玉勝間 / 十三の巻 神社を殊に宮と申す号の事
同紀に、貞觀九年八月二日、勅伊勢國伊佐奈岐伊佐奈彌神、改社稱宮、預月次祭、井置內人一員とある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊キ卑き差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、猶社と申シて、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
新字:同紀に、貞観九年八月二日、勅伊勢国伊佐奈岐伊佐奈弥神、改社称宮、預月次祭、井置内人一員とある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊キ卑き差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、猶社と申シて、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
書き下し
同紀に、貞観九年八月二日、伊勢国の伊佐奈岐伊佐奈弥神に勅して、社を改めて宮と称し、月次祭に預からしめ、并びに内人一員を置くとある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊き卑しき差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、なお社と申して、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
現代語訳
同じ『三代実録』に、「貞観九年八月二日、伊勢国の伊佐奈岐・伊佐奈弥の神に勅して、社を改めて宮と称し、月次祭に加え、あわせて内人一人を置いた」とある。これらによれば、およそ「宮」と申し上げるのと「社」と申し上げるのとは、尊卑の差がある事なのだが、また一概にそうでもないのであろうか。特別な大社でも、なお「社」と申して「宮」とは申さないものも多いのは、どういうことであろうか。
解説
神社を「宮」と呼ぶか「社」と呼ぶかの違いについて考えた段である。『三代実録』には、伊勢の伊佐奈岐・伊佐奈弥の神の社を「宮」と改めたという記事があり、宮のほうが社より格が高いことがうかがえる。この社は伊勢神宮の内宮の別宮である今の伊雑宮や月読宮に関わる社と考えられる。しかし宣長は、出雲大社のような格別に尊い大社でも「社」と呼ばれ、「宮」とされないものが多いことに気づき、単純に尊卑の差とは言い切れないと疑問を残している。一つの記事から規則を立てたうえで、それに合わない例を思い浮かべて規則を検証する。早まって一般化しない慎重さは、宣長の考証全体に通じる特徴である。
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 神社の号某明神と云ふ事続後紀、承和十五年のところに、山崎明神と見え、文徳実録、斉衡二年に、吉備津彦名明神など見え、三代実録、仁和二年の宣命には、松尾大明神とも有り。これらより前にも、見えたるようにも覚ゆれども、今さだかには覚えず。又文徳実録、仁寿元年の処に、詔して近江国の散久難度神を以て、明神に列す、三代実録、貞観七年の処に、諸明神の神田に充て奉る、などあるをもて見れば、もろもろの神社の中に、殊に明神と云う列の有りしにやあらむ。
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『玉勝間』七の巻 神社の祭る神を知らまほしくする事さればもとより某神と云う、古き伝えの無きを、しいて後に考えて、あらぬ神に定めむは、なかなかのひがことなり。もしその社の号によりて定めむとせば、たとえば伊勢の大神宮は、五十鈴の宮と申せば、祭る神は五十鈴姫の命にて、鈴の神、外宮は、わたらいの宮と申せば、綿津見命にて、海神なりとせむか。近き世に、物知り人の考えて定むるは、大かたこれに似たるものにて、いとうきたる事のみなれば、すべて信じがたし。知られぬをしいて求めて、あらぬ神となさむよりは、ただその社の号を、神の御名としてあらむこそ、古の意なるべきを、社の号のみにては、とらえ所無きがごと思うは、近き世の俗心にこそ有れ。今の世とても、世に広く云いならえる社号は、そをやがて神の御名と心得居て、八幡宮・春日明神・稲荷明神など云えば、必ずしもその神は、いかなる神ぞとまでは、たずねず、ただ八幡・春日・いなりにてあるにあらずや。もろもろの社も、皆同じことにて、社の号すなわちその神の御名なるものをや。
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『玉勝間』十二の巻 神社をたふとむべき事公式令に、大社の号は、闕字の例に出だされたり。大社とは、神名帳に、大とある社これなり。古えはかく、公の文書にも、闕字せられたりしを以て、神社を尊み給いし程を知るべし。今の世には、大社といえども、闕字はさらにも云わず。その事を書くに、すべて御の字をだに付くること無きは、いとおろそかならずや。
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『玉勝間』十四の巻 神社の位階の事同じく天武天皇の御巻に、軍政既に訖りて、将軍等、この三神の教言を挙げて、これを奏す。即ち勅して三神の品を登げ進めて以て祠るとみえたる。品とは、位階を云えるか。もし然らばこれ、神社に位を授け奉り給うことの、物に見えたる始めと云うべし。されどこれは、必ずしも位階にはあらで、ただその社の班列をあげ給えるにも有るべし。三神の教言の事は、件の文の上に出でたり。
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『玉勝間』六の巻 神社を宗廟社稷と申す事神の社を、後の世の人の、それは宗廟ぞ、それは社稷ぞなど、かしこげに云うは、から国ごとのわたくしごとなり。古にすべて宗廟社稷と云える事無し。書紀などにおりおり、その字は見えたれど、ただ潤色の漢文にして、もとより神社を云えるには有らず。さる故に、くにいえなど訓めり。くにいえとは、漢文の国家の訓をうつしたるなり。さてもろもろの神社を、廟とは申すまじきよしは、筑前の国の香椎廟のみ、古書どもに、とりわきて廟とは申して、こは神名帳に入らず、故有る事なるべし。これをおきては、豊前の国の大帯姫の廟の神社あり。これらのことのよしは、古事記伝三十の巻に云えり。考え見べし。さるゆえよしをもたどらで、神社を宗廟よ社稷よと申すは、皇国の古の御定めをば捨てて、ひたぶるにから国ごとに従えるみだり事なり。すべて神の道を説くともがらの、かくのみ万ずを、から国ごとに云いなすなるは、法師のともがらの神をおのが仏のかたさまに、引き入れむとかまうると、同じ事なるを、えさとらざるは、いかにまどえる心ぞや。
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