玉勝間 / 三の巻 朝臣と云ふ字の事
阿曾美にて、かばねの朝臣は、吾兄臣と云ふ事なり。然るを天武天皇の御世に、八色のかばねを定め給へる時より、朝臣とは書キ始められたり。そは此字の、あさおみの訓を借りて、約めたる物ながら、字ノ義をも思ひての事なるべし。漢籍にも、蔡邕が獨斷に、公卿侍中尙書、衣帛而朝曰朝臣、諸營校尉將大夫以下、亦爲朝臣と云ること有れど、かの國の書には、常にはをさをさ見えぬ稱なり。
新字:阿曽美にて、かばねの朝臣は、吾兄臣と云ふ事なり。然るを天武天皇の御世に、八色のかばねを定め給へる時より、朝臣とは書キ始められたり。そは此字の、あさおみの訓を借りて、約めたる物ながら、字ノ義をも思ひての事なるべし。漢籍にも、蔡邕が独断に、公卿侍中尚書、衣帛而朝曰朝臣、諸営校尉将大夫以下、亦為朝臣と云ること有れど、かの国の書には、常にはをさをさ見えぬ称なり。
書き下し
阿曾美にて、かばねの朝臣は、吾兄臣と云う事なり。然るを天武天皇の御世に、八色のかばねを定め給える時より、朝臣とは書き始められたり。そは此字の、あさおみの訓を借りて、約めたる物ながら、字の義をも思いての事なるべし。漢籍にも、蔡邕が独断に、公卿侍中尚書、帛を衣て朝するを朝臣と曰う、諸営校尉将大夫以下、亦朝臣と為す、と云えること有れど、かの国の書には、常にはおさおさ見えぬ称なり。
現代語訳
「あそみ」であって、姓(かばね)の朝臣は「吾兄臣(あせおみ)」ということである。それを天武天皇の御世に八色の姓を定められた時から、「朝臣」と書き始められた。それはこの字の「あさおみ」という訓を借りて約めたものではあるが、字の意味をも考えてのことであろう。中国の書物にも、蔡邕の『独断』に「公卿・侍中・尚書で、帛を着て朝廷に出仕する者を朝臣という。諸営の校尉・将・大夫以下もまた朝臣とする」と言っていることがあるが、あの国の書物には、普通はほとんど見えない呼び名である。
解説
関連する章句
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『玉勝間』一の巻 官名の事もろもろの官名の中に、上つ代より、まさしく官職の名にて有りしに、漢字を後にあてたるも有り。また名は古くて、まさしく官名になれるは後なるも有り。また漢字をもて、新たに造りて、それに訓を附けたるも有り。今是等のわきためをいささか云わむに、まづ大臣は、いにしえは意富於美と唱えて、臣と云う尸に、大と云う言を加えて、たふとみたる号なり。さる故にこの号は、臣の尸なる姓の人にかぎれり。大連も同じ事にて、連の尸の姓の人に賜いし号なり。然るに古の大臣・大連を、官と心得たるはたがえり。大臣をまさしく官名とせられしは、孝徳天皇の御世にて、始めて左右の大臣をおかれたり。これより臣の姓に限らず、他尸の姓の人も成れり。さて天智天皇の御世に、内大臣また太政大臣はじまる。そはもと大臣と云える古の号を、やがて用いられたる官名なるに、左と云い右と云い、太政と云うは、みな漢のにならいたるなづけざまにして、古ざまにはあらず。さて和名抄に、太政大臣は於保万豆利古止乃於保方豆岐美と有るは、字につきてもうけられたる訓なり。
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『玉勝間』十四の巻 姓のかばねに骨ノ字を書る事姓のかばねを、後世に尸と書くは、いかがなるようなれども、続紀十八に、雀部の朝臣真人等が申せる文の中に、遂に骨名の緒を絶ちて、永く無源の氏と為らん、と云うこと有り。古えより骨とも、書きければ、尸の字も何事かあらむ。
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『古語拾遺』当年の労のみを序して天下の万姓を改めて分かちて八等と為す。唯だ当年の労を序して、天降の績に本づかず。其の二に曰く朝臣、以て中臣氏に賜い、命ずるに大刀を以てす。其の三に曰く宿禰、以て斎部氏に賜い、命ずるに小刀を以てす。
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『玉勝間』一の巻 官名の事中昔の書どもには、おおきおおいもうちぎみ、またはおおきおとどなど云えるは、右の訓あまり長き故に、政の字をのぞきたる訓なり。また左右大臣は、於保伊万智岐美と有るも、官名につきてもうけられたる訓なり。ただし万豆岐美、万宇智岐美は、古の称にて、麻都岐美なるを、音便に然か云うなり。まえつぎみと云う事、書紀の景行の巻の歌に見えたり。さて和名抄には、右のごとく万宇智岐美と有るを、北山抄・江次第などに、末布知君・万不地起牟多地など書かれたるは、布不は仮字たがいたり。すべて音便に宇と唱うるは、みな宇の仮字なりと心得べし。大納言・中納言・参議・少納言、みな漢字を以てつけられたる官にて訓は字につきてもうけたるなり。弁は於保止毛比、これは上つ代よりの官名と聞こえたり。意はいかなるにか、いまだ考え得ず字もいかなる意をもてあてられたるにか、さだかならず。西宮記・北山抄・小右記などに、大輌火之官と書かれたるは借り字なり。外記・内記・大史・少史・史生・官掌など、皆漢ざまなり。もろもろのつかさの長官を、美加と云うは古なり。次官を須気と云うも古きか、判官を万豆利古止比止と云うは、もうけたる訓なり。佐官は訓見えず。
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『玉勝間』一の巻 位階の正従の訓の事位階の正従の訓、正を於保伊と云い、従を比呂伊と云う。こは天武紀十四年に、更めて爵位の号を改む云々、階毎に大広有り云々とある、この大と広との訓を、うつし用いられたるなり。是等ももとは、於保伎、比呂伎とぞ唱えけむを、ともに伎を伊と云うは、後の音便なり。古今集の序に、柿本の人まろを、おおきみつのくらいと有るは、心得ぬ事ながら、おおいと書かずして、おおきと書けるは、古きにかなえり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事佐宇官と云うは、音便に佐を引きて云うなり。八省の中に、大蔵は古なり。宮内省も古きか。民部・兵部はいかならむ、中務・式部・治部・刑部などは漢ざまなり。弾正もからざまなり。諸職の中に、大膳ふるし。諸寮の中に、大舎人・内蔵・掃部・大炊・主殿など古なり。内蔵は、つねにはただ久良と唱うるは、禁中にて云いなれたるままなり。掃部はもと蟹守なるを、加牟毛里とあるは音便なり、今の世にカモンと云うはいみしき訛りなり。諸司の中には、内膳・造酒・主水など古えなり。主水は水取なり、和名抄にも毛比止里と有り。今の世にモンドと云うはいみしき訛りなり。近衛・兵衛・衛門みな漢ざまなり。靫負と云うは古なり。こは由介比とあるを、今の世にユキエと云うは訛りなり。太宰ふるし。侍従は於毛止比止女字知岐美とある、女字いかが。中務省侍従は、於毛止比止万知岐美、北山抄には、於毛止未布知君とあり。右の外にも、官名になれるは後なれど、名は古くして、漢ざまにはあらざるなお多し。またもとより漢字を以てつけられたるは、その名のさまをもてわきまえ知るべし。
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