玉勝間 / 十三の巻 私ノ主
同紀十三卷に、云云、恒山等言、隨私主右衛門佐伴宿禰中庸〓云云と有る、私ノ主は、今は唯だ主と云ひ、主人と云ふ。物語書にも、しうと云へり。
新字:同紀十三巻に、云云、恒山等言、随私主右衛門佐伴宿祢中庸〓云云と有る、私ノ主は、今は唯だ主と云ひ、主人と云ふ。物語書にも、しうと云へり。
書き下し
同紀十三巻に、云云、恒山等言う、私の主右衛門佐伴宿禰中庸に随いて云云と有る、私の主は、今はただ主と云い、主人と云う。物語書にも、しゅうと云えり。
現代語訳
同じ『三代実録』巻十三に、「云々、恒山らが言うには、『私の主人である右衛門佐伴宿禰中庸に従って』云々」とある、この「私の主」は、今はただ「主(しゅ)」と言い、「主人」と言う。物語の書にも「しゅう」と言っている。
解説
『三代実録』に見える「私主(わたくしのぬし)」という語を取り上げ、今の「主(しゅう)」「主人」にあたる言葉だと説明した短い段である。記事は応天門の変に関わるもので、伴善男の子中庸に仕えていた従者たちの供述の一部である。朝廷に仕える「公(おおやけ)」の主君に対して、個人的に仕える主人を「私の主」と呼んだのであろう。宣長は、物語でも主人を「しゅう」と言っていると付け加え、正史の漢文の語と和文の語とをつないでいる。主従の関係を表す言葉が、公と私の区別とともに移り変わってきたことがうかがえる。日常の言葉の中に、古い社会の関係のあり方が映っていることを示す小さな考証である。
関連する章句
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