玉勝間 / 七の巻 神わざのおとろへのなげかはしき事
よろづよりも、世ノ中に願はしきは、いかでもろもろの神ノ社の衰へを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさま欲しくこそ。今の世の神ノ社神事のさまは、おほかた中頃の亂れ世に、いたく衰へすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古へより斯かるものとぞ思ひたンめる。まれまれ書を讀む人なども、ただからぶみをのみむねとは讀みて、其心もて、萬つをさだして、皇國の古き書どもをば、をさをさ讀む人も無ければ、古、の御世には、神社神事を、むねと重くし給ひし事をば知らず。又稀れには知れる人も有れども、猶今の世のならひにまぎれては、古へを思ひくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
新字:よろづよりも、世ノ中に願はしきは、いかでもろもろの神ノ社の衰へを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさま欲しくこそ。今の世の神ノ社神事のさまは、おほかた中頃の乱れ世に、いたく衰へすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古へより斯かるものとぞ思ひたンめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、其心もて、万つをさだして、皇国の古き書どもをば、をさをさ読む人も無ければ、古、の御世には、神社神事を、むねと重くし給ひし事をば知らず。又稀れには知れる人も有れども、猶今の世のならひにまぎれては、古へを思ひくらべて、これを深く嘆く人の無きこそ、いと悲しけれ。
書き下し
よろずよりも、世の中に願わしきは、いかでもろもろの神の社の衰えを、もて直し、もろもろの神わざを、おこさまほしくこそ。今の世の神の社・神事のさまは、おおかた中頃の乱れ世に、いたく衰えすたれたるままなるを、今の世の人は、ただ今のさまをのみ見て、古よりかかるものとぞ思いたんめる。まれまれ書を読む人なども、ただからぶみをのみむねとは読みて、その心もて、万ずをさだして、皇国の古き書どもをば、おさおさ読む人も無ければ、古の御世には、神社・神事を、むねと重くし給いし事をば知らず。また稀れには知れる人も有れども、なお今の世のならいにまぎれては、古を思いくらべて、これを深く歎く人の無きこそ、いと悲しけれ。
現代語訳
何にもまして世の中に願わしいのは、どうにかしてもろもろの神の社の衰えを立て直し、もろもろの神事を再び興したいということである。今の世の神社や神事のありさまは、おおかた中ごろの乱世にひどく衰えすたれたままなのに、今の世の人はただ今の姿だけを見て、昔からこういうものだと思っているらしい。まれに書物を読む人なども、ただ漢籍ばかりを主として読み、その考え方ですべてを論じ、皇国の古い書物はほとんど読む人もいないから、古の御代には神社・神事をなによりも重んじられたことを知らない。またまれには知っている人もいるが、それでも今の世の習いにまぎれて、古と引き比べてこれを深く嘆く人がいないのが、たいそう悲しい。
解説
関連する章句
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『玉勝間』九の巻 神をなほざりに思ひ奉る世のならひをかなしむ事世の人の、神をなおざりに思い奉るは、かえすがえすこころ憂きわざなり。さるは程々に、尊み奉らぬにしもあらざんめれど、ただ世のならいの、人なみなみの、かいなでの尊みのみこそ有れ、まことに心にしめて尊み奉るべき事を、思いわきまえず、ただおろそかにぞ思いたんめる。目にこそ見えね、この天地万の物の、出で来始めしも、又むかし今の、世の中の大き小さきもろもろの事も、人の身のうえ、食い物、着物、居どころ、なにくれ、もろもろの事もことごとく神の御めぐみにかからざる事は無きを、さるゆえよしをば忘れ果てて、なべての人、ただまがつひのまが事にのみまじこり、心をかたむけて、万にさかしだつ人はたからぶみごころを、心とはして稀れ稀れに神代の御事どもを聞きても、ただはるけき世界の、昔語りを聞くがごと、よそげにのみ思い過ごして、そは皆今の世の中、おのが身々の上にかかれる、本なる事を思いたどらず。万よりもかなしきは、神の社神事の衰えなるを、かばかりめでたき御代にしも、もろもろの古き神の御社どもの、いみじく衰えませるを、なおしたて奉らんの心ざし有る人の、世に出でこぬこそ、いともいとも口惜しけれ。
