玉勝間 / 四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事
古へ三韓は、もはら皇朝に從ひゐて、常に參り通ひしかば、おのづからかの國の語のうつれるも有べく又本ここに無かりし物の、かの國より渡りまうで來つるなどは、かの國の名を、やがて用ひたるも有べく又古へ皇國の語を、韓人のならひて、かの國の言にも成れるが、今の世まで朝鮮に殘れるも有べきを、かへりて其れをも、ひたぶるに皆、かしこより出たらんと思ふは、又ひが事なり。さて又古へ母をオモと云へること有リ。是れをも、漢國にて阿母と云ふより出たりと、儒者などは例の云へど、然らず。本よりの古言なり。萬葉の東歌には、アモとも詠めれど、それも漢國の阿母によれるには有らず。オモを、東國の言にさ云へるなり。又今の俗言に、たまたまからぶみに見えたる言と、似たるが有るをも、彼れを取れりと、例の云ふなり。母をカカと云ふは、或漢籍に、家家と云へる事あれば、そを取れるなりと、近き世に或人は云へれど、いとあたらぬ事なり。いかにと云ふに、さる物遠きから國の書に、稀れに見えたる言を、此方の俗人の、いかでか知って取り用る事あらん。
新字:古へ三韓は、もはら皇朝に従ひゐて、常に参り通ひしかば、おのづからかの国の語のうつれるも有べく又本ここに無かりし物の、かの国より渡りまうで来つるなどは、かの国の名を、やがて用ひたるも有べく又古へ皇国の語を、韓人のならひて、かの国の言にも成れるが、今の世まで朝鮮に残れるも有べきを、かへりて其れをも、ひたぶるに皆、かしこより出たらんと思ふは、又ひが事なり。さて又古へ母をオモと云へること有リ。是れをも、漢国にて阿母と云ふより出たりと、儒者などは例の云へど、然らず。本よりの古言なり。万葉の東歌には、アモとも詠めれど、それも漢国の阿母によれるには有らず。オモを、東国の言にさ云へるなり。又今の俗言に、たまたまからぶみに見えたる言と、似たるが有るをも、彼れを取れりと、例の云ふなり。母をカカと云ふは、或漢籍に、家家と云へる事あれば、そを取れるなりと、近き世に或人は云へれど、いとあたらぬ事なり。いかにと云ふに、さる物遠きから国の書に、稀れに見えたる言を、此方の俗人の、いかでか知って取り用る事あらん。
書き下し
古え三韓は、もはら皇朝に従いいて、常に参り通いしかば、おのづからかの国の語のうつれるも有るべく、また本ここに無かりし物の、かの国より渡りもうで来つるなどは、かの国の名を、やがて用いたるも有るべく、また古え皇国の語を、韓人のならいて、かの国の言にも成れるが、今の世まで朝鮮に残れるも有るべきを、かえりてそれをも、ひたぶるに皆、かしこより出でたらんと思うは、またひが事なり。さてまた古え母をオモと云えること有り。これをも、漢国にて阿母と云うより出でたりと、儒者などは例の云えど、然らず。本よりの古言なり。万葉の東歌には、アモとも詠めれど、それも漢国の阿母によれるには有らず。オモを、東国の言にさ云えるなり。また今の俗言に、たまたまからぶみに見えたる言と、似たるが有るをも、かれを取れりと、例の云うなり。母をカカと云うは、ある漢籍に、家家と云える事あれば、そを取れるなりと、近き世にある人は云えれど、いとあたらぬ事なり。いかにと云うに、さる物遠きから国の書に、稀れに見えたる言を、此方の俗人の、いかでか知りて取り用いる事あらん。
現代語訳
古の三韓は、もっぱら皇朝に従っていて、常に参り通っていたので、自然とあの国の言葉が移ってきたものもあるだろうし、またもともとここになかった物が、あの国から渡って来たような場合には、あの国の名をそのまま用いたものもあるだろう。また古の皇国の言葉を韓人が習って、あの国の言葉にもなったものが、今の世まで朝鮮に残っていることもあるだろうに、かえってそれまでも、ひたすらみなあちらから出たのだろうと思うのは、また誤りである。さてまた、古に母を「オモ」と言ったことがある。これをも、漢国で「阿母」と言うところから出たのだと、儒者などはいつものように言うが、そうではない。もとからの古言である。万葉集の東歌には「アモ」とも詠んでいるが、それも漢国の阿母によったのではない。「オモ」を東国の言葉でそう言ったのである。また今の俗語に、たまたま漢籍に見える言葉と似ているものがあるのをも、あれを取ったのだといつものように言う。母を「カカ」と言うのは、ある漢籍に「家家」と言っていることがあるので、それを取ったのだと、近頃ある人は言ったが、まったく当たらないことである。なぜかと言えば、そのような縁遠い唐国の書物にまれに見える言葉を、こちらの俗人がどうして知って取り用いることがあろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事皇国の古言と、漢字の音と、おのづから同じきも、まま有るなり。ケと気、ヤと耶、サカと尺、ウマと馬、ニと死、ハグと剥、スと洲などの如し。なお有るべし。また蝉は、セミセミと鳴けば、その声によれる、本よりの名か、字の音をとれるか、これらはわきまえがたし。このたぐいもなお有るべし。文、銭、関などは、字音なる事しるし。然るをこの文、銭などになずらえて、いささかも似たるが有れば、皆その字音をとれりと心得るは、ひが事なり。また梵語、朝鮮語などと似たるが有れば、それをもかれを取れる物と思うめり。まづ梵語をとりて、ここの言にしたるは、有る事無し。たまたま似たるが有るは、おのづからの事なり。千万の言の中には、おのづから似たるも、同じきも、などか無からん。また今の朝鮮の言と同じきは、寺、郡などのたぐいは、まことに韓語をとれるなり。
