玉勝間 / 十四の巻 姓のかばねに骨ノ字を書る事
姓のかばねを、後世に尸と書ヲは、いかがなるやうなれども、續紀十八に、雀部、朝臣眞人等が申せる文の中に遂絕骨名之〓、永爲無源之氏、と云ふこと有り。古、より骨とも、書ヶれば、尸ノ字も何事かあらむ。
新字:姓のかばねを、後世に尸と書ヲは、いかがなるやうなれども、続紀十八に、雀部、朝臣真人等が申せる文の中に遂絶骨名之〓、永為無源之氏、と云ふこと有り。古、より骨とも、書ヶれば、尸ノ字も何事かあらむ。
書き下し
姓のかばねを、後世に尸と書くは、いかがなるようなれども、続紀十八に、雀部の朝臣真人等が申せる文の中に、遂に骨名の緒を絶ちて、永く無源の氏と為らん、と云うこと有り。古えより骨とも、書きければ、尸の字も何事かあらむ。
現代語訳
姓(かばね)を後の世に「尸」と書くのは、どうかと思われるようであるが、『続日本紀』巻十八に、雀部朝臣真人らが申し上げた文の中に「ついに骨名(かばね)の筋を絶って、永く源のない氏となってしまうでしょう」ということがある。古くから「骨」とも書いたのだから、「尸」の字でも何の差し支えがあろうか。
解説
氏族の家格を表す「かばね(姓)」を「尸」の字で書くことについての短い考証である。「尸」は屍(しかばね)を意味する字なので、家柄の名に当てるのは縁起が悪いと感じる人もいたのであろう。宣長は、『続日本紀』に雀部朝臣真人らが自分たちの家筋の由来を正すよう願い出た文に「骨名」と書かれていることを挙げ、古くから「骨」の字も用いられていたのだから、「尸」と書いても差し支えないとする。「かばね」はもともと家柄を表す和語で、それに骨や尸の字が当てられたのである。和語に当てた漢字の意味にとらわれて、言葉そのものを論じるのは本末転倒だという宣長の考えがここにも表れている。字の見た目より、言葉の実際の使われ方を重んじる段である。
関連する章句
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