玉勝間 / 十四の巻 君を弑奉り父を弑せるたぐひのまがこと
書紀ノ履中天皇ノ御卷に、刺領巾と云ふ者、己君住吉仲皇子を刺シ殺し奉る。崇峻天皇ノ御卷に、蘇我ノ馬子、人をして天皇を殺ッ奉らしむ。天皇を弑奉れる者は、此〓蘇我ノ奴をおきては、他に無し。眉輪王の安康天皇を弑奉り給ひしは、王子なり。又御父の仇に坐シしかば、同じさまには申し難し。景行天皇ノ御卷に、日向ノ國の市乾鹿文と云ひし女、父を殺さしむ。雄略天皇ノ御卷に、樟媛其ノ夫弟君を殺す。但し此ノ二つは、朝廷の御ために、忠なるしわざなりしかば、ひたぶるには云ひ難し。同御卷に、庵城部ノ連枳苣喩、其子武彥を殺す。推古天皇御卷に、一僧斧を執て其ノ祖父を毆つ。おほかた斯かるまが事ども、書紀に見えたる、僅に唯だ是れらのみこそあれ。もろこしの戎國の、周と云ひし代よりこなた世世に、君を殺し、父を殺したりしたぐひの、書どもにしるせる、いと多きと、くらべ思ひて、國からの善さ惡しさ。又道の驗のまさり劣りをも、さとるべし。そもそもかの周公旦、道をつくりそなへて、君を殺せ、父を殺せとは、〓へざれども、おのづから斯くこそ有けれ。
新字:書紀ノ履中天皇ノ御巻に、刺領巾と云ふ者、己君住吉仲皇子を刺シ殺し奉る。崇峻天皇ノ御巻に、蘇我ノ馬子、人をして天皇を殺ッ奉らしむ。天皇を弑奉れる者は、此〓蘇我ノ奴をおきては、他に無し。眉輪王の安康天皇を弑奉り給ひしは、王子なり。又御父の仇に坐シしかば、同じさまには申し難し。景行天皇ノ御巻に、日向ノ国の市乾鹿文と云ひし女、父を殺さしむ。雄略天皇ノ御巻に、樟媛其ノ夫弟君を殺す。但し此ノ二つは、朝廷の御ために、忠なるしわざなりしかば、ひたぶるには云ひ難し。同御巻に、庵城部ノ連枳苣喩、其子武彦を殺す。推古天皇御巻に、一僧斧を執て其ノ祖父を殴つ。おほかた斯かるまが事ども、書紀に見えたる、僅に唯だ是れらのみこそあれ。もろこしの戎国の、周と云ひし代よりこなた世世に、君を殺し、父を殺したりしたぐひの、書どもにしるせる、いと多きと、くらべ思ひて、国からの善さ悪しさ。又道の験のまさり劣りをも、さとるべし。そもそもかの周公旦、道をつくりそなへて、君を殺せ、父を殺せとは、〓へざれども、おのづから斯くこそ有けれ。
書き下し
書紀の履中天皇の御巻に、刺領巾と云う者、己が君住吉仲皇子を刺し殺し奉る。崇峻天皇の御巻に、蘇我の馬子、人をして天皇を殺し奉らしむ。天皇を弑し奉れる者は、この蘇我の奴をおきては、他に無し。眉輪王の安康天皇を弑し奉り給いしは、王子なり。又御父の仇に坐ししかば、同じさまには申し難し。景行天皇の御巻に、日向の国の市乾鹿文と云いし女、父を殺さしむ。雄略天皇の御巻に、樟媛その夫弟君を殺す。但しこの二つは、朝廷の御ために、忠なるしわざなりしかば、ひたぶるには云い難し。同じ御巻に、庵城部の連枳苣喩、その子武彦を殺す。推古天皇の御巻に、一僧斧を執りてその祖父を殴つ。おおかたかかるまが事ども、書紀に見えたる、僅かにただこれらのみこそあれ。もろこしの戎国の、周と云いし代よりこなた世々に、君を殺し、父を殺したりしたぐいの、書どもにしるせる、いと多きと、くらべ思いて、国がらの善さ悪しさ、又道の験のまさり劣りをも、さとるべし。そもそもかの周公旦、道をつくりそなえて、君を殺せ、父を殺せとは、教えざれども、おのずからかくこそ有りけれ。
現代語訳
『日本書紀』の履中天皇の巻に、刺領巾という者が、自分の主君である住吉仲皇子を刺し殺し申し上げたとある。崇峻天皇の巻に、蘇我馬子が人に命じて天皇を殺し申し上げさせたとある。天皇を弑し申し上げた者は、この蘇我の奴を除いては、ほかにいない。眉輪王が安康天皇を弑し申し上げなさったのは、王子であり、また父君の仇でいらっしゃったのだから、同じようには申しがたい。景行天皇の巻に、日向の国の市乾鹿文という女が父を殺させたとある。雄略天皇の巻に、樟媛がその夫の弟君を殺したとある。ただしこの二つは、朝廷のための忠義な行いであったから、一概に悪いとは言いがたい。同じ雄略天皇の巻に、庵城部連枳苣喩がその子の武彦を殺したとある。推古天皇の巻に、一人の僧が斧を手に取ってその祖父を打ったとある。おおよそこうした凶事で『日本書紀』に見えるものは、わずかにただこれらだけである。唐土という戎の国で、周という時代から以後の代々に、主君を殺し父を殺した類いが書物にたいへん多く記されているのと比べて考え、国柄の善し悪し、また道の効き目の優劣をも悟るべきである。そもそもあの周公旦は、道を作り整えるにあたって、主君を殺せ、父を殺せとは教えなかったけれども、自然とこのような結果になったのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』六の巻 蘇我ノ馬子が事愚管抄に云わく、崇峻天皇の、馬子の大臣にころされ給いて、大臣にすこしのとがをも行われず、善き事をしたる体にて、さて止みたる事は、いかに問うとも、昔の人も、あやめさたしおくべし。今の人も、またこれを心得べし。