玉勝間 / 十三の巻 白人
同紀に、貞觀八年七月、紀伊國言、伊都郡人六人部由貴繼、生白人男女二人、男年二歲、長二尺四寸、女五歲、長三尺一分、兩兒生、而肌膚髮髮眉眼、擧身純白如雪、因得見暗夜、不能向白日、父母陰藏養成、今圖其形進之、このこと、大祓の後釋に引べかりしを漏らせり。
新字:同紀に、貞観八年七月、紀伊国言、伊都郡人六人部由貴継、生白人男女二人、男年二歳、長二尺四寸、女五歳、長三尺一分、両児生、而肌膚髪髪眉眼、挙身純白如雪、因得見暗夜、不能向白日、父母陰蔵養成、今図其形進之、このこと、大祓の後釈に引べかりしを漏らせり。
書き下し
同紀に、貞観八年七月、紀伊国言す、伊都郡の人六人部由貴継、白人の男女二人を生む、男は年二歳、長二尺四寸、女は五歳、長三尺一分、両児生まれて、肌膚髪髪眉眼、身を挙げて純白雪の如し、因りて暗夜に見るを得、白日に向かう能わず、父母陰に蔵して養い成す、今その形を図してこれを進むと、このこと、大祓の後釈に引くべかりしを漏らせり。
現代語訳
同じ『三代実録』に、「貞観八年七月、紀伊国が申し上げた。伊都郡の人六人部由貴継が、白い人の男女二人を生んだ。男は二歳で身長二尺四寸、女は五歳で身長三尺一分である。二人の子は生まれつき、肌も頭髪も眉も目も、全身が雪のように真っ白である。そのため暗い夜には物が見えるが、昼の光には向かうことができない。父母は人目につかない所に隠して育てた。今その姿を絵に描いて献上する」とある。このことは、『大祓詞後釈』に引くべきであったのを漏らしてしまった。
解説
平安時代の紀伊国で、肌も髪も眉も真っ白な子どもが生まれ、昼の光を避けて育てられたという記録を写した段である。現代でいう先天的な色素の欠乏にあたる子どもについての、古い記録と考えられる。宣長がこの記事を書き留めたのは、大祓詞に「国つ罪」の一つとして挙げられる「白人(しらひと)」の意味を考える手がかりになると見たからである。宣長は『大祓詞後釈』でこの語を注釈したが、この記事を引き漏らしたことを悔やんでいる。自分の既刊の著作の不足を率直に認め、補うべき資料を書き留めておく態度は、学問を一度で完成したものとせず、絶えず改めていく宣長の姿勢を示している。なお、古代の身体観に基づく言葉であることは断っておきたい。
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