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玉勝間 / 二の巻 苗字

藤原源などは、世に同じ氏の人、數しらず多かれば、その內を苗字して分ざれば、いとまぎらはしきままに、つねにその苗字をのみよびならひて、むねと成れる、これおのづから必しかるべき勢ひにして、今は此苗字ぞ、姓の如くなれりければ、姓の知られざらん人などは、苗字を正しく守るべきわざなりかし。さてこの苗字の苗字は、よしなき事なり。こはもと名字なりけむを、然書ては、名又あざなにまぎるる故に、書きかへたる物なるべし。名字と書かむも、當れるにはあらざれども、中昔には、名をも又姓と名とをつらねても、廣く常に名字と云ひつれば、姓の小分をも、同く然云ひならへりしなり。又今の人、おのが子の事をも、父の事をも、同苗と云ふ、これももと同名にて、同姓のよしなり。

新字:藤原源などは、世に同じ氏の人、数しらず多かれば、その内を苗字して分ざれば、いとまぎらはしきままに、つねにその苗字をのみよびならひて、むねと成れる、これおのづから必しかるべき勢ひにして、今は此苗字ぞ、姓の如くなれりければ、姓の知られざらん人などは、苗字を正しく守るべきわざなりかし。さてこの苗字の苗字は、よしなき事なり。こはもと名字なりけむを、然書ては、名又あざなにまぎるる故に、書きかへたる物なるべし。名字と書かむも、当れるにはあらざれども、中昔には、名をも又姓と名とをつらねても、広く常に名字と云ひつれば、姓の小分をも、同く然云ひならへりしなり。又今の人、おのが子の事をも、父の事をも、同苗と云ふ、これももと同名にて、同姓のよしなり。

書き下し

藤原源などは、世に同じ氏の人、数しらず多かれば、その内を苗字して分かざれば、いとまぎらわしきままに、つねにその苗字をのみよびならいて、むねと成れる、これおのずから必ずしかるべき勢いにして、今はこの苗字ぞ、姓の如くなれりければ、姓の知られざらん人などは、苗字を正しく守るべきわざなりかし。さてこの苗字の苗字は、よしなき事なり。こはもと名字なりけむを、然書きては、名またあざなにまぎるる故に、書きかえたる物なるべし。名字と書かむも、当たれるにはあらざれども、中昔には、名をもまた姓と名とをつらねても、広く常に名字と云いつれば、姓の小分をも、同じく然云いならえりしなり。また今の人、おのが子の事をも、父の事をも、同苗と云う、これももと同名にて、同姓のよしなり。

現代語訳

藤原や源などは、世に同じ氏の人が数知れず多いので、その内を苗字で分けなければひどく紛らわしく、いつもその苗字ばかりを呼び慣わして、それが主になった。これは自然に必ずそうなるべき成り行きであって、今はこの苗字が姓のようになったのだから、姓の知られない人などは、苗字を正しく守るべきである。さてこの「苗字」の「苗」の字は、理由のないものである。これはもと「名字」だったのを、そう書くと名や字(あざな)と紛れるので、書き換えたのであろう。「名字」と書くのも当たってはいないが、中古には、名をも、また姓と名とを連ねたものをも、広く常に名字と言ったので、姓を小分けしたものも同じくそう言い慣わしたのである。また今の人が、自分の子のことも父のことも「同苗」と言うのは、これももとは「同名」で、同じ姓という意味である。

解説

前の段に続いて苗字の成り立ちを説いた段である。藤原や源の一族があまりに増えたので、住む土地などで家を呼び分けるようになり、それが苗字となって、やがて姓に代わるものになった。宣長はこれを自然の成り行きとして認め、姓の知られない者は苗字を正しく守ればよいと言う。前の段で、姓を勝手に名乗るより苗字でよいと述べたのと一貫している。さらに文字の考証に進み、「苗字」の苗の字に根拠はなく、もとは「名字」だったのを名や字と紛れないよう書き換えたのだろう、と推す。家族を「同苗」と呼ぶのも、もとは「同名」で同じ姓の意だという。日常の言葉を由来までさかのぼって確かめる宣長の目は、何気なく使っている言葉の見直しを促す。

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