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『玉勝間』七の巻 世の人の神社は物さびたるを尊しとする事今の世の人、神の御社は、さびしく物さびたるを、たっとしと思うは、古神社の盛りなりし世のさまをば、知らずして、ただ今の世に、大かた古く尊き神社どもは、いみしく衰えて、荒れたるを見なれて、古く尊き神社は、もとよりかく有る物と、心得たるからのひがことなり。
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『玉勝間』十四の巻 世の人まことの道に心つかざる事天の下大かた、件の如くなれば、ただいずこもいずこも、仏寺のみ栄えて、神社はいたく衰えまして、その衰えを憂うる人も無く、神はただ、病その外の祈り事にのみ用いられて、この道もただ、世の中の外の無用の物の如く、ただ古えより有り来たれる事として、ひたぶるに廃られぬと云うのみなり。この道は、これ天下を治め、国を治むる、先務要道なることを知れる人は、われいまだ、夢にも見きかず。いともいとも悲しき事ならずや。
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『玉勝間』六の巻 古き名どころを尋ぬる事ふるき神の社の、今は絶えたる、また絶えざれども、定かならず成りぬるなど、いずくにも多かるは、いと悲しきわざなり。神祇官の帳にのれるなどは、欠けてもさは有るまじきわざなるを、中頃の世の乱れに、天の下のよろずの事も、古の掟も、皆みだれに乱れ、絶え失せに絶え失せにたる、万ずにつけて、いともいともかなしきは、乱れ世のしわざなりけり。さるを今の御世は、古えにも稀なるまで、よく治まりて、いともめでたく、天の下栄えに栄ゆるままに、よろずに古をたずねて、絶えたるを起こし、おとろえたるを直し給う御世にし有れば、神の社どもは、殊に古に立ちかえりて、栄ゆべき時なりけり。しか有るにつけては、絶えたるは、跡をだに定かに尋ねまほしく、また今も有りながら、さだかならず、疑わしきをば、よく考え尋ねて、確かにそれと、定め知らまほしきわざになむ有りける。次には神の社ならぬも、古えに名あるところどころ、歌枕なども、今は定かならぬが多かるは、かかるめでたき時世にあたりて、尋ね置かまほしきわざなり。
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『玉勝間』十の巻 古へより伝はれる事の絶るをかなしむ事世の中に、古えの事の、いたく衰えたる、またひたぶるに絶えぬるなども多かるを、かかるめでたき御代にあたりて、何事も起したてまほしき中に、絶えたるも、跡をたずねて、またはじめむに、始めつべきは、遅くも疾くも、直毘の神の頼みの、なおのこれるを、一たび絶えては、またつぐべきよし無く、また始むべき便り無き事どもこそ、殊に云うかいなく、口惜しきわざには有りけれ。古き氏々など、神代のゆえよし重きなどは、更にも云わず、さらぬも、早く末の絶え果てぬるが多き、今は如何に思いても、二たびつぎ起すべきよし無くなん。これらを思うに、万の古き事は、わずかにも残りて、絶えざるをだに、おとしあぶさず、よくとりしたためて、今より後、絶ゆまじきさまに、如何にも如何にも、強くかたく成し置かまほしきわざぞかし。
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『秘本玉くしげ』下 式内社への参詣今時惣体大名の領内の神を祭り玉ふさまは、ただ戦国の比の風にて、おろそかなる事也。今の世国家の繁昌、諸大名の盛大なる勢に応じては、神社はいかほど興立し玉ひても宜しき事なるに、神国の実にも似ず、神社の衰へたる事は、かへすがへす歎かはしきこと也。そもそも神を敬ひ祭る事は、たれもよく知りたる事にはあれども、まことの道の根本の子細をしらざる故に、世人の思ふところは猶甚おろそか也。別巻に其子細は委しく申せり。今かくめでたき治平の御代久しくつづけるに付ては、大名方はいよいよ領内領内の神社を興立し厚く祭り玉ひ、殊に式内の社などは、御自身もおりおり御参詣あるべき御事也。殊に又、尾張に熱田大神、紀の国に日前国懸の両大神、出雲に杵築大国主大神などの類、其外もかやうの殊なる由緒まします大社は、なほさら其領主領主の大切に厚く敬祭し玉ふべき御事也。
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