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『玉勝間』四の巻 御国の言と外ッ国の言とおのづから似たるも同じきもある事すべて近き世の儒者、いと遠きからぶみに、稀れに見えたる事の、ここの言と似たるを見つくれば、皆それより出でたる事と、すなるは、いとおかしき事ぞかし。大かた後の世の語に、字音の言の多きは、多くは仏書の言なる。こは昔僧どもの、常に云うを、聞きなれて、うつれる物なり。またほとけぶみの言ならぬも、世にひろく読みならえる書に有る詞こそ有れ、遠き書に、稀れ稀れ見えたる言は、ほうしも儒者も、口につねに云う物には有らざれば、ましてなべての世の人の、聞き知りてならい云うべきよし無きものをや。
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『玉勝間』三の巻 もろこしの国をからと云ふ事或る人、もろこしをからと云うは、ひがことなり、からは、三韓の事にこそ有れ、と云えるは、中中に誤りなり。万葉集十九に、三月三日、家持主の歌に、漢人も船をうかべてあそぶ云う今日ぞわがせこ花かづらせよ、新古今集にも入れり。漢は、つねにはあやと詠めども、此歌にては、あや人とは訓むべくもあらず。必ずからなり。又同集同巻に、遣唐使藤原の朝臣清河の卿にたまえる藤原大后の御長歌のうちに、この吾子を韓国へ遣る、と云う御言あり。同じ副使大伴の胡麻呂の宿禰を餞せる歌にも、韓国に行き足らわして、とあり。これら唐国を韓国と書けるは、共にからと云う故に、通わし書けるにあらずや。又昔よりからに唐の字を用うるも、常の事なるをや。
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『玉勝間』一の巻 からぶみ読みのことば漢籍を読むに、世のつねにことなる語の多きは、いと古くより読み来つるままの古語なるが、後に音便にくづれたるなり。曰をノタウマクと訓むは、ノタマハクの音便なり。またノタバクにても有るべし。古言に、フをタブとも云う故に、万葉の歌に、ノタマハクを、ノタバクとも詠めればなり。故をカルガユヱニと訓むは、カルガユエニなるを、カを一つはぶけるなり。是れは音便と云うには有らず。然而をシカウシテと訓むは、シカシテに、ウを添えたるにて、八日をヤウカ、女房をニヨウバウという類なり。是以をコレヲモテと訓まずして、ココヲモテと訓むは、古言のままなり。古言には、コレと云うべきを、ココと云える事つねに多し。さて以をモツテとひきつめて訓むは、例のいやしき音便なり。慮をオモンハカル、以をオモンミルと訓むは、オモヒハカル、オモヒミルなり。垂をナンナントスと訓むは、ナリナムトスなり。然るをナンナンタリとも訓むはひがことなり。欲をホツスと訓むは、ホリスなり。件をクダンノとよむは、クダリノなり。親をシタシンズ、重をオモンズ、賤をイヤシンズと訓むたぐいは、シタシミス、オモミス、イヤシミスにて、皆古言の格なり。
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『玉勝間』七の巻 朝鮮の人のことば同じ人のかたりけるは、今朝鮮の国人の語、いやしき者は、訓と字音とを連ねて云い、よろしき者は、字音にて云う。例えばいやしきものは、刀をハンドウ、火をフルハアと云う。ハンは刀の訓、トウはその字音なり。フルは火の訓、ハアはその字音なり。そをよろしき者は、刀をトウ、火をハアと云う。万ずの言、みなこのじょうなりと語りき。この人は、いにし天明三年に、かの国人の、石見の国に漂い来たりけるに、しばしば逢いて、語る言を聞けるなりと云えり。訓と云うは、かの国の言、字音は漢字のかの国の音なり。
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『玉勝間』十四の巻 から国の詞つかひ皇国の言語にくらぶれば、唐の言語はいとあらき物なり。たとえば罕言と云うこと、皇国言にては、稀れに云うと云うと、云う事まれなりと云うと、心ばえ異なり。稀れにいうは、言と云うこと主となりて、罕ながらも云う事の有る事なり。云うことまれなりは、罕と云うこと主となりて、云うことの稀れなるなり。他の言もこのたぐい多し。すべての事皆かくの如し。
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