玉勝間 / 十二の巻 入麺
中御門宣胤卿記に、文龜二年正月廿五日、今日內裏御月次和哥御會也、云云、參內云云、又有程一身被召御末、賜入麵天酒等と見ゆ。にうめんは、これ正字にや。
新字:中御門宣胤卿記に、文亀二年正月廿五日、今日内裏御月次和歌御会也、云云、参内云云、又有程一身被召御末、賜入麺天酒等と見ゆ。にうめんは、これ正字にや。
書き下し
中御門宣胤卿記に、文亀二年正月廿五日、今日内裏の御月次和歌御会なり、云云、参内す云云、また程有りて一身御末に召され、入麺・天酒等を賜う、と見ゆ。にゅうめんは、これ正字にや。
現代語訳
『中御門宣胤卿記』に「文亀二年(1502)正月二十五日、今日は内裏の月例の和歌御会である……参内した……またしばらくして一人だけ御末(台所方の部屋)に召され、入麺と天酒などを賜った」と見える。「にゅうめん」は、この「入麺」が正しい字であろうか。
解説
温かい汁で煮た素麺「にゅうめん」の漢字表記を、室町時代の記録から探った段である。宮中の月例の歌会の日、中御門宣胤は一人御末に召されて「入麺」と「天酒」を賜った。宣長の時代には「煮麺」と書くことも多かったが、宣長はこの記録から、もとは「入麺」と書いたのが正しい字ではないかと推している。ただし「にや」と疑問の形で結び、断定はしていない。食べ物の名の表記にも、古い記録に根拠を求めるのが宣長の流儀である。歌会の後に天皇から温かい麺をいただくという光景には、宮中の暮らしの親しみやすい一面も見える。料理の名前は、口で呼ばれるうちに字が後から当てられ、いくつもの書き方が生まれやすい。
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 汁と云ふ饗甘露寺元長卿記に、姉小路三位の亭に於て汁有り、また、内蔵頭招く事有り、汁張行す、など見えたり。今の世にも、田舎にて、汁と云うことあり。客おのおの、飯をばおのが家より持ち来て、その家には、菜と汁をもうけて、饗するなり。国によりて、汁講とも云うとぞ。
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『玉勝間』一の巻 中御門宣胤卿の記また曰く、同十二月二十日云々。時に皇居は土御門殿なり、乱後修理有り、去年十二月七日、日野侍従政資の亭より還幸す。また、文亀二年正月一日(乙亥)節会、世乱以後、長享三年に至るまで、廿二年退転す、延徳二年再興す、近年また退転す、当年代始に依りて、御再興せらるる所なり、去年は諒闇に依りて平座たり。また、同二日、去夜勧修寺中納言、回覧の折紙を以て、年始歳末の礼参らしめざる者は、知行覚悟有るべきの由、室町殿仰せ候、当代大略参らざるの間、此の御沙汰に及ぶ。この年始歳末の礼は、室町殿へ、公卿たちの参らるる事なり。覚悟有るべしとは、今の世の語にも、覚悟せられよと云うと同じ、また曰く、同二月十日、去年越前に下し遣わす使者、今日上る、遅々以ての外の事なり、河合荘(内裏御料所)御年貢三千疋、知行分杣山荘分三千疋(乱以前は請切万四千疋なり)到来す。など有り。これらは、書ども読むとて、ふと心にとどまるふし共の有るを、これかれと、いささかづつぬき出でて書けるなり。乱れたりし世ほど、何事もいたく衰えたりしさましるせるを読めば、いと悲しくて、ほとほと涙も落ちぬかし。今云々と書けるに二よう有り。そはまづ云々とは、古き書共には、語をはぶきたる所に書けるを、中昔より近き世の物には、となりと云えりなど云うべき所に書けり。
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『玉勝間』十一の巻 つねの供御のやうおなじふみに、毎日三度の供御は、御めぐり七種、御汁二種なり。御飯は、わりたる強飯を聞こし召すなり。
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『玉勝間』十一の巻 いはゆる御所詞同書に、内裏仙洞には、一切の食物に、異名を付けて召さるる事なり。一向存知せざる者は、当座に迷惑すべき者なり。
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