玉勝間 / 十四の巻 牛を殺して漢神を祭りし事
續紀に、延曆十年九月、斷伊勢尾張近江美濃若狭越前紀伊等國百姓、殺牛用祭漢神と見えたる、漢神は、いかなる神にか有けむ。書紀皇極天皇ノ元年にも、祝部どもの〓へしによりて、牛馬を殺して、社社の神を祭りて、雨を祈りしこと見えたり。牛馬を殺して、神を祭れるは、もろこしの俗にならへると、谷川ノ士清も云へりき。
新字:続紀に、延暦十年九月、断伊勢尾張近江美濃若狭越前紀伊等国百姓、殺牛用祭漢神と見えたる、漢神は、いかなる神にか有けむ。書紀皇極天皇ノ元年にも、祝部どもの〓へしによりて、牛馬を殺して、社社の神を祭りて、雨を祈りしこと見えたり。牛馬を殺して、神を祭れるは、もろこしの俗にならへると、谷川ノ士清も云へりき。
書き下し
続紀に、延暦十年九月、伊勢・尾張・近江・美濃・若狭・越前・紀伊等の国の百姓の、牛を殺して用いて漢神を祭るを断つと見えたる、漢神は、いかなる神にか有りけむ。書紀皇極天皇の元年にも、祝部どもの教えしによりて、牛馬を殺して、社々の神を祭りて、雨を祈りしこと見えたり。牛馬を殺して、神を祭れるは、もろこしの俗にならえると、谷川の士清も云えりき。
現代語訳
『続日本紀』に、「延暦十年九月、伊勢・尾張・近江・美濃・若狭・越前・紀伊などの国の民が、牛を殺して漢神を祭るのを禁じた」と見える。この漢神は、どのような神であったのだろうか。『日本書紀』の皇極天皇元年にも、祝部たちが教えたことによって、牛や馬を殺して社々の神を祭り、雨を祈ったことが見えている。牛馬を殺して神を祭ったのは、唐土の風俗にならったものだと、谷川士清も言っていた。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 漢ぶりの天神の祭,天皇を天に配と云ふ事続紀に延暦六年十一月甲寅、天神を交野に祀る、その祭文に曰く、維れ延暦六年歳次丁卯十一月庚戌朔甲寅、嗣天子臣諱、云云を遣わし、敢えて昭らかに昊天上帝に告ぐ、臣恭しく云云、高紹天皇を配神として主と作す尚わくは饗けよ。又曰く維れ延暦六年云云、孝子皇帝臣諱、云云を遣わし、敢えて昭らかに高紹天皇に告ぐ、臣云云尚わくは饗けよ、文徳実録、斉衡三年十一月辛酉、云云等を遣わし、後田原山陵に向かわしめ、告ぐるに配天の事を以てす。策に曰く、天皇が大命に坐せ、掛けまくも畏き平城の宮に天の下知らしめしし、倭根子天皇の御門に申し賜えと申さく、今月廿五日、河内国交野の原に、昊天祭せむとして、掛けまくも畏き御門を主と定め奉りて、祭るべき事を、畏み畏みも申し賜わくと申す。壬戌云云、帝自らその諱を署し訖り、板を執りて北面して天を拝す、乃ち云云を遣わし、河内国交野郡柏原野に向かわしめ、蘊を設けて礼を習う、甲子円丘に事有り云云とあるは、から国ぶりの祭にして、皇国の意にあらず。
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『玉勝間』一の巻 又漢国にも、神あることを、むげに知らざるにもあらず、尊みもし祀りもすめるは、まことの伝えの、かたはしは有りしならむ。然れどもこの天地をはじめ給い、国土万の物を造りなし給い、人の道をも万の事をも始め給い、世の中のよろづの事をしり行い給う神たちのまします事をば、すべてえ知らずして、これらの重く大きなる事には、ただ天をのみ云いて、ただかたわらなる小さき事にのみ、神をば云いて、この世を照らし給う日の大御神をすら、かろがろしく、ことなる事も無き物の如くして、この神をもとも畏れ尊み奉るべきことをだに知らざるは、いとあさましきわざなりかし。
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