玉勝間 / 三の巻 神の御ふみをとける世世のさま
神御典を說ク事、むかしは紀傳道の儒者の職にて、その說ける書、弘仁より代代の、日本紀私記これなり。そはいづれも、ただ漢學の餘力をもて考へたるのみにして、神御典をもはら學びたるものに有らざるが故に、古、の意詞にくらく、すべてうひうひしく淺はかにて、もとより道の旨趣も、いかなるさまとも、說たる事無く、唯だ文によりて、有るべきままに云へるばかりなり。然れども皇朝の昔の儒者は、すべてから國のやうに、己が殊にたてたる心は無かりし故に、神の御ふみを說くとても、漢意に說きまげたる、私說もをさをさ見えず、儒意によれる强說も無くて、やすらかには有りしを、後ノ世に至りては、殊に神學と云ふ一ながれ出來て、もはらにするともがらし有れば、つぎつぎに委しくはなりもて行けど、なべての世の物知り人の心、なまさかしくなりて、神の御ふみを說く者も、さかしらを先きにたてて、文のままには物せず、おのが好むすぢに引つけて、或るは佛意、或るは儒意に、說き曲ぐる事となれり。
新字:神御典を説ク事、むかしは紀伝道の儒者の職にて、その説ける書、弘仁より代代の、日本紀私記これなり。そはいづれも、ただ漢学の余力をもて考へたるのみにして、神御典をもはら学びたるものに有らざるが故に、古、の意詞にくらく、すべてうひうひしく浅はかにて、もとより道の旨趣も、いかなるさまとも、説たる事無く、唯だ文によりて、有るべきままに云へるばかりなり。然れども皇朝の昔の儒者は、すべてから国のやうに、己が殊にたてたる心は無かりし故に、神の御ふみを説くとても、漢意に説きまげたる、私説もをさをさ見えず、儒意によれる強説も無くて、やすらかには有りしを、後ノ世に至りては、殊に神学と云ふ一ながれ出来て、もはらにするともがらし有れば、つぎつぎに委しくはなりもて行けど、なべての世の物知り人の心、なまさかしくなりて、神の御ふみを説く者も、さかしらを先きにたてて、文のままには物せず、おのが好むすぢに引つけて、或るは仏意、或るは儒意に、説き曲ぐる事となれり。
書き下し
神の御典を説く事、むかしは紀伝道の儒者の職にて、その説ける書、弘仁より代代の、日本紀私記これなり。そはいずれも、ただ漢学の余力をもて考えたるのみにして、神の御典をもはら学びたるものに有らざるが故に、古の意詞にくらく、すべてういういしく浅はかにて、もとより道の旨趣も、いかなるさまとも、説きたる事無く、唯だ文によりて、有るべきままに云えるばかりなり。然れども皇朝の昔の儒者は、すべてから国のように、己が殊にたてたる心は無かりし故に、神の御ふみを説くとても、漢意に説きまげたる、私説もおさおさ見えず、儒意によれる強説も無くて、やすらかには有りしを、後の世に至りては、殊に神学と云う一ながれ出来て、もはらにするともがらし有れば、つぎつぎに委しくはなりもて行けど、なべての世の物知り人の心、なまさかしくなりて、神の御ふみを説く者も、さかしらを先にたてて、文のままには物せず、おのが好むすじに引きつけて、或るは仏意、或るは儒意に、説き曲ぐる事となれり。
現代語訳
神の御典(日本書紀の神代の巻)を講じることは、昔は紀伝道の儒者の職務であって、その講じた書が、弘仁以来の代々の『日本紀私記』である。それはどれも、ただ漢学の余力で考えただけで、神の御典を専ら学んだ者ではないので、古の心や言葉に暗く、すべて未熟で浅はかであり、もとより道の趣旨がどのようなものかを説いたことも無く、ただ本文に従って、あるがままに言っただけである。けれども我が国の昔の儒者は、およそ中国のように自分で特に立てた考えというものが無かったので、神の御典を説くにしても、漢意によって説き曲げた私説もほとんど見えず、儒学の考えによる無理な説も無くて、穏やかではあった。ところが後の世になると、特に「神学」という一つの流派ができて、それを専門にする者たちがいたので、次々に詳しくはなっていったが、世の物知りたちの心が生半可に賢しらになって、神の御典を説く者も賢しらを先に立てて、本文のままには扱わず、自分の好む方向に引き付けて、あるいは仏教の考えに、あるいは儒教の考えに説き曲げるようになった。
解説
関連する章句
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『玉勝間』二の巻 神典のときざま中昔よりこなた、神典を説く人ども、古の意言をばたずねむ物とも思いたらず、ただひたぶるに、外国の儒仏の意にすがりて、その理をのみ思いさだして、万葉を見ず、むげに古の意言を知らざるが故に、かのから意のことわりの外に、別に古の旨ありて、明らかなることをえ知らず、これによりて古のむねはことごとくうずもれて顕れず、神の御ふみも、皆から意になりて、道明らかならざるなり、かくておのが神の御書をとく趣は、世のつねの説どもとはいたく異にして、世世の人のいまだ云わざる事どもなる故に、世の学者、とりどりにとがむる事おおし。されどそはただ、さきの人人の、ひたすら漢意にすがりて説きたる説をのみ聞きなれて、みずからも同じく、いまだからごころのくせの清く去らざるから、そのわろき事をえさとらざるものなり。おのが云うおもむきは、ことごとく古事記書紀にしるされたる、古の伝説のままなり。世の人人の云うは、皆そのまどい居る漢意に説き曲げたるわたくし事にて、いたく古の伝説と異なり。このけじめは、古事記書紀をよく見ば、おのずから分かるべき物をや。もしおのが説をとがめむとならば、まず古事記書紀をとがむべし。この御典どもを信ぜんかぎりは、おのが説をとがむる事えじ。
