玉勝間 / 十三の巻 大歌所
同書に云云、從四位下治部大輔興世朝臣書主卒、云云弘仁七年云云、能彈和琴、仍爲大歌所別當、常供奉節會。三代實錄、貞觀七年十一月十五日壬辰、天皇御紫宸殿、賜宴群臣、大歌所五節舞、如常儀、と見えたり。大歌は、續紀に、天應元年十一月丁卯、御テ大政官院行大嘗之事、云云己巳宴五位已上、奏雅樂及大歌於庭また江次第の、五節帳臺試條に大歌小歌と有リ。
新字:同書に云云、従四位下治部大輔興世朝臣書主卒、云云弘仁七年云云、能弾和琴、仍為大歌所別当、常供奉節会。三代実録、貞観七年十一月十五日壬辰、天皇御紫宸殿、賜宴群臣、大歌所五節舞、如常儀、と見えたり。大歌は、続紀に、天応元年十一月丁卯、御テ大政官院行大嘗之事、云云己巳宴五位已上、奏雅楽及大歌於庭また江次第の、五節帳台試条に大歌小歌と有リ。
書き下し
同書に云云、従四位下治部大輔興世朝臣書主卒す、云云弘仁七年云云、能く和琴を弾く、仍りて大歌所の別当と為り、常に節会に供奉す。三代実録、貞観七年十一月十五日壬辰、天皇紫宸殿に御し、宴を群臣に賜う、大歌所五節舞、常儀の如し、と見えたり。大歌は、続紀に、天応元年十一月丁卯、太政官院に御して大嘗の事を行う、云云己巳五位已上を宴し、雅楽及び大歌を庭に奏すまた江次第の、五節帳台試の条に大歌小歌と有り。
現代語訳
同じ書(文徳実録)に云々、「従四位下治部大輔興世朝臣書主が亡くなった云々、弘仁七年云々、和琴を上手に弾いたので、大歌所の別当となり、いつも節会に奉仕した」とある。『三代実録』に、「貞観七年十一月十五日壬辰、天皇は紫宸殿にお出ましになり、群臣に宴を賜った。大歌所の五節の舞はいつもの儀式のとおりであった」と見えている。大歌は、『続日本紀』に「天応元年十一月丁卯、太政官院にお出ましになって大嘗祭のことを行った云々。己巳に五位以上の者に宴を賜い、雅楽と大歌を庭で演奏した」とあり、また『江家次第』の五節の帳台の試みの条に「大歌・小歌」とある。
解説
関連する章句
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『玉勝間』十二の巻 武徳殿前競馬のまけわざの時に神楽を奏せし事同じ紀に、仁和元年十月廿三日甲戌、天皇紫宸殿に御す。右近衛・右衛門・右兵衛の三府、并びに右馬寮、物を献ず、これ去る五月六日、武徳殿前の競走馬の輸物なり。親王及び太政大臣已下、出居・侍従已上、殿上に侍し、音楽種々の散楽を奏す、日暮れて、親王已下殿を降り、玉階の前に於て神楽を奏す、歌舞歓を極む。諸衛の官人・内竪等の、能く歌う者を喚びてこれに預からしむ、次侍従已上に禄を賜うこと、各差有り、と見えたり。かかるおりに、神楽を奏せしめ給えるは、珍しき事なり。
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『玉勝間』六の巻 賀陽院歌合青地の小文の錦。右、紫檀の消坏の台の上に、銀の消盃を居うるなり。左右に筆一双、墨一つを立つること唐人の硯のごとし、台の辺に和歌の書五巻を立つ。打敷は赤地の小文の錦。和歌の書物の巻文、各五巻(春夏秋冬祝、各一巻、瑠璃の軸、色々の色紙、下絵、左方は女絵、右方は男絵、皆歌の情を書くか。美麗過差極まり無し)。歌人(左、女房、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、摂津君。右、男房、通俊卿、匡房卿、顕綱朝臣、正家朝臣、頼綱朝臣、俊頼朝臣)。次に講師を召す(左、右大弁基綱朝臣、衣冠。右、下官、直衣)。各々これを講ず。帥大納言判者と為り、中宮大夫紙を執筆す。度毎に勝負す。先ず春夏秋冬祝、次第此のごとし。