玉勝間 / 三の巻 歌のまけわざ
同書に、應和二年八月廿日、殿上侍臣、設和歌負態、去五月庚申夜、男女房獻和歌、男方負仍所爲也。
新字:同書に、応和二年八月廿日、殿上侍臣、設和歌負態、去五月庚申夜、男女房献和歌、男方負仍所為也。
書き下し
同書に、応和二年八月廿日、殿上の侍臣、和歌の負態を設く、去る五月庚申の夜、男女房和歌を献ず、男方負く仍て為す所なり。
現代語訳
同じ『日本紀略』に「応和二年八月二十日、殿上の侍臣たちが和歌の負態(まけわざ)を催した。去る五月の庚申の夜、男房と女房が和歌を献じ、男方が負けたので催したのである」とある。
解説
平安宮廷の歌合にまつわる遊びの記録である。「負態(まけわざ)」とは、勝負事で負けた側が勝った側を饗応したり贈り物をしたりする習わしをいう。この年の五月、庚申の夜に男女の殿上人が和歌を詠み比べ、男方が負けたので、三か月後に男たちが負態を催した。庚申の夜は、眠ると体内の虫が天に昇って罪を告げるという道教由来の信仰から、夜通し起きて遊ぶ「庚申待ち」の習わしがあり、歌合はその夜を過ごす楽しみでもあった。題の「歌のまけわざ」が示すように、宣長が目を留めたのは勝負の後始末までが一つの行事として整えられていた点だろう。和歌が宮廷の人々の社交と遊びの中心にあったことが、こうした短い記録からいきいきと伝わってくる。
関連する章句
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