玉勝間 / 六の巻 内侍所御神楽
糸束記曰、寛仁四年十二月廿八日甲辰、今夜有內侍所御神樂、云云、召人十六人、(地下殿上人、堪哥笛者、)近衞司者七人、(人長在此中、)內侍二人、(一人典侍、一人掌侍、)博士十二人、圍司六人、女官十六人、下四人、賢所御前物、十二盃、(葉子四く、干物四く、飯四く、已上物、本自有御前、居八足机、御酒召酒殿用之、內侍陪膳博士、取御盤云云、御幣十帖、納柳折櫃奉之、先例四帖云云、饗、內侍二人前、(衝重各二合、二種物、)博士十二人、(同前、)團司并女官等、(各衝重一合、一種物、)召人近衞司等、(衝重各二合、二種物、)可然人人祿、上人取之、祿典侍(白掛一領、)掌侍、(白單衣一領、)傳侍二人、(命婦白單重一領、六位白單衣一領、)女官(疋絹、)下(手作各一端、以所布給之、)召人(白單衣各一領、)近衞司(疋絹)と見ゆ此記は、參議經賴卿の記錄なり。名の二字の偏をとりて、糸束とは名附けたるなり。
新字:糸束記曰、寛仁四年十二月廿八日甲辰、今夜有内侍所御神楽、云云、召人十六人、(地下殿上人、堪歌笛者、)近衛司者七人、(人長在此中、)内侍二人、(一人典侍、一人掌侍、)博士十二人、囲司六人、女官十六人、下四人、賢所御前物、十二盃、(葉子四く、干物四く、飯四く、已上物、本自有御前、居八足机、御酒召酒殿用之、内侍陪膳博士、取御盤云云、御幣十帖、納柳折櫃奉之、先例四帖云云、饗、内侍二人前、(衝重各二合、二種物、)博士十二人、(同前、)団司并女官等、(各衝重一合、一種物、)召人近衛司等、(衝重各二合、二種物、)可然人人禄、上人取之、禄典侍(白掛一領、)掌侍、(白単衣一領、)伝侍二人、(命婦白単重一領、六位白単衣一領、)女官(疋絹、)下(手作各一端、以所布給之、)召人(白単衣各一領、)近衛司(疋絹)と見ゆ此記は、参議経頼卿の記録なり。名の二字の偏をとりて、糸束とは名附けたるなり。
書き下し
糸束記に曰く、寛仁四年十二月二十八日甲辰、今夜内侍所の御神楽有り、云云。召人十六人(地下の殿上人、歌笛に堪うる者)、近衛司の者七人(人長この中に在り)、内侍二人(一人は典侍、一人は掌侍)、博士十二人、囲司六人、女官十六人、下四人。賢所の御前の物、十二盃(葉子四く、干物四く、飯四く、已上の物は、本より御前に有り、八足の机に居う)。御酒は酒殿に召してこれを用う。内侍陪膳す。博士、御盤を取る云云。御幣十帖、柳の折櫃に納めてこれを奉る。先例は四帖と云云。饗は、内侍二人の前(衝重各二合、二種物)、博士十二人(同前)、団司ならびに女官等(各衝重一合、一種物)、召人・近衛司等(衝重各二合、二種物)。然るべき人々の禄は、上人これを取る。禄は、典侍(白き褂一領)、掌侍(白き単衣一領)、伝侍二人(命婦は白き単重一領、六位は白き単衣一領)、女官(疋絹)、下(手作各一端、所の布を以てこれを給う)、召人(白き単衣各一領)、近衛司(疋絹)と見ゆ。この記は、参議経頼卿の記録なり。名の二字の偏をとりて、糸束とは名付けたるなり。
現代語訳
