玉勝間 / 二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞
同じ記のつづきに又いはく、天慶九年四月十五日外記日記云、天皇即位、仍爲奉五畿內七道諸國天神地祇幣帛、五畿內以諸司物宛用、諸國以當正稅宛用之、使每道差神祇中臣齋部等、(各給驛鈴一口、但シ不給畿内ノ使、)また奉幣五畿七道諸國諸神日、廢務有無事、天祿元年三月廿日辛酉、終日雨降、上卿不參、仍無政也、今日被發遣天皇御即位之後、依先例五畿七道諸國諸名神奉幣之使也、件使等、依神祇官先日差申、以大中臣齋部等爲其官、符給諸國、但從神祇官立件使等。また、畿内七道使官符八枚、七道幣料、以正稅可宛之官符五枚等也、合十五枚、と見えたり、此記は、後ノ小野ノ宮ノ右大臣實資公の日記なり。
新字:同じ記のつづきに又いはく、天慶九年四月十五日外記日記云、天皇即位、仍為奉五畿内七道諸国天神地祇幣帛、五畿内以諸司物宛用、諸国以当正税宛用之、使毎道差神祇中臣斎部等、(各給駅鈴一口、但シ不給畿内ノ使、)また奉幣五畿七道諸国諸神日、廃務有無事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降、上卿不参、仍無政也、今日被発遣天皇御即位之後、依先例五畿七道諸国諸名神奉幣之使也、件使等、依神祇官先日差申、以大中臣斎部等為其官、符給諸国、但従神祇官立件使等。また、畿内七道使官符八枚、七道幣料、以正税可宛之官符五枚等也、合十五枚、と見えたり、此記は、後ノ小野ノ宮ノ右大臣実資公の日記なり。
書き下し
同じ記のつづきにまた云わく、天慶九年四月十五日の外記日記に云う、天皇即位す、仍りて五畿内七道諸国の天神地祇に幣帛を奉らんが為に、五畿内は諸司の物を以て宛て用い、諸国は当の正税を以て之に宛て用う、使は道毎に神祇の中臣斎部等を差す、(各駅鈴一口を給う、但し畿内の使には給わず、)また五畿七道諸国の諸神に奉幣する日、廃務の有無の事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降る、上卿参らず、仍りて政無きなり、今日天皇御即位の後、先例に依りて五畿七道諸国の諸名神に奉幣する使を発遣せらるるなり、件の使等は、神祇官の先日差し申すに依りて、大中臣斎部等を以て其の官と為し、諸国に符し給う、但し神祇官より件の使等を立つ。また、畿内七道の使の官符八枚、七道の幣料、正税を以て之に宛つべき官符五枚等なり、合わせて十五枚、と見えたり。この記は、後の小野の宮の右大臣実資公の日記なり。
現代語訳
同じ日記の続きにまたこうある。「天慶九年(946)四月十五日の外記日記に言う。天皇が即位したので、五畿内・七道の諸国の天神地祇に幣帛を奉るため、五畿内では諸官司の物を充て、諸国ではその国の正税を充てて用いる。使いは道ごとに神祇官の中臣・斎部らを遣わす(それぞれに駅鈴一口を与える。ただし畿内の使いには与えない)。また、五畿七道諸国の諸神に奉幣する日に政務を休むかどうかの事。天禄元年(970)三月二十日辛酉、一日中雨が降り、上卿が参らなかったので政務はなかった。この日、天皇の御即位の後、先例によって五畿七道諸国の名だたる神々に奉幣する使いが遣わされた。この使いらは、神祇官が先日指名して申し出たのにより、大中臣・斎部らをその任に当て、諸国に官符を下された。ただし使いらは神祇官から立てる。また、畿内七道の使いの官符が八枚、七道の幣料を正税で充てるべしとの官符が五枚などで、合わせて十五枚である」と見える。この日記は、後の小野宮の右大臣、藤原実資公の日記である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞小右記の、長和五年のところに云わく、御即位の後、天下の諸神に奉幣する祝詞。天皇が詔旨と、皇神等の広前に、称辞言え奉り申し給わく、高天原に神留まり坐す、皇親神漏伎神漏美の命以ちて、事寄さし給える、豊葦原の瑞穂の国の、天つ日嗣の高御座の次次、去る四月廿八日より食国天下の政を聞こし食すに依りて、その状を申し給うと、散位正六位上大中臣朝臣高邦を、差し使わして、礼代の幣帛を捧げ持たしめ奉り給う、天皇が御命を、申し給わくと申す。今案ずるに、件の文は祝詞なり、宣命に非ず、とあり。称辞言奉申給は、言の字は竟の誤りなるべし。言の字あまりて、竟と云うことたらざればなり。また申と云う言もあまれり、奉申かとも思えど、それも古には例なき事なり。さてまた次次も聞こえず、次隨隨など有りけむが、字の落ちたるなるべし。四月廿八日は、正月廿九日の誤りなり。これらは、善本には然ぞあるべき。そもそも祝詞宣命などの文、中むかしよりこなた、つぎつぎにつたなく成りて、大かた語のととのわで、ことわり聞こえがたき事もおおかるを、こまかにさだする人も無きは、古意にうとく、古言を知らざるが故なり。これらは詞にあやをなせる物にて、古のは皆いとめでたかりしものを、かくのみなおざりに成り行くがうれたさに、今ことのついでに、いささかおどろかし置くなり。
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『玉勝間』十二の巻 いにしへ神事を重くせられし事書紀天智天皇の御巻に、九年三月、山の御井の傍らに於て、諸神の座を敷きて、幣帛を班つ、中臣金の連祝詞を宣る、と見えたり。そのかみ中臣の氏人は、ここら有りつらむに、金の連にしも、祝詞を宣らしめ給えるをもて、古え神事を、いみしく重くせられしほどを知るべし。この連公この時位は、大錦上にて、正四位上にあたれども、そのかみ第二の臣にて、明年正月に、右大臣に任ぜられて、いと重き人にぞ有りける。そもそもこの天皇は、殊にから御心におわしまして、万づにもろこしぶりをならい移されたる御世なりしかども、なお神事のやんごとなかりし事は、かくぞ有りし。
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