夜参半に及ぶ。歌講ずるの間、菓子肴物を居う(大殿の陪膳、左少将有宗朝臣、左府殿下、地下の四位、左府は有宗朝臣、殿下は〓家朝臣)。初献は勧盃無し。第二献は皇大后宮権大夫。次に対の南面の饗饌をこの座に移し居え、頻りに盃酌す。暁更に及びて事了る。次に管絃の具を召し、御遊有り。帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大将(笛)、政長朝臣(拍子)、予と宗輔(共に笙)、皇大后宮権大夫(付歌)。呂は、安名尊、鳥の破。律は、更衣、太平楽の破、三台の急。前の池に船楽を儲く(楽人等をして奏せしむ、布衣或いは冠)。次に引出物の馬三疋を牽く(関白、左大臣、帥)。人々退出す。
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『玉勝間』一の巻 歌の御会のめぐらし文甘露寺権大納言元長卿記に云う、永正五年正月十四日、和哥御会の廻文を書き、釜殿を以て之を遣わす、鷺に慶音有り、右の御題、来る十九日披講有るべし、予参せしめ給うべき由、仰せ下され候なり、正月十四日、元長、中御門大納言殿、(この所同じつらに廿三人の名あり)袖書に尅限は午の一点たるべきなり、丞相には別紙の折紙を以て之を相触る。
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『玉勝間』十二の巻 光孝天皇の御世より歌の道又おこれる事同じ紀に、仁和元年冬十月壬子朔、皇帝紫宸殿に御し、宴を侍臣に賜う。左右近衛府遞いに音楽を奏し、日暮れて和琴を奏し和歌を作る、群臣具に酔い、歓を極めて罷む、禄を賜うこと各差有り。また同じ二年十月丙午朔、日これを蝕する有り。二日丁未、天皇紫宸殿に御し宴を侍臣に賜う。親王・太政大臣、及び参議已上、並びに殿の座に侍し、六府番上の簿を庭に奏し、左右近衛府、遞いに音楽を奏す。酣暢の後、参議右衛門督藤原朝臣諸葛に勅命して、和琴を弾かしめ、王公並びに歌を作り、天皇自ら歌いたまい、宴楽景を畢う。と見えたり。そもそも嵯峨の天皇もはらから詩をのみ好ませ給いしより、かかる御宴のおりなども、ただ詩をのみ作られて、歌のことは、絶えて聞えざりしに、光孝天皇の御世より、またかく歌を好ませ給いて、詩のかたは、衰えそめにたりき。
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『玉勝間』六の巻 内侍所御神楽糸束記に曰く、寛仁四年十二月二十八日甲辰、今夜内侍所の御神楽有り、云云。召人十六人(地下の殿上人、歌笛に堪うる者)、近衛司の者七人(人長この中に在り)、内侍二人(一人は典侍、一人は掌侍)、博士十二人、囲司六人、女官十六人、下四人。賢所の御前の物、十二盃(葉子四く、干物四く、飯四く、已上の物は、本より御前に有り、八足の机に居う)。御酒は酒殿に召してこれを用う。内侍陪膳す。博士、御盤を取る云云。御幣十帖、柳の折櫃に納めてこれを奉る。先例は四帖と云云。饗は、内侍二人の前(衝重各二合、二種物)、博士十二人(同前)、団司ならびに女官等(各衝重一合、一種物)、召人・近衛司等(衝重各二合、二種物)。然るべき人々の禄は、上人これを取る。禄は、典侍(白き褂一領)、掌侍(白き単衣一領)、伝侍二人(命婦は白き単重一領、六位は白き単衣一領)、女官(疋絹)、下(手作各一端、所の布を以てこれを給う)、召人(白き単衣各一領)、近衛司(疋絹)と見ゆ。この記は、参議経頼卿の記録なり。名の二字の偏をとりて、糸束とは名付けたるなり。
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