糸束記にいう。寛仁四年十二月二十八日甲辰、今夜、内侍所の御神楽があった、云々。召人は十六人(地下の者と殿上人で、歌や笛に堪能な者)、近衛府の者が七人(人長はこの中にいる)、内侍が二人(一人は典侍、一人は掌侍)、博士が十二人、囲司が六人、女官が十六人、下部が四人。賢所の御前の供物は十二盃(葉子が四つ、干物が四つ、飯が四つで、以上の物はもとから御前にあり、八足の机に据える)。御酒は酒殿から取り寄せて用いる。内侍が給仕をし、博士が御盤を取る、云々。御幣は十帖で、柳の折櫃に納めて奉る。先例では四帖だという。饗は、内侍二人の前に(衝重をそれぞれ二つ、二種の品)、博士十二人も(前に同じ)、団司と女官たちは(それぞれ衝重一つ、一種の品)、召人と近衛府の者たちは(衝重それぞれ二つ、二種の品)。しかるべき人々への禄は、殿上人がこれを取り次ぐ。禄は、典侍に(白い褂一領)、掌侍に(白い単衣一領)、伝侍二人に(命婦には白い単重一領、六位には白い単衣一領)、女官に(絹一疋)、下部に(手織りの布をそれぞれ一反、その所の布をもって与える)、召人に(白い単衣それぞれ一領)、近衛府の者に(絹一疋)、と見える。この記は参議経頼卿(源経頼)の記録である。名の二字の偏を取って「糸束」と名付けたのである。
解説
関連する章句
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『玉勝間』四の巻 伏見天皇御即位の次第左の内侍まづのぼりて、左の御わきより、御けんをまいらせおく。御はしをしりぞきて、右のしもに内侍の座につきぬ。女王のしょうぞく、二色くれないのひとえ、そおうのうわぎ、あかいろのからぎぬ、かみあげの内侍は、勾当とこれ新内侍なり。御ぜんの命婦、みあれ、いつぬき、宮人、いしかわ、いぎの命婦、ははき、さぬき、ひぜん、たましき、これみなうらこきそおう、やなぎのからぎぬなり。こしょうの命婦、右衛門督殿(やなぎにくれないのひとえ、こうばいのうわぎ、)新左衛門督殿(もえぎにくれないのひとえ、山ぶきのうわぎ、)新宰相殿(むらさきうすように、しろきひとえ、山ぶきのうわぎ、もえぎのからぎぬ、)宮内卿殿(新宰相殿に同じ、)治部卿殿(紫のうすように、もえぎのうわぎ、えびぞめのからぎぬ、)少将内侍、少輔内侍(まつがさねに紅のひとえ、やなぎのからぎぬおなじ、)つねの衣のうえに、かいふにからぎぬ、こうけつの衣、ひらびたいなり。ぎょうれつのあいだの事、みさきにいぎの命婦四人、(えんどうの左右につづけり、)しょうちょうの左につく。つぎにけんしの内侍二人、(左こうとう、右はこれなり、)こしょうの女房、御うしろにあゆみつづきてまいる。
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『玉勝間』十二の巻 武徳殿前競馬のまけわざの時に神楽を奏せし事同じ紀に、仁和元年十月廿三日甲戌、天皇紫宸殿に御す。右近衛・右衛門・右兵衛の三府、并びに右馬寮、物を献ず、これ去る五月六日、武徳殿前の競走馬の輸物なり。親王及び太政大臣已下、出居・侍従已上、殿上に侍し、音楽種々の散楽を奏す、日暮れて、親王已下殿を降り、玉階の前に於て神楽を奏す、歌舞歓を極む。諸衛の官人・内竪等の、能く歌う者を喚びてこれに預からしむ、次侍従已上に禄を賜うこと、各差有り、と見えたり。かかるおりに、神楽を奏せしめ給えるは、珍しき事なり。
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『玉勝間』八の巻 祭に臨みて神主を定むる事左経記に、寛仁元年十一月三日丁酉、天晴る、祭事を行わんが為に、梅宮に参る云云、但し氏人等遅参す云云、仍て大膳少進従五位下上野朝臣広遠を以て、神主と為す云云(先例は氏人を以て神主と為す、而るに遅参す、仍て定め有りて、広遠を以て神主と為す)と有るを見れば、古は、祭に臨みて、神主と云うものを、定められたる事も有しなり。
