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玉勝間 / 十四の巻 又

世に武者繪と云ひて、たけき人の戰ひのさまを書く、其かほやう人とも見えず、目丸く大きに、鼻いかり口おほきにて、すべて鬼の如し。いかに猛きさまを見せむとすればとて、人にもあらず、しか鬼のやうには書べきわざかは。唯だ穩かに人と見えて、然もたけき勢ひ有るさまにこそ書くべけれ。或から書に、皇國の繪の事を、云へるに、その人夜叉羅刹の如しと云へり。思ふにこの鬼の如く書ける武者繪を見て云へるなるべし。されどかの國人は皇國人のさまをば見知らねば、さ云へる書を讀みては、日本人の顏はすべて皆、鬼の如くなる物とぞ心得らむ。すべての事、皇國人は、もろこしの事は、から國のもろもろの書を讀む故に、よく知れるを、もろこし人は、皇國の書を讀む事無ければ、皇國の事は知らず。稀れ稀れには、かの國の書の中に云へる事あれば、それを定として心得る事ぞかし。皇國の人物の繪も、異國の人の見ては、それをでうとする事なれば、かの位高き人のかほを山がつの如くいやしく書キなし、かほよき女のかほを見にくく書きなせるなどを、異國人の見たらむには、日本人は形いやしく女も皆見にくき事ぞとぞ心得べき。こは異國人のみにもあらず。同じ皇國人にても、知らぬ昔の人のかほは、繪に書けるを一度見れば、おのづからその面影を、その人の顔と思はるる物ぞかし。

新字:世に武者絵と云ひて、たけき人の戦ひのさまを書く、其かほやう人とも見えず、目丸く大きに、鼻いかり口おほきにて、すべて鬼の如し。いかに猛きさまを見せむとすればとて、人にもあらず、しか鬼のやうには書べきわざかは。唯だ穏かに人と見えて、然もたけき勢ひ有るさまにこそ書くべけれ。或から書に、皇国の絵の事を、云へるに、その人夜叉羅刹の如しと云へり。思ふにこの鬼の如く書ける武者絵を見て云へるなるべし。されどかの国人は皇国人のさまをば見知らねば、さ云へる書を読みては、日本人の顔はすべて皆、鬼の如くなる物とぞ心得らむ。すべての事、皇国人は、もろこしの事は、から国のもろもろの書を読む故に、よく知れるを、もろこし人は、皇国の書を読む事無ければ、皇国の事は知らず。稀れ稀れには、かの国の書の中に云へる事あれば、それを定として心得る事ぞかし。皇国の人物の絵も、異国の人の見ては、それをでうとする事なれば、かの位高き人のかほを山がつの如くいやしく書キなし、かほよき女のかほを見にくく書きなせるなどを、異国人の見たらむには、日本人は形いやしく女も皆見にくき事ぞとぞ心得べき。こは異国人のみにもあらず。同じ皇国人にても、知らぬ昔の人のかほは、絵に書けるを一度見れば、おのづからその面影を、その人の顔と思はるる物ぞかし。

書き下し

世に武者絵と云いて、たけき人の戦いのさまを書く、そのかおよう人とも見えず、目丸く大きに、鼻いかり口おおきにて、すべて鬼の如し。いかに猛きさまを見せむとすればとて、人にもあらず、しか鬼のようには書くべきわざかは。ただ穏やかに人と見えて、然もたけき勢い有るさまにこそ書くべけれ。或るから書に、皇国の絵の事を、云えるに、その人夜叉羅刹の如しと云えり。思うにこの鬼の如く書ける武者絵を見て云えるなるべし。されどかの国人は皇国人のさまをば見知らねば、さ云える書を読みては、日本人の顔はすべて皆、鬼の如くなる物とぞ心得らむ。すべての事、皇国人は、もろこしの事は、から国のもろもろの書を読む故に、よく知れるを、もろこし人は、皇国の書を読む事無ければ、皇国の事は知らず。稀れ稀れには、かの国の書の中に云える事あれば、それを定として心得る事ぞかし。皇国の人物の絵も、異国の人の見ては、それを定とする事なれば、かの位高き人のかおを山がつの如くいやしく書きなし、かおよき女のかおを見にくく書きなせるなどを、異国人の見たらむには、日本人は形いやしく女も皆見にくき事ぞとぞ心得べき。こは異国人のみにもあらず。同じ皇国人にても、知らぬ昔の人のかおは、絵に書けるを一度見れば、おのずからその面影を、その人の顔と思わるる物ぞかし。

現代語訳

世に武者絵と言って、勇ましい人の戦いの様子を描くものがあるが、その顔つきは人とも見えず、目は丸く大きく、鼻はいかって口は大きく、すべて鬼のようである。どれほど勇ましい様子を見せようとするからといって、人でもないような、そんな鬼のように描いてよいものか。ただ穏やかに人と見えて、しかも勇ましい勢いのある様子に描くべきである。ある中国の書物に我が国の絵のことを述べて、その人物は夜叉や羅刹のようだと言っている。思うに、この鬼のように描いた武者絵を見て言ったのであろう。けれどもあの国の人は我が国の人の姿を見たことがないので、そう書いた書物を読めば、日本人の顔はすべてみな鬼のようなものだと思い込むであろう。何事も、我が国の人は中国のことは中国のさまざまな書物を読むのでよく知っているが、中国の人は我が国の書物を読むことがないので、我が国のことは知らない。まれにあの国の書物の中に書かれていることがあれば、それを決まったこととして理解するのである。我が国の人物の絵も、外国の人が見れば、それを本当の姿と思うのだから、あの位の高い人の顔を山人のように卑しく描き、美しい女の顔を醜く描いたものなどを外国の人が見たならば、日本人は姿が卑しく、女もみな醜いのだと思うであろう。これは外国の人だけではない。同じ我が国の人でも、知らない昔の人の顔は、絵に描いたものを一度見れば、自然とその面影をその人の顔だと思ってしまうものなのである。

解説

武者絵が勇ましさを誇張して鬼のような顔に描くことを批判し、それが国の姿の誤解につながると論じた段である。ある中国の書物が日本の絵の人物を夜叉や羅刹のようだと評したのは、こうした武者絵を見たからだろうと宣長は推し量る。日本人は漢籍を読んで中国をよく知っているが、中国人は日本の書を読まないので、たまたま目にした絵や記述をそのまま日本の姿だと思い込む。さらに、同じ日本人でも昔の人の顔は一度見た絵で思い描いてしまうと付け加え、絵の持つ印象の力を指摘する。情報の流れが一方向であるときに生まれる誤解と、一枚の像が人の認識を決めてしまう危うさへの鋭い観察であり、画像があふれる今の時代にもそのまま当てはまる。

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