玉勝間 / 十二の巻 武徳殿前競馬のまけわざの時に神楽を奏せし事
同紀に、仁和元年十月廿三日甲戌、天皇御紫宸殿。右近衛右衛門右兵衛三府、井右馬寮、献物、是去五月六日、武德殿前競走馬之輸物也。親王及太政大臣已下、出居侍從已上、侍殿上、奏音樂種種散樂、日暮、親王已下降殿、於玉階前奏神樂、歌僻極歡。喚諸衛官人內豎等、能歌者預之、賜次侍從已上祿、各有差と見えたり。斯かるをりに、神樂を奏せしめ給へるは、珍しき事なり。
新字:同紀に、仁和元年十月廿三日甲戌、天皇御紫宸殿。右近衛右衛門右兵衛三府、井右馬寮、献物、是去五月六日、武徳殿前競走馬之輸物也。親王及太政大臣已下、出居侍従已上、侍殿上、奏音楽種種散楽、日暮、親王已下降殿、於玉階前奏神楽、歌僻極歓。喚諸衛官人内豎等、能歌者預之、賜次侍従已上禄、各有差と見えたり。斯かるをりに、神楽を奏せしめ給へるは、珍しき事なり。
書き下し
同じ紀に、仁和元年十月廿三日甲戌、天皇紫宸殿に御す。右近衛・右衛門・右兵衛の三府、并びに右馬寮、物を献ず、これ去る五月六日、武徳殿前の競走馬の輸物なり。親王及び太政大臣已下、出居・侍従已上、殿上に侍し、音楽種々の散楽を奏す、日暮れて、親王已下殿を降り、玉階の前に於て神楽を奏す、歌舞歓を極む。諸衛の官人・内竪等の、能く歌う者を喚びてこれに預からしむ、次侍従已上に禄を賜うこと、各差有り、と見えたり。かかるおりに、神楽を奏せしめ給えるは、珍しき事なり。
現代語訳
同じ紀(三代実録)に「仁和元年(885)十月二十三日甲戌、天皇は紫宸殿にお出ましになった。右近衛・右衛門・右兵衛の三府と右馬寮が物を献上した。これは去る五月六日の武徳殿前の競べ馬で負けた方の償いの品である。親王および太政大臣以下、出居・侍従以上が殿上に侍り、音楽やさまざまな散楽を奏した。日が暮れて、親王以下が殿を降り、玉の階の前で神楽を奏し、歌舞に歓を尽くした。諸衛府の官人や内竪などで歌の上手な者を呼んで加わらせた。次侍従以上にはそれぞれ差をつけて禄を賜った」と見えている。このような折に神楽を奏させなさったのは、珍しいことである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』三の巻 歌のまけわざ同書に、応和二年八月廿日、殿上の侍臣、和歌の負態を設く、去る五月庚申の夜、男女房和歌を献ず、男方負く仍て為す所なり。
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『玉勝間』十三の巻 大歌所同書に云云、従四位下治部大輔興世朝臣書主卒す、云云弘仁七年云云、能く和琴を弾く、仍りて大歌所の別当と為り、常に節会に供奉す。三代実録、貞観七年十一月十五日壬辰、天皇紫宸殿に御し、宴を群臣に賜う、大歌所五節舞、常儀の如し、と見えたり。大歌は、続紀に、天応元年十一月丁卯、太政官院に御して大嘗の事を行う、云云己巳五位已上を宴し、雅楽及び大歌を庭に奏すまた江次第の、五節帳台試の条に大歌小歌と有り。
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『玉勝間』六の巻 内侍所御神楽糸束記に曰く、寛仁四年十二月二十八日甲辰、今夜内侍所の御神楽有り、云云。召人十六人(地下の殿上人、歌笛に堪うる者)、近衛司の者七人(人長この中に在り)、内侍二人(一人は典侍、一人は掌侍)、博士十二人、囲司六人、女官十六人、下四人。賢所の御前の物、十二盃(葉子四く、干物四く、飯四く、已上の物は、本より御前に有り、八足の机に居う)。御酒は酒殿に召してこれを用う。内侍陪膳す。博士、御盤を取る云云。御幣十帖、柳の折櫃に納めてこれを奉る。先例は四帖と云云。饗は、内侍二人の前(衝重各二合、二種物)、博士十二人(同前)、団司ならびに女官等(各衝重一合、一種物)、召人・近衛司等(衝重各二合、二種物)。然るべき人々の禄は、上人これを取る。禄は、典侍(白き褂一領)、掌侍(白き単衣一領)、伝侍二人(命婦は白き単重一領、六位は白き単衣一領)、女官(疋絹)、下(手作各一端、所の布を以てこれを給う)、召人(白き単衣各一領)、近衛司(疋絹)と見ゆ。この記は、参議経頼卿の記録なり。名の二字の偏をとりて、糸束とは名付けたるなり。
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