酔古堂剣掃 / 集綺・風流は墜髻を誇る
流蘇帳底,披之而夜月窺人;玉鏡臺前,諷之而朝煙縈樹。風流誇墜髻,時世聞啼眉。
新字:流蘇帳底,披之而夜月窺人;玉鏡台前,諷之而朝煙縈樹。風流誇墜髻,時世聞啼眉。
書き下し
流蘇の帳の底、之を披けば夜月人を窺ひ、 玉鏡臺の前、之を諷すれば朝煙樹に縈る。 風流は墜髻を誇り、時世は啼眉を聞く。
現代語訳
房飾りのついた帳の奥でこれを開けば、夜の月が人をのぞき込み、玉の鏡台の前でこれを口ずさめば、朝の靄が木々にまとわりつきます。風流な人は崩れ髷を誇り、世の流行としては泣き眉の化粧が聞こえてきます。
解説
閨の中の雅な情景と、女性の装いの流行とを描いた一則です。之は何を指すのか書かれていませんが、開いて口ずさむものとして、詩文を記した書物と読めます。流蘇は房飾り、玉鏡台は玉で飾った鏡台で、東晋の温嶠が玉の鏡台を結納の品にしたという話でも知られます。墜髻と啼眉は、後漢の梁冀の妻孫寿が始めたと伝えられる髪型と化粧で、髷を片方に崩して結い、眉を泣いているように描くものです。当時の都で大流行したといいます。夜の月と朝の靄に包まれて詩を読む女性の姿と、時代ごとに移り変わる装いの流行とが並べられ、艶やかな世界の一面を伝えています。
この章句が説くこと
装い流行風雅閨情艶麗
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