弘道館記述義 / 西土唐虞三代・周孔の道を培い、大化の中興を見る
鳴鼓攻之可也。況藉口託名之徒。豈可使遺種於神州乎。又況腥羶犬羊之類。豈可使垂涎於邊海乎。故曰資以贊皇猷。若資彼之所長。併及其所短。遂失我所以冠絶萬國者。安在乎其爲贊皇猷也。於是斯道愈大愈明。而無復尙焉。臣彪謹案。斯道者即天地之大經。而神皇所遵行也。聖子神孫既法其大經。君臨億兆。而更資西土之治敎。以扶綱常。以敍彛倫。譬諸草木。既有萌蘖暢茂之性。而培養有方則根柢益固。枝幹益長。譬諸劔鏡。固有剛銳澄明之質。而磨礪不懈則鋒鋩益利光輝愈新。然此特言其理耳。臣請嘗論其實。王仁之來也。始獻論語。亡幾高麗朝貢表文無禮。菟道皇子怒詰其使壞其表文。應神帝愛菟道皇子立爲太子。時仁德帝賢而長。及應神帝崩。太子避位相讓者三年。遂殞躬以成其志。其跡蓋過中行。然其美不可沒也。仁德帝躬儉素恤民隱。海內庶富。稱爲聖帝。太子之聰明謙讓。帝之慈仁恭儉。雖皆出乎天性。而非藉學問之力。則其效焉能至此。魯論之敎。於是乎可觀矣。厥後自五經博士。以至醫卜曆日之學。往來如織。邦家之治。日趨文明。而大臣蘇我入鹿。世竊權柄。罪惡貫盈。天智帝龍潛。與中臣鎌子。學周孔之道於南淵氏。明良遭遇水魚。不曾同心戮力。果決雄斷。殲兇賊於瞬息。措宗社於磐石。以帝之英武鎌子之偉略。遽升天位。直列大臣。其孰曰不然。而帝能久守儲位。輔佐大政。鎌子亦爲內臣。屈左右大臣之下。大化中興。宇內一新。當是時東宮與內臣。其薰陶啓沃。獎順匡救何如也。此其神聖英武忠義謀略。雖亦皆根乎天資。而非資切磋磨礪之功。則其效又焉能至此。周孔之道於是乎大可觀矣。抑其資周孔者。固在培養斯道。不在捨此從彼也。何以知之。大化元年之詔曰。當遵上古聖王之迹而治天下。右大臣之奏曰。先祭神祇。而後議政事。夫皇朝治敎之隆。莫過於大化。而遵古道先祭祀者。實爲大化中興之第一義。乃若大寶之令延喜之式。揭神祇於卷首。隸浮屠於玄蕃。其所以重國體明名分者。豈不詳且備乎。所謂斯道愈大愈明而無復尙者。信有以也夫。
新字:鳴鼓攻之可也。況藉口託名之徒。豈可使遺種於神州乎。又況腥羶犬羊之類。豈可使垂涎於辺海乎。故曰資以賛皇猷。若資彼之所長。併及其所短。遂失我所以冠絶万国者。安在乎其為賛皇猷也。於是斯道愈大愈明。而無復尚焉。臣彪謹案。斯道者即天地之大経。而神皇所遵行也。聖子神孫既法其大経。君臨億兆。而更資西土之治教。以扶綱常。以叙彛倫。譬諸草木。既有萌蘖暢茂之性。而培養有方則根柢益固。枝幹益長。譬諸剣鏡。固有剛鋭澄明之質。而磨礪不懈則鋒鋩益利光輝愈新。然此特言其理耳。臣請嘗論其実。王仁之来也。始献論語。亡幾高麗朝貢表文無礼。菟道皇子怒詰其使壊其表文。応神帝愛菟道皇子立為太子。時仁徳帝賢而長。及応神帝崩。太子避位相譲者三年。遂殞躬以成其志。其跡蓋過中行。然其美不可没也。仁徳帝躬倹素恤民隠。海内庶富。称為聖帝。太子之聰明謙譲。帝之慈仁恭倹。雖皆出乎天性。而非藉学問之力。則其効焉能至此。魯論之教。於是乎可観矣。厥後自五経博士。以至医卜暦日之学。往来如織。邦家之治。日趨文明。而大臣蘇我入鹿。世窃権柄。罪悪貫盈。天智帝竜潜。与中臣鎌子。学周孔之道於南淵氏。明良遭遇水魚。不曽同心戮力。果決雄断。殲兇賊於瞬息。措宗社於磐石。以帝之英武鎌子之偉略。遽升天位。直列大臣。其孰曰不然。而帝能久守儲位。輔佐大政。鎌子亦為内臣。屈左右大臣之下。大化中興。宇内一新。当是時東宮与内臣。其薫陶啓沃。獎順匡救何如也。此其神聖英武忠義謀略。雖亦皆根乎天資。而非資切磋磨礪之功。則其効又焉能至此。周孔之道於是乎大可観矣。抑其資周孔者。固在培養斯道。不在捨此従彼也。何以知之。大化元年之詔曰。当遵上古聖王之迹而治天下。右大臣之奏曰。先祭神祇。而後議政事。夫皇朝治教之隆。莫過於大化。而遵古道先祭祀者。実為大化中興之第一義。乃若大宝之令延喜之式。掲神祇於巻首。隸浮屠於玄蕃。其所以重国体明名分者。豈不詳且備乎。所謂斯道愈大愈明而無復尚者。信有以也夫。