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『玉勝間』十三の巻 大歌所同書に云云、従四位下治部大輔興世朝臣書主卒す、云云弘仁七年云云、能く和琴を弾く、仍りて大歌所の別当と為り、常に節会に供奉す。三代実録、貞観七年十一月十五日壬辰、天皇紫宸殿に御し、宴を群臣に賜う、大歌所五節舞、常儀の如し、と見えたり。大歌は、続紀に、天応元年十一月丁卯、太政官院に御して大嘗の事を行う、云云己巳五位已上を宴し、雅楽及び大歌を庭に奏すまた江次第の、五節帳台試の条に大歌小歌と有り。
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『玉勝間』六の巻 賀陽院歌合青地の小文の錦。右、紫檀の消坏の台の上に、銀の消盃を居うるなり。左右に筆一双、墨一つを立つること唐人の硯のごとし、台の辺に和歌の書五巻を立つ。打敷は赤地の小文の錦。和歌の書物の巻文、各五巻(春夏秋冬祝、各一巻、瑠璃の軸、色々の色紙、下絵、左方は女絵、右方は男絵、皆歌の情を書くか。美麗過差極まり無し)。歌人(左、女房、中納言君、筑前君、周防掌侍、讃岐君、紀伊君、信濃君、摂津君。右、男房、通俊卿、匡房卿、顕綱朝臣、正家朝臣、頼綱朝臣、俊頼朝臣)。次に講師を召す(左、右大弁基綱朝臣、衣冠。右、下官、直衣)。各々これを講ず。帥大納言判者と為り、中宮大夫紙を執筆す。度毎に勝負す。先ず春夏秋冬祝、次第此のごとし。夜参半に及ぶ。歌講ずるの間、菓子肴物を居う(大殿の陪膳、左少将有宗朝臣、左府殿下、地下の四位、左府は有宗朝臣、殿下は〓家朝臣)。初献は勧盃無し。第二献は皇大后宮権大夫。次に対の南面の饗饌をこの座に移し居え、頻りに盃酌す。暁更に及びて事了る。次に管絃の具を召し、御遊有り。帥大納言(琵琶)、藤大納言(箏)、左大将(笛)、政長朝臣(拍子)、予と宗輔(共に笙)、皇大后宮権大夫(付歌)。呂は、安名尊、鳥の破。律は、更衣、太平楽の破、三台の急。前の池に船楽を儲く(楽人等をして奏せしむ、布衣或いは冠)。次に引出物の馬三疋を牽く(関白、左大臣、帥)。人々退出す。
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『玉勝間』二の巻 御即位後奉幣諸神祝詞同じ記のつづきにまた云わく、天慶九年四月十五日の外記日記に云う、天皇即位す、仍りて五畿内七道諸国の天神地祇に幣帛を奉らんが為に、五畿内は諸司の物を以て宛て用い、諸国は当の正税を以て之に宛て用う、使は道毎に神祇の中臣斎部等を差す、(各駅鈴一口を給う、但し畿内の使には給わず、)また五畿七道諸国の諸神に奉幣する日、廃務の有無の事、天禄元年三月廿日辛酉、終日雨降る、上卿参らず、仍りて政無きなり、今日天皇御即位の後、先例に依りて五畿七道諸国の諸名神に奉幣する使を発遣せらるるなり、件の使等は、神祇官の先日差し申すに依りて、大中臣斎部等を以て其の官と為し、諸国に符し給う、但し神祇官より件の使等を立つ。また、畿内七道の使の官符八枚、七道の幣料、正税を以て之に宛つべき官符五枚等なり、合わせて十五枚、と見えたり。この記は、後の小野の宮の右大臣実資公の日記なり。
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