日本国には、当時国王をころしまいらせたる事は、大かた無し。またあるまじと、ひしと定めたる国なり。それにこの王と安康天皇とばかりなり。その安康は、七歳なるむまごのまゆわの王子に、ころされ給いにけるは、やがてまゆわの王子も、その時殺されにければ、いかがはせん云云。この崇峻のころされ給うようは云云。それにすこしのとがも無くて、つつらとして有るべしやは。中にも聖徳太子おわしますおりにて、太子は、いかにさては御さたも無くて、やがて馬子と一つ心にて、おわしましけるぞと、世に心得ぬ事にて有るなり。この事をふかく案ずるに、ただせんは、仏法にて皇法をまもらんずるぞ。仏法無くては、仏法わたりぬるうえは、王法はえ有るまじきぞと云うことわりを、あらわさんりょうと、また物の道理には、一定軽重の有るを、重きにつきて、軽きを捨つるぞと云うことわりと、この二つを、ひしとあらわされたるにて侍るなり云云。
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『玉勝間』十四の巻 〓誠もろこしの古書、ひたすら教誡をのみこちたく云えるは、いといとうるさし。人は教えによりて善くなる者にあらず。もとより教えをまつものには有らぬを、余りこちたくいましめ教うるから、なかなかに姦曲詐偽のみまさる事を知らず。周公旦、余りにこちたく定めたる故に、周の末の乱をおこせり。戦国の頃の人の邪智ふかきは、みな周公が教えたることなり。皇国の古書には、露ばかりもおしえがましき事見えず。このけじめをよく考うべし。教誡の厳なるを善き事と心得たるは愚かなり。
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『玉勝間』六の巻 蘇我ノ馬子が事仏法に帰したる大臣の手本にて、この馬子の大臣は侍りけりとあらわなり。この大臣を、少しも徳もおわしまさず。ただ欽明の御子と云うばかりにて、位につかせ給いたる国王の、この大臣を殺さむとせさせ給う時、馬子の大臣、仏法を信じたる力にて、かかる王を、我がころされぬさきに、失い奉りつるにて侍れば云云。推古の御けしきもやまじりたりけん、とまで道理のおさるるなり云云と云えり。のりなが云わく、この論は、あながちに仏法をいみしき物に立てむとして、中中にその道の、世のいみしきまが事なる程をあらわせるものにて、あまりに拙きしいごとなり。
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『玉勝間』一の巻 わたくしに記せる史世におおやけの史にはあらで、私に御代御代の事を記せる書、これかれと多かるを、昔の皇国人は、仏を尊ばぬは一人も無かりしかば、斯かる書にさえ、ともすればようなき仏ざたのまじりて、うるさく、今見るには、かたわらいたき事多し。またさかしら心に、神代にはあやしき事のみ多くして、からめかぬをいといて、多くは神武天皇より始めてしるして、神代の程をばはぶけるは、から国のむねむねしき書に、さるたぐいの有るを、善き事と思いて、ならえる物なり。そもそも外国々は、その王のすじ、定まれる事無くして、世々に変われば、心にまかせて、いづれの代より記さむも難無きを、御国の皇統は、さらに外国の王のたぐいにはましまさず、天照大御神の天津日嗣にましまして、天地と共に、とこしえに伝わらせ給うを、その本の始めをはぶき捨てて、なからより記して善からめや。万づをから国にならうも、事によりては、心すべきわざぞかし。
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『玉勝間』四の巻 人のうせたる後のわざ人の死にたる後のわざ、上つ代にはいかに有りけむ。神代に天若日子の身うせにし時、八日八夜遊ぶと有りて、楽して遊びし事などの、わづかに見えたるのみにして、こまかなる事は、すべて知りがたし。ただし音楽して遊びし事は、なべての定まりなり。そのよしは古事記伝に云えるが如し。さて死を穢とする事は、神代より然り。されどそれも、日数のかぎりの定まりしは、後なるべし。また忌服は、から国をまねびたる、後の事なり。書紀の仁徳天皇の御巻に、素服と云う字など見えたれど、例の漢文のかざりにこそ有れ、そのかみさる事有りしにあらず。仲哀天皇崩りましまして、いく程も無く、神功皇后の、重き御神わざの有りしにても、服無かりけむ事知られたり。そもそも漢国に、喪服と云う事のかぎりを、こまやかに定めたるは、ねもころなるに似たれども、なかなかに心ざし浅き、うわべの事なり。親などにおくれたらん悲しさは、その月のその頃までと、きわやかにかぎりの有るべきわざには有らざるに、しいてかぎりをたてて、きわやかに定めたるは、かの国のなべてのくせにて、云いもてゆけば、人にいつわりを教うるわざなり。
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
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