玉勝間 / 五の巻 大神宮に諸人のまうづる事
同書に、承平四年九月御祭云云、參宮人千萬、不論貴賤云云、と有るを見れば、その頃も斯かりしなり。そもそも大神宮には、私ノ幣を奉ることは、禁制なりしかども、詣ッる事は、なべて苦しからざりしにや。
新字:同書に、承平四年九月御祭云云、参宮人千万、不論貴賤云云、と有るを見れば、その頃も斯かりしなり。そもそも大神宮には、私ノ幣を奉ることは、禁制なりしかども、詣ッる事は、なべて苦しからざりしにや。
書き下し
同じ書に、承平四年九月の御祭云云、参宮人千万、貴賤を論ぜず云云、と有るを見れば、その頃もかかりしなり。そもそも大神宮には、私の幣を奉ることは、禁制なりしかども、詣ずる事は、なべて苦しからざりしにや。
現代語訳
同じ書(『大神宮雑事記』)に、「承平四年(934)九月の御祭に、参宮する人は千万、身分の貴賤を問わず」などとあるのを見ると、そのころもこのように大勢が参ったのである。そもそも大神宮(伊勢神宮)には、個人の幣帛を奉ることは禁制であったけれども、参詣すること自体は、おしなべて差し支えなかったのであろうか。
解説
伊勢神宮への庶民の参詣が、平安中期にすでに盛んだったことを示した段である。伊勢神宮は皇祖神を祀る社で、古くは天皇以外が私に幣帛を奉ることを禁じる私幣禁断の制があった。そのため民衆の参詣は中世以降に広まったと考えられがちである。ところが『大神宮雑事記』には、承平四年の祭に身分を問わず千万の人が参ったとある。宣長はここから、私的な奉納は禁じられても、参詣そのものは広く許されていたのではないかと推し量る。宣長の時代には、お蔭参りのように何百万人もが伊勢へ押し寄せることがあった。その賑わいの根が平安にまでさかのぼると示すことで、信仰の連続を確かめている。制度上の禁止と、実際の人々の行いを分けて見る視点がある。
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