書き下し
鼓を鳴らして之を攻めて可なり。況んや藉口託名の徒、豈に遺種を神州に使すべけんや。又た況んや腥羶犬羊の類、豈に涎を辺海に垂れしむべけんや。故に曰く、資りて以て皇猷を賛くと。若し彼の長ずる所に資り、併せて其の短なる所に及び、遂に我が万国に冠絶する所以を失はば、安くんぞ其の皇猷を賛くると為すに在らんや。是に於て斯の道、愈〻大に愈〻明らかにして、復た尚ぶ無し。臣彪謹んで案ずるに、斯の道は即ち天地の大経にして、神皇の遵行する所なり。聖子神孫既に其の大経に法り、億兆に君臨して、更に西土の治教に資り、以て綱常を扶け、以て彛倫を敍す。諸を草木に譬ふれば、既に萌蘖暢茂の性有り、而して培養に方有れば、則ち根柢益〻固く、枝幹益〻長ず。諸を剣鏡に譬ふれば、固より剛鋭澄明の質有り、而して磨礪懈らざれば、則ち鋒鋩益〻利く、光輝愈〻新たなり。然れども此れ特だ其の理を言ふのみ。臣請ふ嘗て其の実を論ぜん。王仁の来たるや、始めて論語を献ず。幾ばくも亡くして高麗の朝貢の表文無礼なり。菟道皇子怒りて其の使を詰り、其の表文を壊す。応神帝は菟道皇子を愛して立てて太子と為す。時に仁徳帝は賢にして長なり。応神帝崩ずるに及び、太子位を避けて相譲ること三年、遂に躬を殞して以て其の志を成す。其の跡は蓋し中行に過ぐ。然れども其の美は没すべからず。仁徳帝は躬ら倹素にして民隠を恤み、海内庶富にして、聖帝と称せらる。太子の聡明謙譲、帝の慈仁恭倹は、皆天性に出づと雖も、学問の力を藉るに非ざれば、則ち其の効焉んぞ此に至るを能はん。魯論の教へ、是に於て観るべし。厥の後、五経博士自り以て医卜暦日の学に至るまで、往来すること織るが如し。邦家の治、日に文明に趨く。而るに大臣蘇我入鹿、世〻権柄を窃み、罪悪貫盈す。天智帝龍潜のとき、中臣鎌子と、周孔の道を南淵氏に学ぶ。明良の遭遇、水魚の如く、曾て心を同じくし力を戮せ、果決雄断して、兇賊を瞬息に殲し、宗社を磐石に措く。帝の英武、鎌子の偉略を以て、遽かに天位に升り、直ちに大臣に列す。其れ孰か然らずと曰はん。而るに帝は能く久しく儲位を守りて大政を輔佐し、鎌子も亦た内臣と為りて左右大臣の下に屈す。大化の中興、宇内一新す。是の時に当たり、東宮と内臣と、其の薫陶啓沃、獎順匡救、何如ぞや。此れ其の神聖英武忠義謀略、亦た皆天資に根ざすと雖も、切磋磨礪の功に資るに非ざれば、則ち其の効又た焉んぞ此に至るを能はん。周孔の道、是に於て大いに観るべし。抑も其の周孔に資る者は、固より斯の道を培養するに在り、此を捨て彼に従ふに在らず。何を以て之を知る。大化元年の詔に曰く、当に上古聖王の迹に遵ひて天下を治むべし、と。右大臣の奏に曰く、先づ神祇を祭りて後に政事を議せよ、と。夫れ皇朝治教の隆んなること、大化に過ぐるは莫し。而して古道に遵ひ祭祀を先にするは、実に大化中興の第一義たり。乃ち大宝の令・延喜の式の若きは、神祇を巻首に掲げ、浮屠を玄蕃に隷す。其の国体を重んじ名分を明らかにする所以の者、豈に詳らかにして備はらざらんや。所謂斯の道愈〻大に愈〻明らかにして復た尚ぶ無しとは、信に以有るかな。
現代語訳
