玉勝間 / 十四の巻 味醬
三代實錄四十九に、味醬二合と見ゆ。此名、これに始めて見えたり。和名抄には、未醬、楊氏漢語抄云、高麗醬美蘇、今按辨色立成說同。但本義未詳。俗用味醬二字、味宜作末。何則通俗文、有末楡莢醬、末者搗末之義也。而末訛爲未、未轉爲味云云といへり。和名抄一本には、はじめの未醬の未、字、末と作り。近き世新井氏の說に、みそは、韓地の方言なり。雞林類事に、漿曰蜜祖と云へり。高麗醬ともあるを思ふに、此說然も有べし。末轉じて味となれりとある、和名抄の說はいかがなり。
新字:三代実録四十九に、味醬二合と見ゆ。此名、これに始めて見えたり。和名抄には、未醬、楊氏漢語抄云、高麗醬美蘇、今按弁色立成説同。但本義未詳。俗用味醬二字、味宜作末。何則通俗文、有末楡莢醬、末者搗末之義也。而末訛為未、未転為味云云といへり。和名抄一本には、はじめの未醬の未、字、末と作り。近き世新井氏の説に、みそは、韓地の方言なり。鶏林類事に、漿曰蜜祖と云へり。高麗醬ともあるを思ふに、此説然も有べし。末転じて味となれりとある、和名抄の説はいかがなり。
書き下し
三代実録四十九に、味醤二合と見ゆ。この名、これに始めて見えたり。和名抄には、未醤、楊氏漢語抄に云う、高麗醤、美蘇、今按ずるに弁色立成の説同じ。但し本義未だ詳らかならず。俗に味醤の二字を用う、味は宜しく末に作るべし。何となれば則ち通俗文に、末楡莢醤有り、末は搗き末するの義なり。而して末訛りて未と為り、未転じて味と為ると云云といえり。和名抄一本には、はじめの未醤の未の字、末と作り。近き世新井氏の説に、みそは、韓地の方言なり。雞林類事に、漿を蜜祖と曰うと云えり。高麗醤ともあるを思うに、この説然も有るべし。末転じて味となれりとある、和名抄の説はいかがなり。
現代語訳
『三代実録』巻四十九に「味醤二合」と見える。この名はここに初めて見える。『和名抄』には、「未醤。『楊氏漢語抄』に言う、高麗醤、みそ。今考えるに『弁色立成』の説も同じ。ただし本来の意味はまだはっきりしない。世間では『味醤』の二字を用いるが、『味』は『末』と書くのがよい。なぜなら『通俗文』に『末楡莢醤』とあり、『末』は搗いて粉末にするという意味である。そして『末』がなまって『未』となり、『未』が転じて『味』となったのである」云々と言っている。『和名抄』のある本では、初めの「未醤」の「未」の字を「末」と書いている。近ごろの新井氏(新井白石)の説に、「みそ」は朝鮮の方言である。『鶏林類事』に「漿を蜜祖という」とある、と言っている。「高麗醤」ともあることを思うと、この説はもっともであろう。「末」が転じて「味」となったという『和名抄』の説は、いかがなものか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十の巻 和名抄と云ふ名和名抄は、もろもろのからぶみを引き出でて、万の物の漢名をしるせるなれば、今思うには、漢名抄とこそなづくべけれ、和名抄としもつけたるは、漢を本とし、主とはして、ここの名をば、末とし、かたわらにしたる名にて、心ゆかねども、順のみずからの序を見るに、この書はもとより、漢名につきて、その物のここの名を知らむ為に、あらわせる趣きなれば、然か名づけたるも、ことわり有ることなり。然は有れどもすべて何事も、もろこしの事にこそ、漢とも唐とも、分けて云うべきわざなれ。皇国の事には、倭、和、日本、本邦、吾国など云うこと、云うべきにあらず。そは例のもろこしにへつらいたる言にて、いとあじきなし。されば今より後、和名抄の如くなる、万の物の事しるせる書をつくらむにも、その書の名は、さらにも云わず、すべてのしるしざまも、その心して条々、たとえば阿米、漢名天云々、都知、漢名地云々とように、まずその物の名を、仮字書にてあげて、次に漢名の字をあげ、さてその事を云うべし。ことわりをもて云わば、漢名はあだし国の事なれば、あげでも有るべけれど、用うる文字みな漢もじにて、物の名も、つねにその名を書くならいなれば、さすがにそれ知らでは、万づにまどわしければ、必ずそれも、次にはあげて、あげつらうべきなり。
