玉勝間 / 十三の巻 神社の号某明神と云ふ事
續後紀、承和十五年のところに、山崎明神と見え、文德實錄、齊衡二年に、吉備津彥名明神など見え、三代實錄、仁和二年の宣命には、松尾大明神とも有り。これらより前にも、見えたるやうにも覺ゆれども、今さだかには覺えず。又文德實錄、仁壽元年の處に、詔以近江國散久難度神、列於明神、三代實錄、貞觀七年の處に、奉充諸明神神田、などあるをもて見れば、もろもろの神社の中に、殊に明神と云ふ列の有リしにやあらむ。
新字:続後紀、承和十五年のところに、山崎明神と見え、文徳実録、斉衡二年に、吉備津彦名明神など見え、三代実録、仁和二年の宣命には、松尾大明神とも有り。これらより前にも、見えたるやうにも覚ゆれども、今さだかには覚えず。又文徳実録、仁寿元年の処に、詔以近江国散久難度神、列於明神、三代実録、貞観七年の処に、奉充諸明神神田、などあるをもて見れば、もろもろの神社の中に、殊に明神と云ふ列の有リしにやあらむ。
書き下し
続後紀、承和十五年のところに、山崎明神と見え、文徳実録、斉衡二年に、吉備津彦名明神など見え、三代実録、仁和二年の宣命には、松尾大明神とも有り。これらより前にも、見えたるようにも覚ゆれども、今さだかには覚えず。又文徳実録、仁寿元年の処に、詔して近江国の散久難度神を以て、明神に列す、三代実録、貞観七年の処に、諸明神の神田に充て奉る、などあるをもて見れば、もろもろの神社の中に、殊に明神と云う列の有りしにやあらむ。
現代語訳
『続日本後紀』の承和十五年のところに「山崎明神」と見え、『文徳実録』の斉衡二年に「吉備津彦名明神」などと見え、『三代実録』の仁和二年の宣命には「松尾大明神」ともある。これらより前にも見えていたようにも思うが、今ははっきりとは思い出せない。また『文徳実録』の仁寿元年のところに「詔して近江国の散久難度神を明神の列に加えた」、『三代実録』の貞観七年のところに「諸明神の神田に充て申し上げた」などとあるのを見ると、さまざまな神社の中に、特に「明神」という列があったのであろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十三の巻 神社を殊に宮と申す号の事同紀に、貞観九年八月二日、伊勢国の伊佐奈岐伊佐奈弥神に勅して、社を改めて宮と称し、月次祭に預からしめ、并びに内人一員を置くとある。これらによれば、凡て宮と申すと、社と申すとは、尊き卑しき差等ある事なるに、又なべて然るにもあらざるにや。殊なる大社にも、なお社と申して、宮とは申さぬも多きは、いかなる事にか有らむ。
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『玉勝間』十四の巻 神社の位階の事同じく天武天皇の御巻に、軍政既に訖りて、将軍等、この三神の教言を挙げて、これを奏す。即ち勅して三神の品を登げ進めて以て祠るとみえたる。品とは、位階を云えるか。もし然らばこれ、神社に位を授け奉り給うことの、物に見えたる始めと云うべし。されどこれは、必ずしも位階にはあらで、ただその社の班列をあげ給えるにも有るべし。三神の教言の事は、件の文の上に出でたり。
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『玉勝間』十二の巻 神社をたふとむべき事公式令に、大社の号は、闕字の例に出だされたり。大社とは、神名帳に、大とある社これなり。古えはかく、公の文書にも、闕字せられたりしを以て、神社を尊み給いし程を知るべし。今の世には、大社といえども、闕字はさらにも云わず。その事を書くに、すべて御の字をだに付くること無きは、いとおろそかならずや。
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『玉勝間』七の巻 神社の祭る神を知らまほしくする事さればもとより某神と云う、古き伝えの無きを、しいて後に考えて、あらぬ神に定めむは、なかなかのひがことなり。もしその社の号によりて定めむとせば、たとえば伊勢の大神宮は、五十鈴の宮と申せば、祭る神は五十鈴姫の命にて、鈴の神、外宮は、わたらいの宮と申せば、綿津見命にて、海神なりとせむか。近き世に、物知り人の考えて定むるは、大かたこれに似たるものにて、いとうきたる事のみなれば、すべて信じがたし。知られぬをしいて求めて、あらぬ神となさむよりは、ただその社の号を、神の御名としてあらむこそ、古の意なるべきを、社の号のみにては、とらえ所無きがごと思うは、近き世の俗心にこそ有れ。今の世とても、世に広く云いならえる社号は、そをやがて神の御名と心得居て、八幡宮・春日明神・稲荷明神など云えば、必ずしもその神は、いかなる神ぞとまでは、たずねず、ただ八幡・春日・いなりにてあるにあらずや。もろもろの社も、皆同じことにて、社の号すなわちその神の御名なるものをや。
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『玉勝間』七の巻 神社の祭る神を知らまほしくする事古き神社どもにはいかなる神を祭れるにか、知られぬぞ多かる。神名帳にも、すべてまつれる神の御名は、しるされず、ただその社号のみを挙げられたり。出雲風土記の、神社をしるせるようも、同じ事なり。社号すなわちその神の御名なれば、さも有るべき事にて、古はさしも祭る神をば、しいては知らでも有りけむ。然るを後の世には、必ず祭る神を知らでは、有るまじき事のごと心得て、知られぬをも、しいて知らむとするから、万ずにもとめて、或いは社号につきて、神代のふみに、いささかも似よれる神の名あれば、おしあてにその神と定めたるたぐい多ければ、その社に伝えたる説も、信じがたきぞ多かる。そもそも神は、八百万の神など申して、天にも地にも、その数限り無くおわします事なれば、天の下の社々には、その中のいずれの神を祭れるも、知るべからぬぞ多かるべき。神代紀などに出でたる神は、その千万の中の一つにもたらざんめるを、必ずその中にて、その神と定めむとするは、八百万の神の御名は、神代紀に、ことごとく出でたりと思うにや。古書に御名の出でざる神の多かる事を、思いわきまえざるは、いかにぞや。
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『玉勝間』十三の巻 天ノ下の諸神おしなべて正六位上に叙せらるる事文徳実録に、仁寿元年正月甲戌朔庚子、詔す、天下の諸神、有位無位を論ぜず、正六位上に叙す。
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