太鼓を鳴らしてこれを攻めてよいのです。まして口実を借り名を騙る者たちが、どうして我が国に子孫を残すことを許せましょうか。まして腥く獣のような連中に、どうして海辺で涎を垂らさせてよいでしょうか。ですから「借りて皇室の大計を助ける」と言うのです。もし彼の長所を借りるときに、その短所まで取り入れ、ついに我が国が万国に抜きんでている理由を失うなら、どうして皇室の大計を助けることになるでしょうか。そこで、この道はいよいよ大きくいよいよ明らかになり、これ以上に尊ぶものはなくなります。臣の彪が謹んで考えますに、この道はすなわち天地の大経で、神である天皇が遵い行ったものです。聖なる天皇とその子孫はすでにその大経に法って億兆の民に君臨し、さらに中国の治教を借りて、綱常を助け、人倫を整えます。草木にたとえれば、もともと芽が出て茂る性質があり、培い養う方法がよければ、根はいよいよ固く、枝や幹はいよいよ伸びます。剣や鏡にたとえれば、もともと剛く鋭く澄んだ質があり、磨くことを怠らなければ、刃先はいよいよ鋭く、光はいよいよ新たになります。けれどもこれはただ理を言ったにすぎません。私はその実際を論じさせてください。王仁が来たとき、初めて『論語』を献じました。まもなく高句麗の朝貢の表文が無礼でした。菟道皇子は怒ってその使者をなじり、その表文を破りました。応神天皇は菟道皇子を愛して太子に立てました。そのとき仁徳天皇は賢く年長でした。応神天皇が亡くなると、太子は位を避けて譲り合うこと三年、ついに身を捨ててその志を成しました。その行いは中庸を過ぎたかもしれません。しかしその美しさは埋もれさせてはなりません。仁徳天皇はみずから質素で民の苦しみをいたわり、国中が豊かになって、聖帝と称されました。太子の聡明な謙譲、天皇の慈しみ深い恭倹は、みな天性から出たものとはいえ、学問の力を借りなければ、その効果はどうしてこれほどに至ったでしょうか。『論語』の教えが、ここに見られます。その後、五経博士から医・卜・暦日の学まで、往来すること織るようでした。国の治まりは、日々文明へと進みました。ところが大臣の蘇我入鹿は、代々権力を握り、罪悪が満ちあふれました。天智天皇がまだ皇太子の時、中臣鎌子とともに、周公・孔子の道を南淵氏に学びました。君臣の巡り合いは水と魚のようで、心を同じくして力を合わせ、果断に決断して、悪人を瞬時に滅ぼし、国家を盤石にしました。天皇の英武と鎌子の大きな計略があって、たちまち皇位に昇り、ただちに大臣に列しました。そうでないと言う人がいるでしょうか。しかし天皇は長く皇太子の位を守って国政を補佐し、鎌子も内臣として左右大臣の下に身を屈しました。大化の中興は、天下を一新しました。この時にあたり、東宮と内臣が、互いに受けた薫陶と助言、導きと補いはどれほどだったでしょうか。その神聖・英武・忠義・謀略は、みな天性に根ざすとはいえ、切磋琢磨の功を借りなければ、その効果はどうしてこれほどに至ったでしょう。周公・孔子の道は、ここで大いに見るべきものがあります。そもそも周公・孔子を借りるというのは、もとよりこの道を培い養うことにあり、これを捨てて彼に従うことにはありません。どうしてそれが分かるのか。大化元年の詔には「まさに上古の聖王の跡にならって天下を治めるべきである」とあります。右大臣の奏には「まず神々を祭り、その後で政事を議せよ」とあります。皇朝の治教の盛んなこと、大化に過ぎるものはありません。そして古道に従い祭祀を先にすることは、まさに大化の中興の第一義でした。大宝の令や延喜の式では、神祇を巻頭に掲げ、僧尼のことは玄蕃寮に属させました。国体を重んじ名分を明らかにする所以は、詳しく備わっているではありませんか。いわゆる「この道はいよいよ大きくいよいよ明らかになり、これ以上に尊ぶものはない」とは、まことに理由のあることです。
解説
この章句が説くこと
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