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玉勝間 / 二の巻 姓氏の事

又ひとつには、近き世の人は、古、のもろもろの姓をば、知る事無くして、姓はただ源平藤橘などのみなるがごと心得たるから、おのが好みてあらたにつくも、皆これらのうちなるが故に、古、のもろもろの姓はきこえず、いよいよ源平藤は多くなりきぬるなり。又古、の名高くすぐれたる人をしたひては、その子孫ぞと云ひなして、學問するものは、菅原大江などに成り、武士は多く源に成るたぐひあり。すべて近き世は、よろしき程の人人も、ただ苗字をなんむねとはして、姓はかへりて、おもてにはたたざるならひなる故に、おのが心にまかせて物するなり。さて又近き年ごろ、萬葉ぶりの歌を詠み、古學をする輩は、又古き姓をおもしろく思ひて、世の人の聞きもならはぬ、ふるめかしきを、あらたにつきてなのる者はた多かるは、かの漢學者の、からめかして、苗字をきりたちて、一字になすと同じたぐひにて、いとうるさく、その人の心のをさなさの、おしはからるるわざぞかし。古へをしたふとならば、古、のさだめを守りて、殊にさやうに、姓などをみだりにはすまじきわざなるに、かの禍津日前の探湯をもおそれざ。なるは、まことに古、を好むとは云はるべしやは。

新字:又ひとつには、近き世の人は、古、のもろもろの姓をば、知る事無くして、姓はただ源平藤橘などのみなるがごと心得たるから、おのが好みてあらたにつくも、皆これらのうちなるが故に、古、のもろもろの姓はきこえず、いよいよ源平藤は多くなりきぬるなり。又古、の名高くすぐれたる人をしたひては、その子孫ぞと云ひなして、学問するものは、菅原大江などに成り、武士は多く源に成るたぐひあり。すべて近き世は、よろしき程の人人も、ただ苗字をなんむねとはして、姓はかへりて、おもてにはたたざるならひなる故に、おのが心にまかせて物するなり。さて又近き年ごろ、万葉ぶりの歌を詠み、古学をする輩は、又古き姓をおもしろく思ひて、世の人の聞きもならはぬ、ふるめかしきを、あらたにつきてなのる者はた多かるは、かの漢学者の、からめかして、苗字をきりたちて、一字になすと同じたぐひにて、いとうるさく、その人の心のをさなさの、おしはからるるわざぞかし。古へをしたふとならば、古、のさだめを守りて、殊にさやうに、姓などをみだりにはすまじきわざなるに、かの禍津日前の探湯をもおそれざ。なるは、まことに古、を好むとは云はるべしやは。

書き下し

またひとつには、近き世の人は、古のもろもろの姓をば、知る事無くして、姓はただ源平藤橘などのみなるがごと心得たるから、おのが好みてあらたにつくも、皆これらのうちなるが故に、古のもろもろの姓はきこえず、いよいよ源平藤は多くなりきぬるなり。また古の名高くすぐれたる人をしたいては、その子孫ぞと云いなして、学問するものは、菅原大江などに成り、武士は多く源に成るたぐいあり。すべて近き世は、よろしき程の人人も、ただ苗字をなんむねとはして、姓はかえりて、おもてにはたたざるならいなる故に、おのが心にまかせて物するなり。さてまた近き年ごろ、万葉ぶりの歌を詠み、古学をする輩は、また古き姓をおもしろく思いて、世の人の聞きもならわぬ、ふるめかしきを、あらたにつきてなのる者はた多かるは、かの漢学者の、からめかして、苗字をきりたちて、一字になすと同じたぐいにて、いとうるさく、その人の心のおさなさの、おしはからるるわざぞかし。古をしたうとならば、古のさだめを守りて、殊にさように、姓などをみだりにはすまじきわざなるに、かの禍津日前の探湯をもおそれざなるは、まことに古を好むとは云わるべしやは。

現代語訳

もう一つには、近ごろの人は古のさまざまな姓を知らず、姓とはただ源・平・藤・橘などだけであるかのように心得ているので、自分で好んで新しく名乗るのもみなこれらのうちから選ぶため、古のさまざまな姓は聞かれなくなり、ますます源・平・藤原が多くなってきたのである。また古の名高く優れた人を慕って、その子孫だと言いなし、学問をする者は菅原や大江になり、武士は多く源になる類もある。だいたい近ごろは、それなりの身分の人々も、ただ苗字を主として、姓はかえって表に立たない習わしなので、自分の心にまかせて名乗るのである。さてまた近年、万葉ぶりの歌を詠み古学をする人々が、古い姓を面白く思って、世間の人が聞き慣れない古めかしい姓を新たに名乗る者もまた多いのは、あの漢学者が中国風にしようとして苗字を切り詰めて一字にするのと同じ類で、たいへん煩わしく、その人の心の幼さが推し量られることである。古を慕うというのなら、古の定めを守って、ことにそのように姓などをみだりに扱うべきではないのに、あの禍津日の前での探湯(くかたち)も恐れないのは、本当に古を好むと言えるだろうか。

解説

姓の乱れの続きで、矛先は宣長自身の仲間である古学の徒にも向かう。学者は菅原・大江、武士は源と、名高い祖先を慕って勝手に子孫を名乗る風は世の常だが、近年は万葉風の歌を詠む古学の者が、聞き慣れない古い姓を面白がって名乗る。宣長はそれを、漢学者が苗字を中国風の一字に縮めるのと同類の幼い振る舞いだと切って捨てる。古を慕うなら古の定めを守るべきで、允恭天皇の代に氏姓の偽りを正すため熱湯に手を入れさせたという盟神探湯(くかたち)の故事を恐れないのか、と問う。古代への憧れを飾りとして身にまとうことへの批判であり、形だけ真似て中身の筋を守らないのは本当の尊重ではない、という指摘は分野を問わず通じる。

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