玉勝間 / 十四の巻 美福門院石清水ノ宮に神輿を献り給ふ事
同記に、同年同月廿四日云云、是日、美福門院、調作神輿三基、被献石清水宮、文章博士藤永範、作進告文、以判官代遠江守惟方爲使。件事、代代后宮、必有此事、上東門院、后宮之時、始有此事云云。而后位時、無其沙汰、今雖爲院號後、不可默止、被調献也。
新字:同記に、同年同月廿四日云云、是日、美福門院、調作神輿三基、被献石清水宮、文章博士藤永範、作進告文、以判官代遠江守惟方為使。件事、代代后宮、必有此事、上東門院、后宮之時、始有此事云云。而后位時、無其沙汰、今雖為院号後、不可黙止、被調献也。
書き下し
同じく記に、同じ年同じ月二十四日云云、この日、美福門院、神輿三基を調え作りて、石清水宮に献らる、文章博士藤永範、告文を作り進む、判官代遠江守惟方を以て使と為す。件の事、代々の后宮、必ずこの事有り、上東門院、后宮の時、始めてこの事有り云云。而るに后位の時、その沙汰無し、今院号の後たりといえども、黙止すべからずとて、調え献らるるなり。
現代語訳
同じ『外記日記』に、「同年同月二十四日(中略)、この日、美福門院が神輿三基を調え作って、石清水八幡宮に献上された。文章博士の藤原永範が告文を作って差し出し、判官代で遠江守の藤原惟方を使いとした。このことは、代々の后が必ず行うことで、上東門院が后であったときに初めてこのことがあった(中略)。ところが美福門院が后の位にあったときには、その沙汰がなかった。今は院号を受けた後であっても、黙って済ますべきではないとして、調えて献上されたのである」とある。
解説
鳥羽上皇の寵愛を受けた美福門院藤原得子が、石清水八幡宮に神輿三基を献納した記事を『外記日記』から写した段である。記録によれば、后が石清水に神輿を奉るのは代々の慣例で、藤原道長の娘である上東門院彰子が后だったときに始まった。美福門院は后の位にあった時にこれを行っていなかったため、院号を受けた後ではあっても怠るべきでないとして改めて献上したという。石清水八幡宮は伊勢神宮に次ぐ朝廷の崇敬を受けた神社で、神輿の奉納は后の地位に伴う大事な務めであった。宣長がこの記事を書き留めたのは、神社に関わる儀礼がいつ始まり、どのように受け継がれたかを知る手がかりになるからであろう。前例を重んじる姿勢は、儀礼を長く保つ力にもなってきた。
関連する章句
-
『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第花山院・さいおんじ殿候わせ給う。かんぎょのぎしきぐせらるるほど、大しょうじのひんがしひらしきにてぞ、くごまいる。御ばいぜんは、女房もとのごとし。また大しょうじの西に、からえの御びょうぶを立てられたり。その西にて、両大納言殿御わりごひらき給うにや、そのやくそうには、五位のしきじよりふじあきよなど見え侍りつ。御ぜんはてぬれば、かんぎょなる。公卿のれち、御こしよりて召されぬれば、ずさどもよせて、またかえりまいりぬ。出車には、一のくるまに、左衛門督殿、新左衛門督殿、ははき、さぬき、二のくるまに、宮内、龍さ、ひぜん、たまき、三のくるまに、新兵衛、じぶ、みあれ、いつぬき、四のくるま、少将、少輔、宮人、いつぬき、としるせり。中務の内侍は、宮内卿永経卿のむすめなり。右の日記の文のうち、心得ぬ事まじれり、うつし誤りとおぼしきも、所々見ゆ。みな本のままに書きつ。
-
『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞同じ記のつづきにまた云わく、天慶九年四月十五日の外記日記に云う、天皇即位す、仍りて五畿内七道諸国の天神地祇に幣帛を奉らんが為に、五畿内は諸司の物を以て宛て用い、諸国は当の正税を以て之に宛て用う、使は道毎に神祇の中臣斎部等を差す、(各駅鈴一口を給う、但し畿内の使には給わず、)また五畿七道諸国の諸神に奉幣する日、廃務の有無の事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降る、上卿参らず、仍りて政無きなり、今日天皇御即位の後、先例に依りて五畿七道諸国の諸名神に奉幣する使を発遣せらるるなり、件の使等は、神祇官の先日差し申すに依りて、大中臣斎部等を以て其の官と為し、諸国に符し給う、但し神祇官より件の使等を立つ。また、畿内七道の使の官符八枚、七道の幣料、正税を以て之に宛つべき官符五枚等なり、合わせて十五枚、と見えたり。この記は、後の小野の宮の右大臣実資公の日記なり。
-
『玉勝間』五の巻 はらめる女神の社にまゐる事大神宮雑事記に、弘仁四年九月十六日、豊受の宮の大内人、神主真房が妻、かの宮に詣でて、玉垣の下にして、産みたりける穢れによりて、勅使たちなどして、真房夫婦には、大祓をおおせたりし事見えたり。それよりして、はらめる女、鳥居の内に参り入る事を禁ぜらると有り、然ればそれより前には、腹妊めるほども、神の社にまいる事、忌まざりしにこそ。
-
『玉勝間』八の巻 伊勢勅使のとも人の数同じ書に、仁安三年十二月二十一日、伊勢大神宮炎上によりて、同じ月勅使、左大弁雅頼卿発遣、その人数は、勅使大弁子息一人、従十一人、前駈六人(従各五人)、侍五人(従各十人)、雑色六人(従各二人)、舎人四人、人夫三十人、右大史三善章貞、従二十人、史生盛久、同兼康、従各二十人、馬各五疋、官掌頼兼(同前)、弁侍二人、従各五人、馬各二疋、使部十人、従各一人と見えたり。
-
『玉勝間』十三の巻 遠江国より大神宮に神御衣を織て奉る事遠江国人、内山真龍が云えるは、かの国の浜名の郡神戸の〓岡本村と云うに。機殿有りて、年毎に、四月と九月と、神御衣を織りて、伊勢の内宮に奉る。そのはた殿は、かの村に、神氏目大夫と云う者、世世相伝えて、年ごとに新しく造る、萱葺の屋なり。神庫もあり。ふるめきたる造りざまなり。神御衣は、年ごとに、三河の国の大野村と云うより、生糸を、この岡本村におくり奉るを、件の機殿にて織りて奉る。和たえなり、と云いき。
-
『玉勝間』十四の巻 神社の位階の事同じく天武天皇の御巻に、軍政既に訖りて、将軍等、この三神の教言を挙げて、これを奏す。即ち勅して三神の品を登げ進めて以て祠るとみえたる。品とは、位階を云えるか。もし然らばこれ、神社に位を授け奉り給うことの、物に見えたる始めと云うべし。されどこれは、必ずしも位階にはあらで、ただその社の班列をあげ給えるにも有るべし。三神の教言の事は、件の文の上に出でたり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る