玉勝間 / 十二の巻 神社をたふとむべき事
公式令に、大社の號は、闕字の例に出されたり。大社とは、神名帳に、大とある社これなり。古へは斯く、公の文書にも、闕字せられたりしを以て、神社を尊み給ひし程を知るべし。今の世には、大社といへども、闕字はさらにも云はず。其事を書に、すべて御の字をだに附ること無きは、いとおろそかならずや。
新字:公式令に、大社の号は、闕字の例に出されたり。大社とは、神名帳に、大とある社これなり。古へは斯く、公の文書にも、闕字せられたりしを以て、神社を尊み給ひし程を知るべし。今の世には、大社といへども、闕字はさらにも云はず。其事を書に、すべて御の字をだに附ること無きは、いとおろそかならずや。
書き下し
公式令に、大社の号は、闕字の例に出だされたり。大社とは、神名帳に、大とある社これなり。古えはかく、公の文書にも、闕字せられたりしを以て、神社を尊み給いし程を知るべし。今の世には、大社といえども、闕字はさらにも云わず。その事を書くに、すべて御の字をだに付くること無きは、いとおろそかならずや。
現代語訳
公式令(くしきりょう)に、「大社」の号は闕字の例として挙げられている。大社とは、神名帳(延喜式神名帳)で「大」とある社のことである。昔はこのように、公の文書でも闕字がなされていたことによって、神社をどれほど尊ばれたかを知るべきである。今の世では、大社であっても、闕字はもちろんのこと、そのことを書くのに「御」の字さえまったく付けないのは、まことにおろそかではないか。
解説
古代の法令に照らして、神社への敬意が薄れた今の世を嘆いた段である。養老令の公式令は、公文書の中で天皇や朝廷に関わる語の上を一字空けて敬意を示す「闕字」の対象を定めており、その中に「大社」が含まれていた。大社は延喜式神名帳で「大」と記される格の高い神社である。つまり古代には、神社は天皇に準ずる敬意をもって文書に書かれていた。宣長は、今は闕字どころか「御」の字さえ付けないのはおろそかではないかと問う。宣長にとって神々を尊ぶことは古えの道の根本であり、その敬意が文字の扱いの細部に表れると考えた。形式の変化の中に、心のありようの変化を読み取るのである。敬意の表し方が簡略化されるとき、失われるものは何か、という問いとして今も読める。
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