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玉勝間 / 十四の巻 また

おのれ、繪の事はさらに知らねば、とかく云ふべきにあらざるに似たれども、萬づの事おのが善き惡しきはえ知らで、かたはらよりはよく見ゆる物なり、もろもろの藝などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえ知らで、かへりて他より善き惡しきさまのよく見ゆる事あり。繪もさる心ばへあれば、今おのが思ふすぢを云ふなり。まづやまともろこしの古、より、代代の繪の事は、あまたも見あつめず、委しく知らねば、さしおきて、唯だ今の世に常に見およぶ處をもて云はん。そはまづ、墨繪、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざま有る中に、墨繪と云ふは、唯だ墨をべたべたと書て、筆數すくなく、萬づをことそぎて、かろがろと書きて、その物と見ゆる、こは唯だ筆の力いきほひを見せたる物なれば、至りて上手の書けるは、げにかうも書べしと覺えて、見所あるも有れど、おしなへての繪師の書けるは、見どころ無く心づきなき物なり。さるを世の人、唯だ此墨繪をことにいみしき事にしてめづるは、世のならひに從ふ心にて、まことには見どころ無き物なり。近き世に茶の湯と云ふわざを好むともがらなど、殊に此墨繪をのみめでて、さいしき繪はすべてとらず。

新字:おのれ、絵の事はさらに知らねば、とかく云ふべきにあらざるに似たれども、万づの事おのが善き悪しきはえ知らで、かたはらよりはよく見ゆる物なり、もろもろの芸などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえ知らで、かへりて他より善き悪しきさまのよく見ゆる事あり。絵もさる心ばへあれば、今おのが思ふすぢを云ふなり。まづやまともろこしの古、より、代代の絵の事は、あまたも見あつめず、委しく知らねば、さしおきて、唯だ今の世に常に見およぶ処をもて云はん。そはまづ、墨絵、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざま有る中に、墨絵と云ふは、唯だ墨をべたべたと書て、筆数すくなく、万づをことそぎて、かろがろと書きて、その物と見ゆる、こは唯だ筆の力いきほひを見せたる物なれば、至りて上手の書けるは、げにかうも書べしと覚えて、見所あるも有れど、おしなへての絵師の書けるは、見どころ無く心づきなき物なり。さるを世の人、唯だ此墨絵をことにいみしき事にしてめづるは、世のならひに従ふ心にて、まことには見どころ無き物なり。近き世に茶の湯と云ふわざを好むともがらなど、殊に此墨絵をのみめでて、さいしき絵はすべてとらず。

書き下し

おのれ、絵の事はさらに知らねば、とかく云うべきにあらざるに似たれども、万ずの事おのが善き悪しきはえ知らで、かたわらよりはよく見ゆる物なり、もろもろの芸などもそのでうにて、その道の人は、なかなかにえ知らで、かえりて他より善き悪しきさまのよく見ゆる事あり。絵もさる心ばえあれば、今おのが思うすじを云うなり。まずやまともろこしの古えより、代々の絵の事は、あまたも見あつめず、委しく知らねば、さしおきて、ただ今の世に常に見およぶ処をもて云わん。そはまず、墨絵、うすざいしき、ごくざいしきなど、さまざま有る中に、墨絵と云うは、ただ墨をべたべたと書きて、筆数すくなく、万ずをことそぎて、かろがろと書きて、その物と見ゆる、こはただ筆の力いきおいを見せたる物なれば、至りて上手の書けるは、げにこうも書くべしと覚えて、見所あるも有れど、おしなべての絵師の書けるは、見どころ無く心づきなき物なり。さるを世の人、ただこの墨絵をことにいみじき事にしてめずるは、世のならいに従う心にて、まことには見どころ無き物なり。近き世に茶の湯と云うわざを好むともがらなど、殊にこの墨絵をのみめでて、さいしき絵はすべてとらず。

現代語訳

私は絵のことはまったく知らないので、あれこれ言うべきではないように思われるが、何事も自分の善し悪しは分からず、はたからのほうがよく見えるものである。さまざまな芸事なども同じで、その道の人はかえって分からず、むしろ他人のほうが善し悪しがよく見えることがある。絵にもそうしたところがあるので、今、私の思う筋を言うのである。まず、日本や中国の古くからの代々の絵のことは、たくさん見集めてもおらず、詳しく知らないので差し置いて、ただ今の世でふだん目にするところによって言おう。それはまず、墨絵、薄彩色、濃彩色など、さまざまある中で、墨絵というのは、ただ墨をべたべたと塗って、筆数が少なく、何もかも省略して軽々と描いて、それらしく見えるものである。これはただ筆の力や勢いを見せたものなので、きわめて上手な人が描いたものは、なるほどこうも描くべきだと思われて見所のあるものもあるが、並の絵師の描いたものは、見所がなく気に入らないものである。それなのに世の人が、ただこの墨絵をとりわけすばらしいものとして愛でるのは、世の習わしに従う心からであって、本当は見所のないものである。近ごろ茶の湯という芸事を好む人たちなどは、とりわけこの墨絵ばかりを愛でて、彩色の絵はまったく取り上げない。

解説

絵についての長い論の始まりである。宣長はまず、自分は絵を知らないが、何事も当事者より傍らの者のほうが善し悪しがよく見えるので、あえて言うと断る。そして、墨絵・薄彩色・濃彩色のうち、まず墨絵を取り上げる。墨絵は筆数を省いて筆の勢いを見せるもので、名手のものには見所があるが、並の絵師のものはつまらない。それなのに世の人が墨絵を特にありがたがるのは、世の風潮に従っているだけで、本心から良いと思っているのではないと言う。とりわけ茶の湯を好む人々が墨絵ばかりを尊び、彩色画を退けることに疑問を呈している。権威や流行による評価と、自分の目で見た評価とを分けよという主張は、宣長が学問で説く「自分の目で確かめよ」という姿勢と同じ根から出ている。

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