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玉勝間 / 十二の巻 童相撲

三代實錄に日、貞觀三年六月廿八日辛未、天皇御前殿、觀童相撲、先是近臣分頭相折、各爲左右、以右大臣正二位兼行左近衞大將藤原朝臣良相、爲左方首、以大納言正三位兼行右近衛大將源朝臣定、爲右方首、左右標、井樂人相撲童等、經左右仗下、入-住殿前、九番相撲、後有勅命停。左右互奏音樂、種雜伎散樂、透撞呪郷弄玉等之戲、如相撲節儀、廿九日壬申晦、帝御南殿、觀童相撲、如昨儀、同四年秋七月五日壬申、天皇御前殿、觀童相撲、其儀、一如去年。六日癸酉、亦御同殿、觀童相撲。同五年秋七月八日戊戌、天皇御南殿、觀童相撲。

新字:三代実録に日、貞観三年六月廿八日辛未、天皇御前殿、観童相撲、先是近臣分頭相折、各為左右、以右大臣正二位兼行左近衛大将藤原朝臣良相、為左方首、以大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣定、為右方首、左右標、井楽人相撲童等、経左右仗下、入-住殿前、九番相撲、後有勅命停。左右互奏音楽、種雑伎散楽、透撞呪郷弄玉等之戯、如相撲節儀、廿九日壬申晦、帝御南殿、観童相撲、如昨儀、同四年秋七月五日壬申、天皇御前殿、観童相撲、其儀、一如去年。六日癸酉、亦御同殿、観童相撲。同五年秋七月八日戊戌、天皇御南殿、観童相撲。

書き下し

三代実録に曰く、貞観三年六月廿八日辛未、天皇前殿に御し、童相撲を観る、これより先近臣頭を分かちて相折り、各左右と為す、右大臣正二位兼行左近衛大将藤原朝臣良相を以て、左方の首と為し、大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣定を以て、右方の首と為す、左右の標、并びに楽人・相撲童等、左右の仗下を経て、殿前に入る、九番相撲して、後に勅命有りて停む。左右互いに音楽を奏し、種々の雑伎散楽、透撞・呪郷・弄玉等の戯れ、相撲節の儀の如し。廿九日壬申晦、帝南殿に御し、童相撲を観る、昨の儀の如し。同じ四年秋七月五日壬申、天皇前殿に御し、童相撲を観る、その儀、一に去年の如し。六日癸酉、また同じ殿に御し、童相撲を観る。同じ五年秋七月八日戊戌、天皇南殿に御し、童相撲を観る。

現代語訳

『日本三代実録』に「貞観三年(861)六月二十八日辛未、天皇(清和天皇)は前殿にお出ましになり、童相撲をご覧になった。これより前に、近臣を二手に分けてそれぞれ左右とし、右大臣正二位兼左近衛大将藤原朝臣良相を左方の首とし、大納言正三位兼右近衛大将源朝臣定を右方の首とした。左右の標(しるし)、ならびに楽人と相撲の童たちは、左右の衛府の陣の下を経て殿の前に入り、九番の相撲をとった後、勅命があって止めた。左右が互いに音楽を奏し、さまざまな雑技・散楽、竿のぼり・呪術・玉の曲芸などの芸があって、相撲節会の儀式のようであった。二十九日壬申、月の末日にも、天皇は南殿にお出ましになり、童相撲をご覧になった。昨日の儀のとおりである。同じく四年秋七月五日壬申、天皇は前殿にお出ましになり、童相撲をご覧になった。その儀はすべて去年のとおりである。六日癸酉にもまた同じ殿にお出ましになり、童相撲をご覧になった。同じく五年秋七月八日戊戌、天皇は南殿にお出ましになり、童相撲をご覧になった」とある。

解説

子どもたちによる「童相撲」が、平安時代の宮中で催されていたことを、三代実録の記事を集めて示した段である。貞観三年、幼い清和天皇の前で、右大臣藤原良相と大納言源定を左右の頭とする二組に分かれて、少年たちが相撲をとった。楽人が音楽を奏し、竿のぼりや玉の曲芸などの散楽も加わって、毎年七月の相撲節会に倣った華やかな催しであった。清和天皇はこの年十二歳で、翌年、翌々年にも童相撲を観覧している。年少の天皇にとって、同年代の少年たちの取組は格別の楽しみだったのだろう。相撲は古くは神事であり、朝廷の重要な年中行事でもあった。

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