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うひ山ぶみ・注[ニ]主(ムネ)としてよるべきすぢは幸とも幸なれば、いかにも此たふとき皇国の道を学ぶべきは、勿論のこと也此道は、古事記書紀の二典に記されたる云々、道は此二典にしるされたる、神代のもろもろの事跡のうへに備はりたれども、儒仏などの書のやうに、其道のさまを、かやうかやうと、さして教へたることなければ、かの儒仏の書の目うつしにこれを見ては、道の趣、いかなるものともしりがたく、とらへどころなきが如くなる故に、むかしより世々の物しり人ども、これをえとらへず、さとらずして、或は仏道の意により、或は儒道の意にすがりて、これを説たり、其内昔の説は、多く仏道によりたりしを、百五六十年以来は、かの仏道によれる説の、非なることをばさとりて、其仏道の意をば、よくのぞきぬれども、その輩の説は、又皆儒道の意に落入て、近世の神学者流みな然也、其中にも流々有て、すこしづゝのかはりはあれども、大抵みな同じやうなる物にて、神代紀をはじめ、もろもろの神典のとりさばき、たゞ陰陽八卦五行など、すべてからめきたるさだのみにして、
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『玉勝間』三の巻 神の御ふみをとける世世のさまさていよいよ心さかしく成りもて行くままに、近き世となりては、又ようように、かの仏ごころをまじうるが、ひがことなる事をさとりて、それをばことごとくのぞきて説く事となれり。然れどもそれは、まことに古の意をさとりて然るにはあらず、唯だ儒意のすすめるから、厭えるものなり。さる故に、近き世に、神の道とて説く趣は、ひたすら儒にして、さらに神の道にかなわず。このともがら、かの仏に流れたる事のひがことをば知りながら、みずから又儒にながるる事を、えさとらざるは、いかにぞや。かくして又近き世には、然か儒による事の悪ろきをも、やや知りて、つとめて是れをのぞかんとする者も、これかれとほのめくめれども、其れはたいまだ清く漢意をはなるる事あたわで、天理陰陽など云う説をば、猶まことと心得、ともすれば、例のさかしらの立ちいでては、高天の原を帝都の事とし、天照大御神を、天つ日にあらずとし、海神宮を、一つの島なりとするたぐい、すべてかように、おのが私の心をもて、さまざまに説き曲ぐる事をえまぬかれざるは、猶みな漢意なるを、みずからさも覚えざるは、さる癖の、世の人の心の底に、しみつきたるならいぞかし。
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『玉勝間』一の巻 漢意然るに神の御典を説くともがら、もはらこれらの理をもて説くなるは、いかなるしれわざぞや。近き頃にいたりて、儒意をのぞきて説くと思う人も、なおこの天理・陰陽などの説のひが事なるをば、えさとらず、その垣内を出ではなるる事あたわざるは、なお漢意のきよく去らで、かれにまどえる夢の、いまだ確かにさめざるなり。また天照大御神を、天津日にはあらずとするも、漢意の小さき理にかかわりなづみて、まことの道の、微妙なる深きことわり有ることを思わざるものなり。この大御神天津日にましまして、その御孫命天より降り坐して、御国しろしめす御事は、人のちいさきさとりをもて、その理は測り知らるべききわにあらず。おのが智もてはかり知る事あたわざるをもて、その理無しと思うは、例の小さきから意なるをや。
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『玉勝間』一の巻 わたくしに記せる史世におおやけの史にはあらで、私に御代御代の事を記せる書、これかれと多かるを、昔の皇国人は、仏を尊ばぬは一人も無かりしかば、斯かる書にさえ、ともすればようなき仏ざたのまじりて、うるさく、今見るには、かたわらいたき事多し。またさかしら心に、神代にはあやしき事のみ多くして、からめかぬをいといて、多くは神武天皇より始めてしるして、神代の程をばはぶけるは、から国のむねむねしき書に、さるたぐいの有るを、善き事と思いて、ならえる物なり。そもそも外国々は、その王のすじ、定まれる事無くして、世々に変われば、心にまかせて、いづれの代より記さむも難無きを、御国の皇統は、さらに外国の王のたぐいにはましまさず、天照大御神の天津日嗣にましまして、天地と共に、とこしえに伝わらせ給うを、その本の始めをはぶき捨てて、なからより記して善からめや。万づをから国にならうも、事によりては、心すべきわざぞかし。
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うひ山ぶみ・注[チ]道をしらんためには、殊に古事記をさき多くいろは仮字をのみ用ひたるから、かゝる名目も有也、書紀をよむには大に心得あり云々、書紀は、朝廷の正史と立られて、御世々々万の事これによらせ給ひ、世々の学者も、これをむねと学ぶこと也、まことに古事記は、しるしざまは、いとめでたく尊けれども、神武天皇よりこなたの、御代々々の事をしるされたる、甚あらくすくなくして、広からず、審ならざるを、此紀は、広く詳にしるされたるほど、たぐひなく、いともたふとき御典也、此御典なくては、上古の事どもを、ひろく知べきよしなし、然はあれども、すべて漢文の潤色多ければ、これをよむに、はじめよりその心得なくてはあるべからず、然るを世間の神学者、此わきまへなくして、ただ文のまゝにこゝろえ、返て漢文の潤色の所を、よろこび尊みて、殊に心を用るほどに、すべての解し様、ことごとく漢流の理窟にして、いたく古ヘの意にたがへり、これらの事、大抵は古事記伝の首巻にしるせり、猶又別に、神代紀のうずの山蔭といふ物を書ていへり、ひらき見るべし、六国史といふ云々、六国史のうち日本後紀は、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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