玉勝間 / 十三の巻 庭鳥をたたかはしむる事
同紀に、同六年二月廿八日、天皇於弘徽殿前覽鬪雞と有り。雞をたたかはす事は、書紀の雄略天皇の御卷に見えたり。
新字:同紀に、同六年二月廿八日、天皇於弘徽殿前覧闘鶏と有り。鶏をたたかはす事は、書紀の雄略天皇の御巻に見えたり。
書き下し
同紀に、同六年二月廿八日、天皇弘徽殿の前に於いて闘鶏を覧ると有り。鶏をたたかわす事は、書紀の雄略天皇の御巻に見えたり。
現代語訳
同じ『三代実録』に、「同六年(元慶六年)二月二十八日、天皇(陽成天皇)が弘徽殿の前で闘鶏を御覧になった」とある。鶏を闘わせることは、『日本書紀』の雄略天皇の巻に見えている。
解説
宮中で闘鶏が行われた記事を挙げ、その習わしが『日本書紀』の雄略天皇の時代にまでさかのぼることを示した短い段である。闘鶏は鶏を戦わせて勝負を競う遊びで、平安時代には三月三日の節句の行事ともなり、「鶏合(とりあわせ)」と呼ばれて宮廷や貴族の間で盛んに行われた。『日本書紀』雄略紀には、闘鶏を好んだ人物にまつわる話が見える。宣長は、平安時代の宮廷の遊びが、はるか古代から続いていたことを、史料を結びつけることで示している。一つの習わしの起源を、正史の中でできるだけ古くたどっていくのは、この巻の後半に続く「始まり」の考証と同じ関心である。遊びの中にも長い歴史が流れているのである。
関連する章句
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