呂氏春秋 / 仲春⑦
是月也,祀不用犧牲,用圭璧,更皮幣。
新字:是月也,祀不用犠牲,用圭璧,更皮幣。
書き下し
是の月や、祀に犠牲を用いず、圭璧、更に皮幣を用う。
現代語訳
この月には、まつりにいけにえの獣を用いず、そのかわりに圭や璧(玉器)、あるいは毛皮や幣帛(ぬさ)を用いる。
解説
この短い段は、仲春の祭祀では動物のいけにえを避け、玉器(圭璧)や毛皮・幣帛といった品を供えることを定めます。春は生きものが育ち繁殖する季節であり、獣を殺すことをはばかる思想が背景にあると考えられます。呂氏春秋の月令は、それぞれの季節にふさわしい供物や儀礼のあり方を細やかに規定し、自然の生育を損なわないよう配慮します。生命を育む時季には殺生を控えるという感覚は、季節の徳に人の行いを合わせる天人相応の一例です。現代でも、時と場に応じてやり方を切り替え、その時季に配慮した振る舞いを選ぶという柔軟さの手本として読むことができます。
この章句が説くこと
仲春祭祀犠牲圭璧殺生を控える天人相応
関連する章句
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呂氏春秋・仲秋③是の月や、乃ち宰祝に命じて、犠牲を巡行せしむ。全具を視、芻豢を案じ、肥瘠を瞻、物色を察し、必ず比類して、大小を量り、長短を視、皆度に中らしむ。五つの者備に當りて、上帝其れ享く。天子乃ち儺して、佐疾を禦ぎ、以て秋氣を通ず。犬を以て麻を嘗め、先づ寢廟を祭る。
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呂氏春秋・季夏③是の月や、四監大夫をして百縣の秩芻を合わせ、以て犧牲を養わしむ。民をして咸其の力を出ださせること無からしめ、以て皇天上帝・名山大川・四方の神に供し、以て宗廟社稷の靈を祀り、民の為に福を祈る。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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説苑・修文聖人鼓・控・揭・塤・箎を作為し、此の六者を比するに德音の音なり、然る後鐘・磬・竽・瑟以て之を和し、然る後干・戚・旄・狄以て之を舞う。此れ先王の廟を祭る所以なり、此れ酢酳の酬を獻ずる所以なり、官序貴賤各おの其の宜しきを得る所以なり、此れ以て後世に尊卑長幼の序有るを示すべきなり。
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論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
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孔子家語・好生魯の公索氏、将に祭らんとして其の牲を亡う。孔子之を聞きて曰わく、「公索氏二年に及ばずして将に亡びんとす、後一年にして亡ぶ。」門人問いて曰わく、「昔公索氏其の祭牲を亡いしとき、而して夫子曰わく、二年に及ばずして必ず亡びんと、今期を過ぎて亡ぶ、夫子何を以て其の然るを知るや。」孔子曰わく、「夫れ祭る者は、孝子の以て其の親に自ら尽くす所以なり、将に祭らんとして其の牲を亡う、則ち其の余の亡う所の者多し。此くの如くにして亡びざる者は、未だ之れ有らざるなり。」