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事古え三韓は、もはら皇朝に従いいて、常に参り通いしかば、おのづからかの国の語のうつれるも有るべく、また本ここに無かりし物の、かの国より渡りもうで来つるなどは、かの国の名を、やがて用いたるも有るべく、また古え皇国の語を、韓人のならいて、かの国の言にも成れるが、今の世まで朝鮮に残れるも有るべきを、かえりてそれをも、ひたぶるに皆、かしこより出でたらんと思うは、またひが事なり。さてまた古え母をオモと云えること有り。これをも、漢国にて阿母と云うより出でたりと、儒者などは例の云えど、然らず。本よりの古言なり。万葉の東歌には、アモとも詠めれど、それも漢国の阿母によれるには有らず。オモを、東国の言にさ云えるなり。また今の俗言に、たまたまからぶみに見えたる言と、似たるが有るをも、かれを取れりと、例の云うなり。母をカカと云うは、ある漢籍に、家家と云える事あれば、そを取れるなりと、近き世にある人は云えれど、いとあたらぬ事なり。いかにと云うに、さる物遠きから国の書に、稀れに見えたる言を、此方の俗人の、いかでか知りて取り用いる事あらん。
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事皇国の古言と、漢字の音と、おのづから同じきも、まま有るなり。ケと気、ヤと耶、サカと尺、ウマと馬、ニと死、ハグと剥、スと洲などの如し。なお有るべし。また蝉は、セミセミと鳴けば、その声によれる、本よりの名か、字の音をとれるか、これらはわきまえがたし。このたぐいもなお有るべし。文、銭、関などは、字音なる事しるし。然るをこの文、銭などになずらえて、いささかも似たるが有れば、皆その字音をとれりと心得るは、ひが事なり。また梵語、朝鮮語などと似たるが有れば、それをもかれを取れる物と思うめり。まづ梵語をとりて、ここの言にしたるは、有る事無し。たまたま似たるが有るは、おのづからの事なり。千万の言の中には、おのづから似たるも、同じきも、などか無からん。また今の朝鮮の言と同じきは、寺、郡などのたぐいは、まことに韓語をとれるなり。
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『玉勝間』十四の巻 饌饌をつくりととのうるを、俗に料理と云い、それよりうつりて、そのつくりととのえたる饌をさしても、料理と云い、御料理を下さる、結構なる料理など云う、みな饌を云えり。
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『玉勝間』一の巻 官名の事佐宇官と云うは、音便に佐を引きて云うなり。八省の中に、大蔵は古なり。宮内省も古きか。民部・兵部はいかならむ、中務・式部・治部・刑部などは漢ざまなり。弾正もからざまなり。諸職の中に、大膳ふるし。諸寮の中に、大舎人・内蔵・掃部・大炊・主殿など古なり。内蔵は、つねにはただ久良と唱うるは、禁中にて云いなれたるままなり。掃部はもと蟹守なるを、加牟毛里とあるは音便なり、今の世にカモンと云うはいみしき訛りなり。諸司の中には、内膳・造酒・主水など古えなり。主水は水取なり、和名抄にも毛比止里と有り。今の世にモンドと云うはいみしき訛りなり。近衛・兵衛・衛門みな漢ざまなり。靫負と云うは古なり。こは由介比とあるを、今の世にユキエと云うは訛りなり。太宰ふるし。侍従は於毛止比止女字知岐美とある、女字いかが。中務省侍従は、於毛止比止万知岐美、北山抄には、於毛止未布知君とあり。右の外にも、官名になれるは後なれど、名は古くして、漢ざまにはあらざるなお多し。またもとより漢字を以てつけられたるは、その名のさまをもてわきまえ知るべし。
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『玉勝間』十二の巻 入麺中御門宣胤卿記に、文亀二年正月廿五日、今日内裏の御月次和歌御会なり、云云、参内す云云、また程有りて一身御末に召され、入麺・天酒等を賜う、と見ゆ。にゅうめんは、これ正字にや。
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