこと
型守破離基本の徹底自在の境地上達の段階品格
関連する章句
-
論語・先進篇子張、善人の道を問う。子曰く、「跡を践まずんば、亦た室に入らず。」
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「羿(ゲイ)の人に射を教うるには、必ず彀(コウ)に志す。學者も亦た必ず彀に志す。大匠の人に誨うるには、必ず規矩を以てす。學者も亦た必ず規矩を以てす。」
-
伝習録・教約凡そ書を授くるは徒らに多きに在らず。但だ精熟を貴ぶ。其の資稟を量り、二百字を能くする者は止だ以て一百字を授くべし。常に精神力量をして余り有らしむれば、則ち厭苦の患い無くして、自得の美有り。諷誦の際は、務めて専心一志、口に誦し心に惟い、字字句句、紬繹反覆し、其の音節を抑揚し、其の心意を寛虚にせしめよ。久しければ則ち義理は浹洽し、聡明は日に開かん。
-
伝習録・教約凡そ習礼は須らく心を澄まし慮りを粛しくし、其の儀節を審らかにし、其の容止を度り、忽(ゆるが)せにして惰る毋く、沮みて怍(は)ずる毋く、径にして野なる毋く、従容にして之を迂緩に失せず、脩謹にして之を拘局に失せざるべし。久しければ則ち礼貌は習熟し、徳性は堅定ならん。童生の班次は皆な歌詩の如し。一日を間(お)く毎に、則ち一班を輪して礼を習わしめ、其の余は皆な席に就きて容を斂め粛観す。習礼の日は、其の課仿を免ず。十日毎に則ち四班を総べて本学に遞習す。朔望毎に、則ち各学を集めて書院に会習す。
-
伝習録・徐愛録愛問う、「先生は『博文』を以て『約礼』の功夫と為す。深く之を思うも、未だ得る能わず。略ぼ開示せんことを請う」と。先生曰く、「『礼』の字は即ち是れ『理』の字なり。『理』の発見して見るべき者、之を『文』と謂う。『文』の隠微にして見るべからざる者、之を『理』と謂う。只だ是れ一物なり。『約礼』は、只だ是れ此の心を純ら是れ一個の天理ならしめんことを要す。此の心を純ら是れ天理ならしめんことを要せば、須らく『理』の発見する処に就きて功を用うべし。如し親に事うる時に発見せば、就ち親に事うるの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。君に事うる時に発見せば、就ち君に事うるの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。富貴・貧賤に処る時に発見せば、就ち富貴・貧賤に処るの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。患難・夷狄に処る時に発見せば、就ち患難・夷狄に処るの上に在りて此の天理を存するを学ぶ。作止・語黙に至るまで、処として然らざる無し。他の発見する処に随いて、即ち就ち那の上面に個の天理を存するを学ぶ。這れ便ち是れ『之を文に博学す』なり。便ち是れ『約礼』の功夫なり。『博文』は即ち是れ『惟精』なり。『約礼』は即ち是れ『惟一』なり」と。
-
伝習録・教約毎日の工夫は、先ず徳を考え、次に書を背し書を誦し、次に礼を習い或いは課仿を作し、次に復た書を誦し書を講じ、次に詩を歌う。凡そ習礼・歌詩の類は、皆な常に童子の心を存し、其れをして習うを楽しみて倦まず、而して邪僻に及ぶの瑕無からしむる所以なり。教うる者、此くの如くんば、則ち施す所を知らん。然りと雖も、此れ其の大略なり。神にして之を明らかにするは、則ち其の人に存す。