韓非子 / 八姦第九
爲人臣者求諸侯之辯士,養國中之能說者,使之以語其私。爲巧文之言,流行之辭,示之以利勢,懼之以患害,施屬虚辭以壞其主,此之謂「流行」。七曰威强。何謂威强?
新字:為人臣者求諸侯之弁士,養国中之能説者,使之以語其私。為巧文之言,流行之辞,示之以利勢,懼之以患害,施属虚辞以壊其主,此之謂「流行」。七曰威強。何謂威強?
書き下し
人臣為る者は諸侯の辯士を求め、国中の能く説く者を養ひ、之をして以て其の私を語らしむ。巧文の言、流行の辞を為し、之に示すに利勢を以てし、之を懼れしむるに患害を以てし、虚辞を施属して以て其の主を壊る、此を之れ流行と謂ふ。七に曰く威強。何をか威強と謂ふ。
現代語訳
臣下は諸侯の国から弁士を招き、国内の弁の立つ者を養って、彼らに自分の私的な望みを語らせる。巧みに飾った言葉や世に広まる話を作り、利益や権勢をちらつかせ、災いや害を示して恐れさせ、根拠のない言葉を次々と並べて君主を損なう。これを「流行」を使うという。七つ目は「威強」である。威強とは何か。
解説
八姦の第六「流行」の手口を述べ、第七「威強」の問いにつなげる一節です。臣下は他国の弁士や国内の口達者を養い、利益をちらつかせたり災いで脅したりする巧みな言葉を広めさせて、君主の判断を歪めます。自分で直接言うのではなく、第三者の口を借りて世論のように見せかけるところが巧妙です。旧稿は「此之謂流行」までで、底本では「七曰威强。何謂威强」の問いまでを含みます。現代でいえば、外部の専門家やメディア、社内の影響力のある人物を使って、特定の結論が当然であるかのような空気を作ることにあたります。広く言われている話ほど、誰がそれを広めているのかを確かめる必要があります。
この章句が説くこと
情報操作八姦コンサルタント依存流行世論バズワード
関連する章句
-
『韓非子』八姦第九六に曰く流行。何をか流行と謂ふ。曰く、人主は、固より其の言談を壅がれ、論議を聴くこと希にして、移すに辯説を以てし易し。
-
『政談』遊女河原者の種姓の分事並に乞食の締りの事斯の如く遊女河原者の平人に混するよりして、遊女野郎の風俗平人に移り、当時は大名高位の詞つかいにも傾城町野郎町の言葉を遠慮なくつかひ、武家の妻娘も傾城野郎の真似をして恥といふことを知らず、是は当代のはやりとなり、苦しからざることなり、之を真似ぬは田舎ものなりといひのゝしりて、風俗以ての外に悪しくなること皆種姓の混乱より起る、古法の如く種姓を正し、遊女河原者の子を男をば野郎にし女をば遊女とし、平人とは混ずることを堅く禁じたらばこの悪風自から巳むべきなり、比丘尼にも平人よりなることを堅く禁じて、比丘尼は子を比丘尼とし種姓を極むべきことなり、
-
『酔古堂剣掃』集綺・風流は墜髻を誇る流蘇の帳の底、之を披けば夜月人を窺ひ、 玉鏡臺の前、之を諷すれば朝煙樹に縈る。 風流は墜髻を誇り、時世は啼眉を聞く。
-
『武士道』第六章 禮儀・絶えず移りゆく流行を追う愚宜なり、衣食足りて礼節を知ると謂ひ、又たヴェブレン氏が多趣味の著『有閑階級論』に於て、礼は『有閑階級者の生活の産む所にして、又た之を表するものなり』と云ふこと。欧人ややもすれば我が礼儀の委曲繊巧に流るるを嗤ひ、思慮を役する大にして、之を固守すること其愚及ぶべからずと評す。予も亦た礼儀の繁縟なるよりして、徒に無用の細節に泥むことあるを知る。されど、泰西の絶えず移りゆく流行を追ふの愚に比するに、予は、にはかに其優劣を判ずるに苦しむものなり。然るに予は彼の流行すらも、なお之を目して、虚栄の癖好なりとせざるのみならず、反つて之を認めて、人心の断えず美を慕ふ所以なりとす。されば何すれぞ、繊巧なる儀礼を以て全く取るに足らずとせんや。
-
徒然草・第78段今様の事どもの珍しきを、いひ広めもてなすこそ、又うけられね。世に事ふりたるまで知らぬ人は心にくし。今更の人などのある時、こゝもとに言ひつけたる言種、物の名など心得たるどち、片端言ひかはし、目見合はせ笑ひなどして、心しらぬ人に心得ず思はすること、世なれずよからぬ人の必ずあることなり。
-
『茶の本』第五章 芸術鑑賞・世人は耳によって絵画を批評する実に遺憾にたえないことには、現今美術に対する表面的の熱狂は、真の感じに根拠をおいていない。われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に、世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ。高雅なものではなくて、高価なものを欲し、美しいものではなくて、流行品を欲するのである。一般民衆にとっては、彼らみずからの工業主義の尊い産物である絵入りの定期刊行物をながめるほうが、彼らが感心したふりをしている初期のイタリア作品や、足利時代の傑作よりも、美術鑑賞の糧としてもっと消化しやすいであろう。彼らにとっては、作品の良否よりも美術家の名が重要である。数世紀前、シナのある批評家の歎じたごとく、世人は耳によって絵画を批評する。今日いずれの方面を見ても、擬古典的嫌悪を感ずるのは、すなわちこの真の鑑賞力の欠けているためである。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る