玉勝間 / 十三の巻 神社にてほうしをして仏の経をよましむる事
同紀に、齊衡元年四月、遣傳燈大法師位智-戒興-智眞-秀、傳燈法師位明-昭玄-永、傳燈滿位僧基-藏基秀、向七道諸國名神社、轉-讀般若、祈民福也。また同三年九月、請儈於賀茂松尾大神社、讀金剛般若經、限三日訖。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべて斯かるたぐひの事は、いかなる事にか有、けむ。
新字:同紀に、斉衡元年四月、遣伝灯大法師位智-戒興-智真-秀、伝灯法師位明-昭玄-永、伝灯満位僧基-蔵基秀、向七道諸国名神社、転-読般若、祈民福也。また同三年九月、請儈於賀茂松尾大神社、読金剛般若経、限三日訖。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべて斯かるたぐひの事は、いかなる事にか有、けむ。
書き下し
同紀に、斉衡元年四月、伝灯大法師位智戒興智真秀、伝灯法師位明昭玄永、伝灯満位僧基蔵基秀を遣わし、七道諸国の名神社に向かい、般若を転読せしむ、民の福を祈るなり。また同三年九月、僧を賀茂松尾大神社に請い、金剛般若経を読ましむ、三日を限りて訖う。また天安元年五月にも、同じ事あり。すべてかかるたぐいの事は、いかなる事にか有りけむ。
現代語訳
同じ『文徳実録』に、「斉衡元年四月、伝灯大法師位の智戒・興智・真秀、伝灯法師位の明昭・玄永、伝灯満位の僧基蔵・基秀を遣わし、七道諸国の名神の社に向かわせて、大般若経を転読させた。民の福を祈るためである」とある。また「同三年九月、僧を賀茂・松尾の大神社に招いて、金剛般若経を読ませた。三日を限りとして終えた」。また天安元年五月にも同じことがあった。およそこの類のことは、どういうことであったのだろうか。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 伊勢大神宮司仏事を行ひて見任を解れし事同じ書に、弘仁七年六月丙辰、伊勢大神宮司従七位下大中臣朝臣〓持、穢を犯し并びに仏事を行う有り、神祇官これをトするに、祟り有り、大祓を科し、見任を解く、と見えたり。
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『玉勝間』九の巻 春日ノ社みづがきを廻廊に造リかへらるる事同書に、治承二年五月卅日、春日社、今度修造の時、瑞垣を改めて廻廊を造るべきの由、衆徒奏状を進む、申請に依りて、御卜を行わるるの処、宣下せられ畢んぬ、而るに社家申す旨有るに依りて、官奏共に不快の由之を申す、而るに衆徒申して云う、卜の吉凶に依るべからずと、仍りて諸卿に問わる、猶本社に祈請して、覆推有るべきの由、之を定め申す、遂に瑞垣を改め、廻廊を造る、と見えたり。官奏の奏の字は、寮を誤れるなるべし。官は神祇官、寮は陰陽寮なり。さてこれになずらえて思うに、すべて国々の神社のつくりざま、古えのとは、変わりきぬる程、おしはかられたり。又御卜の吉凶は、神の御心なるに、それにも従わず、ひたぶるにほうしの心なりけん。まがつひのまがことは、せんかたも無きわざなりけり。
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『玉勝間』七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
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